第84話 【バサルデ城】ギルベーダ不在時の下っ端オークたちの反応
バルカ達は道から逸れた低木の茂みの中で夜を待ってから行動を開始した。
バサルデ城とその城下町を囲む城壁は広大で、周囲の切り立った山々を繋ぐようにして建てられていた。
高い城壁だったが、ギデオンの使役するプローブ・アイが巡回する衛兵の隙をうかがってくれた。
そして、機を見てバルカ達は城門を迂回し、山の側面を走り抜けて軽々と跳躍し、そのまま城壁の上から内側へと飛び降りた。
城壁を飛び越えたときにわずかに見えた中心街はかがり火が灯っていて賑やかそうだった。
バサルデ城は城下町の中心部にある岩山の頂にあった。
それほど高い山ではないが山肌は険峻でほぼ垂直の崖のように見える。
城は岩山の岩盤をくり抜いたかのような石造りだった。
(居城というよりはまるで戦時中に使う山城だな……なんとなくアーガ砦に似ている)
などとメトーリアが思っているうちに、ゼフラに先導されて一行は大通りなどを避け、静まりかえった路地を駆けていく。
夜の間も比較的明るかった密林地帯とは全く違って周囲はほとんど真っ暗だ。
空から降り注ぐ星明かりがあるので完全な暗闇というわけではないのが、バサルデ城とその町を囲む山や町中の建物が影となり、樹木などに生えているジオルミ結晶も無いので常人なら歩くのもおぼつかないだろう。
しかし、夜目が利くバルカ達は全く苦にせずにバサルデ城へと近づいていく。
唐突に激しく唸る風が吹き抜けて、強烈な臭いが一行を襲った。
糞尿。腐った藁、湿ったボロ布、煙や灰の臭い……。
「なんだこの臭いは……おいッ、城から離れてるぞ」
苛立ったレバームスの声にゼフラが振り向いた。
「さすがに城に一直線に向かえば城下の岩山を登ってる途中で誰かに気づかれます。城内へ通じる地下通路があるんです。そこに向かってます」
「それにしたって別のルートはなかったのかよ。この臭いは我慢がならん」
「す、すみません。この近くに、その、ごみ捨て場があるので」
「まあお前らエルフはうんこも小便もしないし、かいた汗は花の匂いがするもんな」とバルカ。
「わかったよ。鼻をつまんどく」
「……」
「あの、メトーリア。言っときマスけど、今のはバルカの嫌味と皮肉を込めたジョークって奴デスからね? エルフだって出すモんはだ――」
無言でバルカとレバームスのやりとりを聞いていたメトーリアの耳元にギデオンが現れて、したり顔で囁き始めたので、彼女はムッとして眉を寄せ、器械精霊の講釈を遮った。
「そのくらいは、知ってるッ」
町外れには沼があった。
バサルデ城のある山から続く丘陵の縁が岸壁になっている。
反対側の城壁や山まで沼は広がっていた。
全体的に水面には浮き草が張り付いていて、その他の植物も生えている。水深は浅いようだ。
「……触手の魔物とかいないよな?」とレバームス。
「いません。さ、こちらです」
そういってゼフラは丘陵の岩盤へと向かう。
ヨシやガマなどオークよりも背の高い草をかき分けていく。葉のざらついた感触が肌を擦り、湿った土の匂いが一行の鼻をついた。
ゼフラに続いて進んでいくと、途中でバルカとメトーリアは顔を見合わせた。
沼の水がかすかに流れているのだ。
ほどなくバルカ達の目の前に暗いトンネルが現れた。
細い小川が流れていて、沼と繋がっている。
「これが城の地下へと繋がっています」
「そこにモーベイ行きのワールドノードがあるんだな?」
バルカの問いにゼフラはこくりと頷いた。
トンネルは等間隔で岩壁にジオルミ結晶が掛けられていた。
結晶が発する光が林立する石柱や鍾乳石に反射して、洞窟内は意外にも様々な色をした光に満ちていた。
岩肌を流れる微かなせせらぎだけが聞こえる中、バルカ達が音を一切立てない足取りで歩いていくと、やがて扉が見えてきた。
ゼフラは振り返り、口に指を当ててみせてから扉をそっと開けた。
扉の先は洞窟内とはうって変わり、精製されたジオルミ照明灯の単一の光に照らされていた。
× × ×
バサルデ城の地下深くにあるハイオーク達の修練場。
その中央には真新しい血痕があったが、おびただしく飛び散った血は拭き取られ、清掃済みだった。
広い場内の煙臭いオークの臭いと脂を含んだ空気に混じって、脂と焦げた食べ物の匂い、甘ったるい果実と強い酒精の匂いが隅の方から漂ってくる。
オーク兵が酒盛りをしていた。
「はぁ~~、モーベイに行ったギルベーダ様ご一行は今ごろルサイド女漁りに勤しんでるんやろか……おい爺さんッ」
ダムバラ氏族の戦士であり、今現在バサルデ城の警備隊長……の代理を押し付けられているスタッブスというオークの男が「もっと酒を持ってこい」と年老いたオークに向かって杯を振ってみせる。
老オークは背を向けて階段へゆっくりと歩いていく。
スタッブス達の側には木桶と雑巾、木の棒の先端に布きれを付けたモップのようなものが置かれている。一緒に彼らの武器も置かれていた。
スタッブスを取り囲んで座っているオーク兵達も例外なくしこたま酔っ払っている。
老オークが上がっていった階段の入り口に、誰かが警備に付いているわけでもなく、皆だらけきっていた。
「楽しんでるのはギルベーダ様だけでしょ。見たでしょ? 長年こびへつら――忠義を尽くしてきたザズ様でさえ、たった一回の失態でぶち殺されたんや……」
と、小柄な体格のトッパーがため息を吐く。
「それでもモーベイに行けば上等なサキを飲み放題やろなぁ……クソ! なんでこっちじゃフロストパームが育たんのや! いっそのこと呪い酒採りに行ったろかッ」
ソーザはこれまでにも何百何千と繰り返されてきたであろう話題を持ち出した。
それを聞いてスタッブスが、にやりと笑った。
「ほーん、ええやん。ザズに代わって今からお前が地竜様が開けた大穴を登って、地上まで行って呪い酒を採ってきたら大手柄や」
「あ……い、いや冗談ですって……」
「それにしても、ザズ隊が下級オークに負けて追い返されたって話はホントなんすかねぇ」
トッパーの疑問に対してスタッブスはほんの少し真面目な顔になって顎を手でさすった。
「ふうむ……わいは何度か下級狩りで地上に出たことがあるが、下級といえども地上の呪いを受けた連中はなかなか侮れん。野生化して狩猟で生活しとる分、みんな自然とよう鍛えられとる。平均的な筋力や速さは俺らハイオークより上や」
「え、そうなんすか!?」とソーザ。
「しかし装備は劣悪や。着てるもんはぼろきれ同然やし、武器は拾ったもんで間に合わせとる。呪いで頭が馬鹿になってるせいで、日々の生活に精一杯。せやからレベルを上げられる環境もない。訓練され、重装鎧と鋼の槍や剣で武装したハイオーク兵が負けるとは思えんのやが……そもそも大穴のフロストパーム園の近くで下級オークに出くわすなんて滅多にないんや。近頃はもっと遠くまで行かんと奴らを狩れんくなっとる」
「そんな下級オークにさらわれちまったゼフラのことをギルベーダ様はラケーシ様にどう報告するんでしょうね……」
トッパーの疑問に、ソーザはげっぷをしてから適当に頭に浮かんだことを言った。
「報告なんてのは超適当で、モーベイに行く口実ぐらいにしか考えて無さそう……」
「多分、その予想であってると思うで。ルサイドの女は別格や。正式なつがいにならない限りはラケーシ様も体を許したりはせん。しかし、ギルベーダ様にしてみればもう我慢の限界やろうしな……チッ、それにしても、爺さん遅いな」
スタッブスが階段の方に視線を送ると、ちょうど腰の曲がった老オークが酒を持ってやってくるところだった。
その背後の暗がりで、人影のようなものが揺らめいた気がしたがスタッブスは何かの見間違いだと気にもしなかった。
きっと酒のせいに違いない。
上階は獄舎と拷問部屋がある。
今はギルベーダとその部下達が不在の時。
自分たちより階級が上だがグラント氏族の幹部連中よりは下……といった連中が羽目を外して、地底界の他のエリアからさらってきた捕虜や奴隷の他種族女で遊んでいる最中のはずだ。面白いものなど何一つ無い修練場に降りてくるはずがない。
そして、下の階には地上界のオークの都モーベイへと転移できるワールドノードが存在する。
ギルベーダがいるところへわざわざ足を運ぶ愚か者がいるはずがない。
そもそも無断でノード転移したら即処刑だ。
……スタッブス達の中には誰ひとりとして、城下の沼地から城の地下へと通じる秘密通路の存在を知るものはなかった。
だからこそ、老オークの背後に微かに感じた気配など、誰も気にも留めなかった。
× × ×
洞窟を通り抜けて、バサルデ城の地下に潜入してからも拍子抜けするほど何事もなくバルカ達は進んだ。
「おかしい」
廊下を通り抜けたところで、先導役のゼフラは困惑した声を漏らした。
「どうした?」
と、ゼフラのすぐ後ろにいたバルカが尋ねる。
「いくらなんでも警備が薄すぎます。ここまで誰にも会わないなんて」
「いいことじゃないか」とレバームス。
「それは、そうですがっ」
広々とした石畳の部屋の隅に数人のハイオークがいるのを見つけてゼフラはそっと様子を伺った。
ここにも等間隔で、壁にジオルミ照明灯が点灯しているが、精製された照明灯は光量を調節できる。今は夜の時間帯なので明るさはかなり抑えられており、ハイオーク達が酒盛りをしている近くにあるものだけが煌々と光を放っている。
しかもハイオーク達は酒盛りに夢中で全く周囲に注意を払っていなかった。
「……行きましょう。あそこに見える階段を下れば、ワールドノードがあります」
一行は腰を屈め気味に、一切音を立てずに階段の前へと移動した。
「そんな下級オークにさらわれちまったゼフラのことをギルベーダ様はラケーシ様にどう報告するんでしょうね……」
「報告なんては超適当で、モーベイに行く口実ぐらいにしか考えて無さそう……」
ハイオーク達の会話が聞こえてきて、思わずゼフラはバルカに顔を向けた。
バルカは全く動じずに階下に向けて首をかしげた。
——かまわない、行こう。
その顔はゼフラにそう告げていた。
ゼフラが短く頷いた。ちょうどその時――。
おそらく酒が入っているのだろう紐網に包まれた陶器製の瓶を両手に持って上階から降りてきた。
× × ×
地底界ではフロストパームは生長しないため、代替の酒として香草や薬草の汁や粉末を水で煮詰めたり蜜液と混ぜたりして発酵させた酒を飲用することが多い。
酩酊効果を高めるために毒性の強い植物も使用するため、それなりの技術と知識がいる。
ゴロフという名の年老いたオークの男は足腰も悪く、鼻も利かなくなっていたが、酒造りに長けていたためにバサルデ城で働かされていた。
酒瓶を持って階下の修練場へ戻る途中、ゴロフは近眼でぼやけていた視界の隅に何かが見えてわずかに目を見開いた。
誰かがいる。娘だ。
暗がりの中、ぼやけた視界でも肌の色がわかった。
葡萄石のように淡くて美しい肌だ。
「おい爺さん! なんでそこで止まる? 早く来いよ」
ゴロフはハッとして酒盛りをしている若衆の方へ向いて、もごもごと口を動かした。




