第75話 呪染源
食事を済ませると、バルカたちは明日に備えてすぐに眠りについた。
洞窟は、五人のオーク、四人の人間、そして一人の青いエルフがゆったりと体を横たえるくらいの十分な広さがあった。
洞窟の奥にいても外の動物や虫の鳴き声がやかましく聞こえていたが、旅の疲れもあってか皆すぐに熟睡した。
翌日。
地底界には太陽がないため、もちろん朝焼けも日の出もない。
地底界の朝は『光還』という現象から始まる。
天空の星々が強い輝きを取り戻すと、地表のジオルミ結晶も発光を再開し、地底界は朝――というよりも、急激に真昼の明るさに満たされた。
× × ×
洞窟内のジオルミ結晶の光も急激に強まり、眩しい輝きで周囲を照らし出した。
メトーリアはゆっくりと目を開けた。
他の者達はまだ睡眠中だ。起きる気配もない。
隣にはバルカが寝ていて、その向こうにレバームスがいる。
フィラルオーク達とゼフラは岩壁を背に横向きの姿勢で寝ていた。ナキムだけはビオンに背中を預けている。
洞窟内には昨日までは無かった仕切り幕があった。
その区切られた空間の中で昨日は汗を拭き、下着を着替えた。今はウォルシュ、ニーナ、ハントがその中で寝ている。
メトーリアは、バルカの隣で寝ることを選んだ。
バルカの息遣いは微かだ。それに対し、他のオークの寝息はかなり大きい。
洞口から漂う風に乗ってバルカの匂いがする。
オークの身体が発する匂いはかなり強烈で、例えるなら獣の皮を燻した時の煙に土臭さを足したような独特なものだが、隣にいるバルカの体香は木を焼いたときのようなほのかな香ばしさがあるのだ。清々しいスモーキーさというか。
思えばバルカが汗をかいているところを見たことが無い。地底界の蒸し暑さでも汗一つ浮かなかった。だから体香も独特なのだろうか……。
などと、考えているとメトーリアはハッとした顔になって、上体を起こした。
バルカにしか聞こえぬよう顔を近づけて耳打ちする。
「バルカ」
バルカはすぐに目を開けた。
「どうした?」
「水晶が振動している。アルパイス様からの連絡要請だ。一緒に入り口の方まで来てくれ」
アルパイスと連絡を取っていることは、まだウォルシュ達には秘密にしていた。余計な心配をかけさせたくなかったためだ。
「お前、俺が側にいると一昨日みたいにまた緊張するんじゃないか?」
「ッ」
メトーリアは言葉に詰まる。我ながら情けないと思うが、万が一にもあり得ないと分かっていても、バルカが側で聞いているのがバレはしないかという不安感が拭いきれないのだ。
「いいよ。後で何を話したか教えてくれれば」
「えっ」
「その方が気が楽なんじゃないか?」
メトーリアはわずかに考えた後に、かぶりを振った。
「じゃあ側にいた方がいいのか?」
「うん」
「わかった」
ふたりは立ち上がり、洞窟の広間から通路の方へと歩いていった。
× × ×
バルカ達は洞窟を後にし、レバームスに導かれて険しい密林の中を進んでいた。
目的地はもちろん呪染源のある湖だ。
一行はさまざまな動物たちが行き交っていると思しき獣道を利用した。
バルカが先頭に立って、いたるところに密生している植物を斧槍で切り開いている。
そのすぐ後にレバームスとメトーリアとゼフラ。その後方にネイル達に護衛されながらウォルシュ達が続く。
道中、巨大シダの影から、レギウラやアクアルでは見たことも無いような巨大なヤスデが横切ってきてニーナとハントが悲鳴を上げたり、美しい翅をきらめかせながら飛ぶ蝶の大群に見とれたりしながらも、バルカはずんずんと先に進み続けた。
その背を追いかけるように、後方組は急ぎ足で後に続いた。
「アルパイスがいるレギウラ王都メルバは元はリザード族の拠点だった処だ。リザードが使っていたワールドノードが存在してるんだろうな。そこから地底界の何処かのエリアに降りて、魔法通信を可能にしているわけだ」
唐突なレバームスの発言に、彼のすぐ後を歩いていたメトーリアは目を瞠った。
斧槍で藪を切り払っていた手を止め、バルカもびっくりして後ろを振り返った。
「お前っ、朝の話を聞いてたのかッ!?」
「”じゃあ側にいた方がいいのか?” ”うん” ”わかった” いや~随分親密になったもんだな」
「レバームス卿ッ」
盗み聞きされたことに羞恥と怒りがわいたメトーリアはレバームスを睨む。
青エルフは悪びれることもなく肩をすくめた。
その一連のやりとりをゼフラは興味深げに見ていた。
「で、お前ら一体どこまで――あ、わかった、バルカ。真面目な話をしよう。アクアルの人質救出の件だ。だから拳に闘気を込めるのやめろって!」
「続けろレバームス」
バルカは斧槍を握り直して前進を再開しながら背中で語った。
「私も聞きたい。レバームス卿、レギウラの都のどこかにワールドノードがあるということ
がアゼル達をシェイファー館から脱出させるのにどう関係する?」
「バルカ、ワールドノードの中の霊脈回廊が特殊な空間である事はメトーリアに説明したか?」
「した。幻に惑わされて光の道から逸れると迷子になるとも」
「もう少し詳しく説明すると、たしかに脱線して回廊が見えなくなるほどに迷い込むと永遠に霊脈の中を彷徨う羽目になる。それかもしくは――全く別のノードに転移したりするんだ。全てのワールドノードは地上と地底界の結び目であり、霊脈の節としても繋がっているからな。だから――な? バルカ」
バルカが後ろを振り向いた。
「別の行きたいワールドノードに転移できる方法があるんだよ」
ゼフラはそれを聞いて驚いている。どうやらハイオーク達はこの移動法を知らないようだ。
「そうだ。それを利用すれば、レギウラにあるアルパイスが使用したであろうワールドノードを逆に利用して一気にレギウラ王都メルバに転移し、アゼル達を救出して根の谷の大穴のノードまで一気に連れてくることができるというわけだ――なんかデカいのが近づいているな」
レバームスが説明をしている最中からズシン、ズシンという規則的な振動音が聞こえ段々と音が大きくなり何かが近づいていることを示していた。
ヨロイ狼よりも二回りは大きな鹿が、巨大な角を揺らしながら木々の間から現れた。
「ロカ! ロカ! ナキムッ」
「オル」
ビオンの興奮した声に反応して顔を上げた鹿はしばしこちらを見つめた後、くるりと反転して逃げていった。
他にも鬱蒼とした樹々の間を進むたびに、様々な生き物をバルカ達は目にした。
生命のざわめきが響く。葉の擦れ合う音、見え隠れする影……地底界の密林は、まさに生命が息づく世界だった。
レバームスの足取りはまるで熱帯の森林と一体化しているかのように軽やかだ。
時折、危険な肉食獣が忍び寄る気配もあり、後をつけてくるものもいたが、バルカかネイルが一声吠えるだけで、遠ざかっていった。
こうして一行は二日間ほど密林の中を歩いた。
× × ×
アルパイスからの連絡要請は一日に一回は必ず来た。
メトーリアは、できるだけありのまま起きたことをアルパイスに報告した。
退化の秘法の呪染源のことも。地底界で見た生き物たちの話もした。
もちろん魔法通信しているということをバルカとレバームスが知っていることなどは話していない。
× × ×
そして、三日目。
密林の様子がが変わり始めた。
鳥のさえずりが途絶え、昆虫の鳴き声が次第に消えていく。
森の中にあった生の気配が次第に薄れていく。
「もうすぐ目的の湖が見えてくるはずだ」
行く手を阻んでいた雑草もまばらになったので、レバームスがバルカにかわって先頭に立った。
さらに進むと、異変はより明確になった。
葉を繁らせていた樹木は痩せ細ったものが多くなり、枝先から枯れ始め、腐敗した倒木が道をふさぐ。やがて、生い茂っていた樹々は全て枯れ果て、倒れた幹が積み重なりあう光景が広がっていく。
進むほどに、密林は荒廃の度を増していく。
湿り気を帯びていた土は次第に乾き、ひび割れ、ついには砂漠のようになってしまった。
「瘴気が発生している」
動物の気配がしなくなった頃からずっと辺りを観察していたメトーリアが雑感を口にするとレバームスが頷いた。
「強い呪物に近づいている証拠だ」
「バ、バルカ様。本当にこのまま呪いの場所まで行くんですか?」
声は随分と遠くから聞こえてきた。
バルカが振り返ると、ゼフラがいつの間にか後方のネイル達よりさらに後の方まで下がっている。
フィラルオーク達も歩みを止めて動揺していた。
フィラルオークの中で一番レベルの低いビオンは苦しそうに胸を押さえている。
アクアル隊のハントも息苦しそうだったが、ビオンほどではない。
「ハント、大丈夫かの?」と、ウォルシュ。
「正直、前に進む度に息が詰まったようになります……、頭もガンガンする」
「ロロ……ゴウルッ……ゴウル!」
「ビオンッ」
ビオンがしゃがみ込んだのでナキムは慌てて彼の背中をさすりながら、苦しげな夫の顔を覗き込む。
バルカが駆け寄って、メトーリアの霊体損傷を癒やしたときにも使った治療スキルのオーラをビオンにかざす
「瘴気にあてられたか」
「一番レベルが低くて耐性が低いハントよりも、ビオンの方が症状が重い。対オーク専用の呪いの呪染源だからか、瘴気もオーク特効なのか。バルカ、お前は平気か?」
自問自答した後で、レバームスはバルカの様子を伺いながら聞いた。
「これくらい何ともない。だが、フィラルオーク達やハントはこの先は進まない方が良いな……」
「ロ・バルカッ、俺たち、どうすれば――」
「デ・ウェイ! ネイルはみんなを連れて下がってろ。木や草がたくさん生えてたところまで、戻れ」
みなまで言わせず、バルカはネイルに指示を与えた。
ネイルとナキムも、ビオンほどでは無いが瘴気に当てられて苦しそうだ。
「ニーナ、防護魔法を」
「は、はいぃ」
メトーリアの指示でニーナは杖を両手で握り、魔法の詠唱を開始する。バルカの使う炎のようなオーラに包まれる強化魔法とはまた違う、黄色いオーラが皆を包み込んだ。
「二手に分かれよう。ここから先は瘴気に耐えられる奴だけで行く。他は瘴気の影響がない場所まで下がって待機だ」
「正直しんどいが湖が見えるところまでは一緒に行くぞ」と、レバームス。
「バルカ、私も平気だ」
バルカは心配そうにメトーリアを見つめる。
「不快感や頭痛は?」
「ない、大丈夫だ」
「霊体に傷を負ったところが痛むとかはないか? 右膝とか――」
「平気だ。どこも悪くない」
メトーリアが遮るように言ったので、バルカはそれ以上は何も言わなかった。
こうして地底界探索パーティーは二手に分かれた。
そして――。
バルカ達が一つの丘を越えた瞬間、驚くほど美しい湖が現れた。
無風のため、澄みわたった青い湖面はまるで巨大な鏡のように、淡く薄暗い地底界の空と、燦々と輝く星々を完璧に映し出していた。
しかし、バルカは感動などはしない。
むしろ不愉快な記憶を思い出して牙を剥きだし、眉を潜めた。
「瘴気が強すぎる」
バルカがそう口にすると、レバームスも頷いた。
「だろ? まるで稼働中のダンジョンだ。呪染源は……言うまでもないか」
バルカは無言で湖の中心にある小島を指差した。
「あの小島に絶対ある。瘴気は湖全体から発しているがあの小島が特に強い」
「バルカ、あそこまでどうやって行くんだ?」
“湖が見えるところまでは一緒に行く”とレバームスが言った意味をメトーリアは理解した。
瘴気に染まった湖水……少し触れるだけでも、危うい。
肉体にも霊体にもダメージを受けてしまうだろうとメトーリアは感じていた。
木船でもこしらえるのかとメトーリアは考えたがバルカの答えは違った。
「もちろん泳いでいく。今すぐに」
そう言って、バルカは軽装鎧の胸当てと肩当てを外し始め、湖に向かって歩き出した。




