第74話 地底界
霊脈回廊を形作っていた光の粒子は渦となって空間に穴を穿ち、再びワールドノードを形成していた。
「じゃあ、このノードに入ったらいよいよ地底界だ。先頭の俺は向こうで何かあってもすぐ対応できるようにロープを解くが、みんなは地底界に着いてから解いてくれ」
そう言って、バルカはロープを解き、それをしっかりと握りながらワールドノードに足を踏み入れた。
根の谷の大穴のワールドノードでは地面が消えてストンと落下するような感覚があったが、今度は体がふわりと浮くような感覚に包まれた。
まるで重力が消えたかのように足元が頼りなく揺れる。
例の不思議な浮遊感が生じる中、次の瞬間、光の奔流がバルカを包む。
× × ×
熱気と、様々な方向から光が差し込む密林に囲まれたくぼ地。
その中心にあるワールドノードの光が渦の流れが急になり、その中からバルカの姿が浮かび上がった。
周囲を警戒しながら外に出たバルカは手に持ったロープを引く。
ロープがピンと張るまもなく、メトーリア達がワールドノードから次々と出てきた。
最後のひとりが出た後、ワールドノードは放電したようにバチバチと微かな音を立てた後、渦巻く速度が元に戻った。
× × ×
そこは冬を間近に控えたアーガ砦の周辺とは全く異なる世界だった。
霊脈回廊も地上に比べて暖かかったが、ここは蒸し暑い。
地底界というわりには明るかった。
空さえも存在していた。
しかし、地上の青空のような鮮やかさはなく、濃い薄暮の色を帯びた空が頭上に広がっていた。霊脈回廊と同じような見たことのない星々が光り輝いている。そのいくつかはこれも霊脈回廊と同じように、軌道を描くようにゆっくり動き回っていたがその数はごくわずかだ。
なかには嵐の前の雲のようにうごめく星雲もあり、地底界の異質さを感じさせた。
メトーリアは目の前に鬱蒼と広がる森林と木から木へと垂れ下がっている蔓植物を見て思わず呟いた。
「まるで熱帯の森林だな」
アクアルやレギウラは大陸の北方地域で、夏は暑く冬は寒いといった気候だがメトーリアは任務で別の土地に赴いたこともある。その経験からの発言だった。
「確かに南大陸とかの暑い地方に似てるかもな」
と、バルカが受け答えするがメトーリアは短くかぶりを振りながら周囲を見渡す。
「だが、地上の熱帯雨林にはあんな巨大なシダ植物は無いし、光る結晶をまとわりつかせた木々も存在しない」
単なる地下にある空洞では無いとバルカが言ったことに納得せざるを得ない。
地上と隔絶された異界だった。
初めて訪れたメトーリア達アクアル勢は地底界の異様な光景に目を奪われていた。
ナキムとビオンもしきりに周囲を見回して、驚きの声をあげていた。それに引き換えネイルはやや不安げだった。
ネイルの顔をゼフラは不思議そうに見つめる。
「……ネイル様は、以前ここに来たことがあるんですか?」
「昔の俺のこと、わからない。思い出せない。でも、たぶん、俺がいた群れが他の群れに負けてここから追い出されて……上に行った」
そう言ってネイルは真上を指差そうとしてから、首をかしげながら、ワールドノードの方を指を向ける。それから、ふと何かを思い出したのか森林を見つめた。
「あの木に引っ付いてる光る石、小さいころに見たことがある。」
「あれは木の一部ですよ」
「オル? そ、そうか」
巨大シダや森林の最上層を形成している巨木の幹や根元には、発光する結晶が生えているのだ。
上空から降り注ぐ強い星明かりとともに、これらの結晶の光が地底界を明るく照らしていた。
「こ、ここ……暑いですねぇ……」
ニーナは全身をすっぽりと覆う厚手の外套を着込んでいるため、蒸し暑さにすっかりまいっている様子で、地底界の光景に目を向けること無くうなだれていた。
密林のいたるところを明るく照らす光る結晶に、ウォルシュは目を細めた。
「これが地底界……」
と、呟きながら、ウォルシュは近くで腰のロープを解いているハントに話しかけた。
「ハントよ。この光る結晶体、すべてジオルミ石ではないか?」
「え、でも、ジオルミは魔力を付与しないとこんなに強く発光しませんよ」
「感知力に乏しいとわからんかもしれんが、空気中にも土にも、地上とは比べ物にならなんほどの何にも属していない魔力が満ちている。これを吸収し反応を起こして光っているようじゃ」
「はぁ、そうなんすか――あ、ビオン。アイテムボックスありがとう」
「反応が薄いのう。すごいことなんじゃがのう……」
空から降り注ぐ星明かりと結晶の光が白昼のような明るさを地底界にもたらしていた。
真夏に聞く虫たちの鳴き声がそこら中から聞こえてくる。さらに、笛のような短い鳴き声が遠くで聞こえた。
「今のは?」
「え、鹿か何かだろ」
メトーリアの問いにバルカは何気なしに答えた。
「正確にはオオツノ鹿だ」
唐突に森の奥から訂正の声が聞こえてきた。
聞いたことのある声だ。
森の中の倒れた幹の上から気配もなく姿を現したレバームスは、
「地上界では絶滅している大型の鹿だな」
そう付け加えて、幹から降り立った。
長い耳と青い肌。美しいが気怠そうな顔はいつもと変わらないが、いつもやつれていた目つきは、どことなく活き活きとしている。
一足早く単独で地底界へと到着していた彼は、地底界の植物で編まれた軽やかな緑のジャーキンを身にまとい、まるで周囲の森林と一体化しているような気配を漂わせていた。
× × ×
バルカは思わず笑みを浮かべた。
レバームスの今の姿が、かつて魔王討伐パーティーで共に戦った頃の気風を思わせたからだ。
そもそも森はエルフの故郷であり、戦闘においても最も得意とする地形だ。
地底界の過酷な環境にも適応できるサバイバル能力があって当然か。
レバームスの周囲には、ギデオンの指令を受けて、地底界に先行していた一体のプローブ・アイがまとわりつくように飛び回っている。レバームスはそれを鬱陶しそうに軽く手で払いながら一行に近づいてきた。
「レバームス、すぐに会えるとは思わなかったぞ」
「ここ数日はずっと、ワールドノード周辺でお前達が来るのを待ってたんだよ」
「ツテを使うとか何とか言ってなかったか?」
「………………なんだっけ。俺、そんな事言ったか?」
「言ったぞッ。里作りの資材を持ってくるとか何とか……見たところ、連れもいないようだし、里造りの物資や資材も持ってないようだが――」
他にもバルカにはレバームスに話したいこと、聞きたいことが山ほどあったが、
「バルカ、レバームス卿。皆、疲れている。今日はもう休まないか……そういえば、地底界に昼とか夜はあるのか? それとも、もしかして明るいままなのか?」
周囲の光る結晶をちらりと見ながらそう言うメトーリアに、バルカは頷く。
「ある。俺の体感だと朝から大穴を降り初めて、昼過ぎにはワールドノードに辿り着いたと思うんだが……霊脈回廊の時間の流れって不安定だからな……」
「あと半時(約一時間)ほどで夜だよ。それはそうと、たしかに……みんなお疲れのようだな」
レバームスは特にへばっているニーナを見やりながら苦笑した。
「じゃあ俺がねぐらに使っている処へ行こう……それはそうと、見知らぬお嬢さんがいるようだが」
レバームスの記憶力は抜群で、バルカの傘下に入ったフィラルオーク達の顔と名前を全て覚えている。なので新顔のゼフラの存在が気になったようだ。
「地底界のオーク、ゼフラだ。俺が、その、色々あって保護した」
「地上で遭遇したのか?」
「あの、バルカ様。お仲間の……えっと、エルフでしょうか?」と、ゼフラが尋ねる。
「アズルエルフを見るのは初めてか? レバームスっていう昔からの仲間だ」
「ハイオークの娘か」
「レバームス、地底界のオークにもう会ったのか?」
「ああ。隠れてやり過ごしたけどな」
レバームスはそう呟くと、興味を失ったのか、それ以上は何も言わなかった。
× × ×
一行はレバームスの寝泊まりしている場所へとたどり着いた。
そこは、熱帯の森林の奥深く、断層の岩肌にひっそりと開いた岩窟だった。
巨大なシダ植物に覆われ、岩窟の開口部を隠していた。
入口付近は二種類のハーブが密生していて、濃密な香草の匂いで満たされていた。
その葉は通常のものよりも濃い青緑色をしていて、興味を持ったウォルシュが指で触れると微かに発光した。
「おお……」
「強い霊気を発してますねぇ」
ウォルシュと薄手のローブに着替えたニーナが興味津々なのとは反対に、ネイル達フィラルオークは気味悪そうにしている。
「さ、入ってくれ」
「あ、あのレバームス卿。こういう洞窟って中にコウモリや気味悪い虫がうじゃうじゃいるイメージがあるんですけど」
中に入るのをためらうハントを、レバームスはまとわりつくようについて回るプローブ・アイを手で押しやりながら、「大丈夫だ」と制した。
「ミントとローズマリーを植えたのは俺だ。本来育ちやすい環境が違うこの二つのハーブを同じ場所で育てると、特別な性質を持つようになる。ニーナがさっき言ったように強い霊気を放つようになるんだ。その霊気が岩窟の中をこもるようにすると、害虫や瘴気を寄せ付けない。さらに、清潔な空間を保てるんだ」
「あのぅ、どういう風に植えて、どうやって育てて、洞窟内に霊気を満たすんですか?」
治癒士としての職業的好奇心でニーナが尋ねるとレバームスはニヤリと笑った。
「エルフの秘伝だ」
洞窟内部は例の光るジオルミ結晶が点在し、ハーブが放つ霊気の影響か、外のジオルミが放つ白色光とは異なる薄青い光を放っていた。
岩盤を切り出して黒土を詰めた複数の苗床には、様々な珍しい種類の植物が生い茂っている。
「霊薬でも作るつもりなのか?」と、バルカ。
「材料が足りんよ――暇でな」
岩窟の奥には、簡素な寝床が作られており、蔦で編まれた敷物や籠、近くの川で汲んだ水が入った革袋が置かれていた。
レバームスのエルフらしさと、サバイバル能力の高さがうかがえる、機能的かつ隠密性の高い拠点だった。
「ここなら、ハイオークやモンスターに見つかりにくい。しばらく休め」
レバームスがそう言うと、一行は蔦製のマットの上に座った。
ふと、メトーリアは異変を感じて岩窟の外の景色に目を向けた。
突然、入り口から漏れる外の光が暗くなり始めたのだ。
洞窟内のジオルミ結晶の光もそれに呼応するように輝きを弱め、ほんの数分で地底界は闇に包まれた。
「なんだこれは……!」
メトーリアが驚きの声を上げて洞窟の外に出る。
ついてきたニーナは空を見上げた。
「すごい……一瞬で夜になった」
ウォルシュも杖を手に、岩窟の入口に近づきながら呟いた。
「これが星輝没、か……地底界の昼夜サイクルは、霊脈の力が大きく影響しているようですな。地上とは全く異なる」
地底界に夕焼けや朝焼けは存在しない。太陽が存在しないからだ。
そして、昼夜サイクルは地上界よりも急速に変化する。
空の星や光る結晶が同時に急速に光度を下げ、一気に夜になるのだった。
「なぜ地底界の星々が地上界の夜と昼のサイクルを模倣するのか、なぜそれにジオルミ結晶が呼応するのか。よく分かっていない。大きな未知の一つだ。夜は生物発光する飛行生物も見られるぞ。数十種類もいる。その中には非常に美しいものもいるが、危険な奴もいる。中に戻れ。飯にしよう」
一行はそれぞれマットの上に座り直す。ハントとニーナが食事の準備を始める。
ゼフラは岩窟の隅に静かに座り、地底界の故郷に戻った感慨に浸っているようだった。
フィラルオーク達はというと地上界と全く違う世界に警戒しているのか、はたまた嗅覚が鋭すぎて香草の匂いにまいっているのか、洞窟の最奥でナキムとビオンはお互いの身を寄せ合い、ネイルは座ってはいたが、斧槍を肩に担ぎ、柄を握りしめていた。
× × ×
ハントがフロスト・パームワインを蒸留するときに使っていた錬金炉を組み立てて火を起こし錬金釜で例の復元粥をニーナが調理している中、レバームスが岩窟の外を見ながら呟いた。
「結論から言うと、俺はこのエリアで足止めを食らった。地底界は数多くのエリアに分かれていて、そのいくつかは結び目で繋がっている。このエリアにも地竜が創り出した根の谷のノード以外のがあるんだが…すべて地底界にいたオーク達で封鎖されている」
「ツテっていうのは地底界の他のエリアにいるのか?」
バルカが尋ねると、レバームスは頷いた。
「そうだ。俺を含め反ギルド同盟組織であるガエルウラに属しているアズルエルフはしばらくの間つきあいがないが、地底界にはギルド同盟に所属していないエルフやドワーフのコミュニティがあるんだ――」
「ちょっと待て」
「なんだよ」
「しばらくの間ってどのくらいだ?」
「そりゃお前。魔王討伐戦が終わって今日までの間だよ。なんだ、何で頭を抱える?」
「いや、いい。続けてくれ」
「それでな、どうやらハイオークは彼らと敵対――おい、ギデオン! 何でこいつはずっと俺につきまとってるんだ!?」
レバームスは自分の顔にドアップで接近してるプローブ・アイを指差しながら苛立った声で言った。
「あ、地底界に着いたらレバームスを捜索するよう指令してたんデスヨ。その後の行動を特に指定してなかったんで、アナタにずっとくっついてるんデスネ。カワイイじゃないですか♪」
ギデオンがメトーリアの肩の上に現れ、軽い口調で答えると、レバームスは眉をひそめた。
「遠ざけろ。姿も消すようにいえ」
「ハイハイ」
ギデオンがプローブ・アイに指示を出すと、四枚翅を生やした巨眼は、なぜかしぶしぶといった感じでレバームスから離れ、姿を消した。
バルカは話を本題に戻した。
「つまり、話をまとめるとハイオーク達はドワーフやエルフといった他種族と敵対関係にあって、他種族のエリアに行けるノードが封鎖されているわけだな」
「そうだ」
「ゼフラ、間違いないか?」
「はい、特にグラント氏族のギルベーダがこのエリアを平定してからは、エルフやドワーフのエリアに略奪に行くことが多くなりました。それで逆に攻め込まれることもあるので根の谷以外のワールドノードには関所が作られてるんです」
「ノードの四方を石壁で覆い。監視塔や攻撃用の櫓が幾つもある。関所っていうより、ありゃ砦だ」
バルカはため息をついた。
「わかった。ハイオークがしでかしてることについては、また後で話そう。それよりも退化の秘法の呪染源だ。ゼフラがその場所を知っているというんだが…」
「俺も探し当てたぞ。この先に湖がある。そこが呪いの根源だ。湖底にワールドノードがあるんだろう。それで、湖の水が地上の水脈の水と混ざり、呪毒を広めている」
そう言ってから、レバームスはハントから受け取ったフロスト・パームワイン・スピリッツの杯に口をつけた。
それを見たゼフラの顔が青ざめる。おそらく地上の水でつくった酒だと察したのだろう。
彼女にとっては言葉を喋れなくなるまで知性を退化させる恐ろしい“呪いの酒”なのだ。
そんなゼフラをちらりと見てから、バルカは目を細めた。
「なぜそこだと分かった?」
「ハイオーク達がその湖の近くには絶対近寄らないからだ。あと強い瘴気があって、俺もその湖は遠目で確認しただけだ。ネイル達は近づかせない方がいいだろうな。あの瘴気も多分オーク特効だ。近づいただけで衰弱死する可能性がある。だが呪いや瘴気に完全耐性があるお前なら近づけるんじゃないか」
「湖か…ゼフラ、間違いないか?」
バルカがゼフラに確認すると、彼女は敬意を込めた態度で頷いた。
「はい、バルカ様。湖です。間違いないと思います」
レバームスはゼフラの言葉を聞き、一行全体を見渡した。
「よし、なら話は早い。レバームス、明るくなったら先導してくれ」
「だがな、バルカ」
「なんだ」
バルカは少し苛ついた。スピリッツで満たされた杯をハントから受けとりながら、レバームスから視線を切る。彼が何を言うか何となく分かったからだ。
「お前も見たんだろ? ハイオークはかなりの凶暴で。呪いを解いて、あいつらに地上を開放する気か?」
「ここまで来たんだッ」
バルカはスピリッツを一気に飲み干し、杯を床にトンッと、勢いよく置いた。
「呪いは解くッ。地上の広い土地を手に入れれば他の種族と争わなくなるはずだ。それでも暴れるようなら俺がギルベーダとかいうのをぶちのめしてでも、争いをやめさせる!」




