第71話 アルパイスとの魔法通信
「ううん……」
とか、
「ああ……」
と、いった寝息混じりのメトーリアの嘆声が聞こえてくる。
メトーリアに背を向けて横寝していたバルカはできるだけ小さく咳払いをしてから、ごくりと生唾を飲みこんだ。
これまで、メトーリアが側で寝ているときは熟睡していることが殆どで、このような悩ましげな声が聞こえてきたことは無い。
「あっ」
メトーリアは浅い眠りから目が覚めたようだ。
一声発した後、もぞもぞと身動きする音が聞こえ、それっきり天幕内は沈黙に包まれた。
(ね、眠れねえッ)
今になってバルカは、地底界からやってきたハイオークに遭遇する前にビオンとナキムの肉交を見た時の、あの昂ぶりが再び突き上がってくるのを感じたが、直後に、自分が心内で密かに言葉にも出していない、ナキムへのほんの僅かな欲情を目線だけで彼女に気取られてしまったことを思い出し、それがきっかけとなって――。
(~~~~っ)
昔の出来事を思い出してしまっていた。
バルカは無意識に鳩尾に拳を当て、唐突に湧いてきた息が詰まるような感覚に耐えた。
フラッシュバックというものがある。
過去に経験した失敗や屈辱、恥辱。 そういった心の傷をふとした瞬間にまざまざと思い出してしまって、心を乱されてしまうことだ。
人間と同じくオークもフラッシュバックすることがある。
「お前と私がそのような関係になることなど絶対にあり得ぬ。下界の種族が僭越至極な……」
ある女に、そう言われたことを、激しく拒絶されたことを思い出し、バルカは言葉にならない奇声をあげたくなるのを必死に堪えた。
とにかく……バルカもメトーリアも、よく眠れぬまま、夜が明けた。
× × ×
翌朝、根の谷の朝靄が立ち込める中、バルカとメトーリアはまだ他の誰もがまだ寝ているうちに天幕から離れた。
フロストパームの木蔭の中で二人はお互いぎこちない視線を交わした。
メトーリアは夜の夢の影響でバルカと目を合わせるのが気まずく、バルカもまた、フラッシュバックの余韻からくる感情の波に戸惑いを隠せない様子だった。
話を切り出したのはメトーリアの方だった。
アルパイスとの魔法通信を始める前に、バルカと話し合うことが山ほどあると感じていたからだ。
――それにまだ、言っていないこともある。
「バルカ。昨日、お前は言ったよな? アルパイス様と仲良くなればいい。アクアルとレギウラとオーク族が対等な関係になればいい……と」
「おう。お前がアルパイスより強くなればいいとも言ったぞ?」
「それは、今はいい。とにかく私はアクアル領主として決心した。オーク族と友誼を結ぶと。アゼル達を一生シェイファー館に閉じ込めておくことも、民が奴隷のように使役されることも、もう終わりにしたいからだ。む、無論この私の事も含めて」
バルカの淡緑色の顔がパッと明るくなった。
「うむッ。昨日言ってたもんな。覚えてるぞ」
「だが、オーク族は敵性種族とされている。この結束はギルド同盟に反旗を翻すことを意味する。だから、アルパイス様には当然知られてはいけない。他の誰にもだ。このことは分かるよな?」
「……うーん?」
「なんでそこで首をかしげる」
「いや、ギルド同盟に所属してる国を牛耳ってるギルド長老衆だっけか? そいつらに直接ハナシをつければいいだけじゃないかと思うんだが……」
(以前にもそういうことを言っていたが……こいつ本気で言ってるな)
メトーリアは思う。
たしかにバルカは闘神の如く強い。
強力な集団強化魔法も使いこなし強力な軍隊を指揮できる。
だが少々自信過剰すぎないだろうか……と。
(それともまだ何か、バルカには私の知らない力を持っているのだろうか……)
「とにかく、今アルパイス様に敵対種族のオークと公に協力関係を結ぶなど持ちかけることなんかできない。アクアルが反乱を企てていると周辺国や長老衆に報告されるだけだ。いや、もう既に報告しているかもしれない。だから隠しておくしかない。あるいは……秘密裏に、オークと互いに争わない約束を交わしておくことを提案するとか。あるいは、私がお前を籠絡して傀儡にできると可能性があることを提案するとか」
「……”ろうらく”? ”かいらい”?」
「だ、だからお前が! 私の虜になって言いなりになってるって、このまま思うように操ることができるかもしれないと、嘘をつくってことだよ! 騙すって事ッ」
「……なるほどな。わかったよ」
「それに、私は別の指令も独自にアルパイス様から受けていたんだ。お前が私に心を許すように仕向け続けろと。そうすれば、弱点が生まれると。そして――”チャンスがあれば殺せ”とまで、い、言われていたんだ」
「…………」
「今は、その任務を続行中だと思わせておくしかない。だから、これから行われる会話を……しかと聞いていてくれ……頼む。」
× × ×
暗殺。
そんな任務を受けていたことをメトーリアがずっと今まで黙っていたことはバルカの心に、重くのしかかってきた。
だがそれは一瞬のことだった。
すぐに――昨日、”覚悟を決めた”と彼女が言ったこと……。
”本当のつがいになる”とまで言ってくれたことを、バルカは思い出す。
バルカは黙ってメトーリアの言葉に、頷いた。
フロストパームの巨大な幹の側で、メトーリアが魔法通信用の水晶玉をベルトポーチから取り出した。
「バルカ、私の後ろに。水晶玉が見えないところまで下がってくれ」
「わかった」
「念のためもう二歩ぐらい下がって」
「わかった」
「……やっぱり、幹の影に隠れてくれるか?」
「お前、緊張してるのか?」
「し、仕方ないだろ! もうそこでいい。そこから動くなよっ。絶対に声を漏らすなよ」
メトーリアは唇をキュッと引き締め、霊力を注いで、水晶玉を起動した。
水晶玉から発する光が逆光となって、メトーリアの後ろ姿を陰らせる。
アルパイスの顔が水晶玉に映り込んだのかメトーリアは俯くのが見える。
王城内のギルドクリスタルを使って、アルパイスは通信しているのだろうか。
その場合、アルパイスにはクリスタルから投影されるメトーリアの姿が見えているはずだ。
× × ×
「アルパイス様」
しばしの沈黙の後、水晶玉から、アルパイスの落ち着いた声が響く。
フロストパームの木蔭に響くその声は、まるで冷たい風のようにメトーリアの耳を刺した。
『待っていたぞ。お前からのつなぎを』
メトーリアは目を伏せて礼をする
『面を上げよ。メトーリア、顔をよく見せろ』
「は、はい」
水晶玉の中のアルパイスは金色の髪を揺らしながらわずかに首をかしげ、検分を始めた。
『ふむ……映像ではわかりにくいが……変わったな。お前』
「……そうでしょうか」
『あの夜のお前の佇まいや体から漂う気配は……とても男を知ったようには感じられなかったが……』
「……」
「いい具合に仕上がってきているようだな。よい。そのままバルカの側にいろ。奴の心を掌握するのだ』
「は、はい」
“掌握する”という言葉がメトーリアの胸を締め付ける。
「あの、アルパイス様。そうすることで、本当に私はバルカを殺せるのでしょうか?」
× × ×
メトーリアの後方で聞きながら、バルカは思った。
(その疑問はもっともだ。仮にメトーリアが本気で俺の寝込みを襲ったとしても、俺は寝ている間も殺意を感じ取れば即座に全身防御スキルを発動できる。”弱点が生まれる”とはどういうことなんだろうか……)
『……できる。ある暗殺者の話を手短にしてやろう」
アルパイスの声は静かで、どこか遠くを見るような響きを帯びていた。
『昔、ある暗殺者の女がいた。幼少時に両親を殺した仇にさらわれ、その仇に暗殺者として育てられた女だ。その女は肉体関係を結んだ相手を、油断させたところで寝首を取る術を身につけた。肉交を結び、標的の心を絆した状態で不意打ちを食らわせれば、仮に双方のレベルに雲泥の差があっても、あらゆる防御や耐性がほぼ無効化される。なぜだか分かるか』
メトーリアの脳裏に稲妻の如く、バルカがワームナイトに傷つけられた霊体を癒やしてくれたことが思い浮かんだ。
それ以降、はっきりと感じるようになった、ギルドクリスタルを介したパーティー編成術によるものとは比較にならない、バルカとの霊的な結び付き!
「信頼を得たり……性交することで形成される霊体の繋がりが原因ですか」
『そのとおりだ。パーティ編成術によって霊体に繋がりを持ったパーティメンバー同士が、互いのバフや治癒を受け入れるように、暗殺者にとっては会心の、標的にとっては痛恨の〈クリティカル〉が発生し、暗殺は成功するのだ。その女は後に、育ての親である男の寝首をかき、組織を乗っ取った。その女が使ったのと同質のスキルをお前には仕込ませてある。何のスキルかは言わずとも分かろう』
メトーリアは息を呑んだ。
アルパイスの話は、彼女自身の過去を語っていることは明らかだった。
そして、暗殺に使うスキルは、メトーリアの得意とする阻害スキルであることは間違いなかった。
対象の生命力に干渉し、身体能力や思考力を低下させるスキルだが、レベルが低く生命力の弱い者なら、そのまま死ぬ事もある技だ。
それを最大の霊力を込めてクリティカルが発生すれば……。
アルパイスの冷然とした声はさらに続く。
『よいかメトーリア。バルカとの快楽に溺れてもよい。バルカとの関係を愉しんでもよい。だがそれ以上にバルカを溺れさせ虜にさせよ。その差が大きければ大きいほど、暗殺は成就する』
× × ×
(そ、想像以上にやっかいな女だな。メトーリアが”恐ろしい”といっていた意味が分かった)
それはそれとして、バルカはまだメトーリアと、溺れるも何も、性交どころか、ほとんど何もしていないのだが……バルカは思わずいつもの癖で咳払いをしそうになるのを、かろうじて耐えた。
(それにしても……霊体の繋がりを利用した暗殺術だと? そんなもん魔王討伐戦の頃には見たことも聞いたこともない。あれから四百三十年の間にそういった技術が出来上がったということか。それとも、俺がただ知らなかっただけか?)
そんな思考をめぐらせていたバルカは、動揺したのか、わずかに肩を震わせていたメトーリアが突飛な提案をし始めたので目を瞠った。
「アルパイス様、バルカは……彼はオークの中でも桁外れの強さを持っています。レベルだけでなく、呪いへの耐性や戦闘技術も……私がそのような方法で彼を殺せる保証はありません。ですから……」
メトーリアの声は、震えていた。
「ですから、バルカを殺すのではなく、籠絡して傀儡として操るというのはどうでしょう? 彼を味方に引き込めば、レギウラにとっても大きな力になるはずですッ」
アルパイスの声が、険しく、鋭くなった。
『馬鹿なことを言うな、メトーリア。オークを利用してギルド同盟に反旗を翻せとでもいうのか! 貴様がそのような甘い考えで動けば、アクアルもレギウラも滅びるぞ!』
「……わかりました。地上界と地底界を隔てては魔法通信ができないといわれていますが、地底界に到着してからはどうしましょう? 連絡手段がありませんが……」
『問題ない。折を見て同じ刻限に水晶玉で連絡を取れ。これからは私の方から呼びかけることもあるかもしれん。その時はできるだけ応答するように』
× × ×
通信を終えて――。
メトーリアが振り返る。バルカに向けるその顔は蒼白だった。
その理由は、アルパイスから告げられた暗殺術の仕組みに驚いたことや、直前まで暗殺指令を受けていたことをバルカに打ち明けられなかったことなど、様々な原因が入り交じっていたからだ。
バルカも、情報を整理するのに精一杯。
二人はしばらく無言だった。
お互い少し落ち着く時間が必要――そう思ったバルカは、とりとめも無くふと思ったことを口にする。
「最後に、アルパイスの奴、地底界との連絡手段は問題ないって言っていた。つまり、アルパイスも地底界に行ける手段を持っているということになるな」
「う、うん」
バルカが呟くと、メトーリアは水晶玉をベルトポーチにしまいながら頷いた。
× × ×
メトーリアはバルカが今言ったことで、気がかりだったことが心に浮かび上がった。
彼女の頭に、アゼルから又聞きした、レバームスのある推論が浮かぶ。
「”もしアルパイス様も地底界に行ける手段を持っていたのなら――それがシェイファー館にいるアゼル達を脱出させる手立てになる”
と、レバームスがアゼルに言っていたというのだが……どういうことか分かるか、バルカ」
メトーリアの問いに、バルカは一瞬考え込み、静かに答えた。
「多分……地上界と地底界の結び目を利用するつもりだな」
「繋ぎ目?」
「大穴を降りて行って実際みた方がわかりやすい。メトーリア、俺は皆を起こしてくる。お前はアゼルと念話で情報共有しておいてくれ」
そう言ってバルカは天幕の方へ戻っていった。
メトーリアは彼の背中を見つめながら、思案に耽った。
(地底界か。退化の呪いの除去。ハイオーク達とどのようなことになるか……)
メトーリアはアゼルとの念話通信を試みようとこめかみに指先をあてようとするが、その前にアルパイスのことを、思う。
バルカを殺せという、アルパイスの命令は覆らなかった。
アルパイスに逆らってでも、バルカと協力し、オークと友誼を結び、アクアルの民を、アゼル達を隷属から解き放つ。
そのためにはどうすればいいか、何が最善か。
そんなことを考えながら、こめかみに指先をあて、メトーリアは念話通信を開始した。




