第70話 夜陰
根の谷の大穴近くに設営した天幕でバルカ一行が夜を明かそうとしていた頃――。
深夜のレギウラ公国の王都メルバ。
その城の中にあるアルパイスの寝室からは、熱い呻き声が漂っていた。
呻いているのは男の声だ。
男の反応をクスクスと笑う女の声もする。
(久方ぶりのことだ……アルパイス様がこのようなことをされるのは)
寝室と廊下の間にある控えの間で、侍従長のミリアは思わず嘆息する。
公王の近くにいて身の回りの世話をする侍従達を統括する彼女は、アルパイスが公王になる以前からの従者である。
護衛任務も務めており、アルパイスが寝室にいるときは控えの間で常に待機している。
それは、アルパイスが誰かと密会しているときも変わらない。
「どうしたジャレド。ずいぶんと生ぬるいではないか」
寝室からアルパイスの余裕綽々たる声が聞こえてくる。
ミリアもアルパイスの護衛者として相応しいレベルの戦士であり、当然聴覚も鋭い。
寝室内の会話内容の一言一句を、逃さずに捉えてしまう。
「ううっ、ち、チクショウ……」
「私とこういうことをする仲になって、あわよくば籠絡してやろうと思案していた時の威勢はどうした」
「い、いや!? 俺はそんなことはッ――」
「嘘をつくな。目は心の鏡。ヨロイ狼の狩り場にいた時の、私を見るお前の目は確かにそう言っていたぞ」
そのような、会話も聞こえてくる。
ギシギシと軋む物音。
肉が擦れ、打ち合う音もする。
そんな中で、あられもない言葉が交わされているのだ。
ジャレドという男は全力を尽くしてアルパイスの愛撫にこたえようとしているようだったが、呻き声はやがて惑乱した幼児のような、悲鳴に近いものに変わっていく。
ジャレドは先日行われたレギウラ領でのヨロイ狼狩りに参加していた雇われ冒険者だ。
狩り場でアルパイスにぞんざいな口調で話しかけてきたものの、ヨロイ狼を真っ二つにするアルパイスの斬撃に度肝を抜かれた彼は、その後でアルパイスに召し抱えられることとなった。
ミリアの知る限り、アルパイスの寝室にジャレドが来たのは今回が初めてだ。
(しかし、アルパイス様の相手をするのは初めてでは無いかもしれない)
と、アルパイスの冒険者時代からの部下である彼女は思うのだった。
極めて高い隠密スキルを持つアルパイスがその気になれば、夜半の城内の何処も彼処も、誰にも知られずに歩き回ることさえできるからだ。
「……ッ」
ジャレドが息を止める気配がした。
呼吸の仕様さえもアルパイスに掌握されているしまっているかのようだった。
やがて、寝室から恍惚としたため息が聞こえた。
「フッ、ひどい汗だな」
「もう煙も出ねえっす……し、死ぬ」
ジャレッドの声音は完全に下手に回っている。
完全に上下関係がしつけられてしまったようだ。
それに対してアルパイスは、
「何を言う。殺す気ならとっくに殺している」
教え子に諭すような泰然とした物言いで、とんでもないことを言い出した。
「………………はい?」
「ふ、ふふ……そういう技もあるということだ――さあ、もうすぐ夜が明ける。部屋に戻るがよい」
「あの、少し休んでいってもいいですか」
「――だめだ」
ややあって寝室の扉が開いた。
疲れ果てた顔をしたジャレドの汗まみれの姿が現れた。
彼は落ち込んだ様子でミリアの横を無言で通り過ぎて退出していった。
× × ×
ミリアは控えの間から静かに寝室へ入った。
魔法の照明灯の青みがかった白色光が室内を照らしていた。
アルパイスは余韻に浸るように寝そべっていたソファーから裸身を起こした。
「どうした、ミリア」
声もかけずに侍従が主の寝室に入るなど本来あり得ないことだが、アルパイスはさして気にもしていないようだ。
室内はそれこそ公王という大領主の寝室らしく、天蓋付きの大きなベッドやソファーなどがある。
だが、それ以外は全く寝室らしくない。
壁や台座にさまざまな武器が展示物のように掛けられており、魔物を絡め取る鎖網や、煙幕を発生させる火薬玉。魔法の光を放つ照明杖やその他様々なアイテムが保管されていて、まるで武器庫のようだ。
ミリアはシーツに皺一つ無く、全く使用された形跡が無いベッドをチラリと見ながら口を開いた。
「アルパイス様……このようなことを、なぜまた始められたのですか?」
ミリアの声には、微かな非難の色が含まれていた。
アルパイスは立ち上がり、ミリアを一瞥すると、口元に薄い笑みを浮かべた。
「何を今さら。私はあらゆる手管を使って敵を排除し、あるいは籠絡せしめ、部下を鍛えてきた。それはミリア、お前が一番心得ていることではないか」
顔を赤らめたミリアに背を向け、アルパイスは床に落ちていた真っ白な寝衣を拾い上げる。
アルパイスが公王の座についてから十数年の時が経ったが、鍛錬と実戦で鍛え上げられた肉体は、ミリアがそれ以前に見た時と全く変わっていない。
広々とした背中や臀部はたくましさを感じさせつつもうっすらと脂肪を残していて、実に美しい。
(いったいアルパイス様はお幾つなのだろうか……)
レギウラ公国が内外に公表している年齢はあくまで表向きのもので、ミリアのような古参の部下ですらアルパイスの本当の歳を知らない。
所謂『レベル』というものは、経験や修錬によって得られた肉体と霊体の修為……力の段階を表している。
レベルが上昇するたび、肉体と霊体が鍛え上げられ、老化の進行は抑えられていく。
そのため容貌が若いままということは、十代か二十代か……とにかくかなり若いうちから相当な高レベルに達したということの証左となる。
人間女性としては希有な高身長であるその恵体が寝衣に包まれていく間、ミリアは目を伏せようとしたが、見たいという誘惑に抗えなかった。
アルパイスは笑っているようだった。
確かにミリアは知っている。アルパイスのことを知っている。
アルパイスは戦技だけでなく、あらゆる計略……閨房の技をも駆使してのし上がってきた。 ジャレドのように自分に言い寄ってきた者や、挑発してきた者。敵意持つ者や明確に自分を殺しに来た者達を見定め、自分の洞察と直観で支配下におけると断じれば、これを籠絡し、部下として鍛え上げてきた。
アルパイス・テスタードの天賦の才だった。
しかし、今は亡き夫君レイエスと結ばれてからは、レイエスの死後もそのような行動は控えていたはずなのだ。
(メトーリア殿とバルカなるオーク戦士のことが関係しているのだろうか? たしか早朝に魔法通信する予定のはず――)
そんな考えがミリアの脳裏をよぎる。
「メトーリアは――」
アルパイスは月明かりが差し込む窓を見ながら、ふと呟いた。
「今宵もバルカに抱かれているのだろうか」
何とも形容しがたいアルパイスの声音だった。
まるでメトーリアを気づかっているかのようでもあるが……。
ミリアはアルパイスが「隙あらばバルカを殺せ」という指令をメトーリアに与えているのを知っている。
「”抱く”のではなく”抱かれる”ですか」
ミリアは敢えてそう聞いてみる。
「そりゃそうだろう。相手は戦士としてあれほどのレベルに達している男だ。しかもオークの男だぞ……それに、メトーリアはこれまでいかなる任務でも実際に姦通されるところまでは行ってはいまい?」
「はい」
実はアルパイスだけでなくミリアもメトーリアを過去に指導していたのだが、彼女には色香を使っての暗殺や誘い込みの訓練を受けさせたし、そういったスキルを仕込みはしたが、アルパイスの指示により、彼女の操を奪うことはしなかった。
昔からアルパイスにはそういうところがあった。
自らの”女”を駆使して事に当たることはある。
だが、弟子や部下にそういう手管として教えはしても、最後の一線は越えさせない。強要したことがないのだ。
「シェイファー館でバルカはメトーリアと契りを交わしたと言ってきた。メトーリアもバルカに犯されたと私に言った。ただな……それにしては、な。バルカを見るあいつの目が実に初心でな」
「は……」
ミリアはアルパイスとバルカが会談したときにはその場に居合わせていなかったし、バルカと一緒にいるメトーリアの様子を見たことは無い。
今のアルパイスがメトーリアに対して何を思い、考えているのかまではミリアには分からない。
だが、バルカがメトーリアと契りを結んだということと、今夜久しぶりにアルパイスが会って間もない男と肌を重ねたことを思い巡らせてみれば……。
ミリアにはなんとなく分かった気がしたのだった。
× × ×
一方その頃、メトーリアは夢を見ていた。
アルパイスの命令でメトーリアは様々な仕事をしてきた。
その仕事をしてのけている時の夢だ。
彼女は薄暗い部屋の中で、ターゲットの男と向き合っていた。レギウラ国内で非合法なクエストを遂行しようとする犯罪者を摘発する任務――メトーリアが得意とする仕事だ。
男は首筋に霊気を帯びたメトーリアの手刀をたたき込まれ、転倒する。
体が麻痺した男は、濁った目でメトーリアを見つめながら、自らが所属する組織の情報を漏らし始める。
だが、行動不能のはずのその男がむくりと起き上がった。その体が見上げるほどの巨躯になっている。気がついたときには男はバルカに変わっていた。
「っ」
メトーリアは目を開けた。だが、頭が重く。意識はぼんやりとしている。
ふと横を見る。
隣ではバルカが寝ている――否、彼も目を閉じているだけで眠れていないようだった。
メトーリアの視線を感じたのか、バルカは寝返りをうって背を向けた。
メトーリアは浅い眠りに落ちては目を覚まし、また微睡んで目を閉じる――といったことを繰り返す。
今度は後ろから何者かに抱きすくめられる夢だ。
手首が捻られる感覚がしたように感じる。痛みは無い。だが、今度の夢の中では身動きが取れなくなっていた。
「――バルカに抱かれたのか? どのように抱かれた? 手籠めにされたか? それともお前が抱いたのか、手玉に取ったのか――」
アルパイスの声が耳元で聞こえる。下腹へと伸びるアルパイスの手を感じる。
「いや!」
自分に覆い被さっているアルパイスを激しく押し退けて逃れると、次の瞬間には
「オルッ!」
「ビ――ビオ、ン」
ナキムとビオン。オークのつがいが、激しく絡み合っている姿が思い浮かび……
「メトーリア」
バルカの低い声が自分の名を呼んだ気がした。
なぜか夢の中のメトーリアはカッとして反射的にバルカの声がした方へ殴りかかった。
バルカが為す術もなく吹っ飛ぶ。
……現実では到底不可能なことだが、メトーリアはバルカを思う存分打ちすえるのだ。
だが、次第にその様子が変化してゆく。メトーリアは倒れたバルカを押さえ込み、体術の組み手のような形になる。
そこでメトーリアはまた目覚めた。
目覚めたといっても半分はまだ夢の続きの中にいるような状態だ。
支離滅裂な夢をメトーリアはぼうっとした頭で分析しようとする。
(これは……バルカには到底勝つことができない私の願望が、夢に現れた……?)
そう自分を納得させようとするが、夢はさらに進む。メトーリアはバルカにのしかかり、「この! この!」などと叫びながら、軽装鎧の胸当てを素手で引き剥がした。
淡緑色の巌のような胸肌が露わになり、メトーリアは無我夢中で顔を押しつけ、厚く盛り上がった筋肉にくちびるを這わせ始めた。
「あっ……」
思わず声を発し、メトーリアは完全に目を覚ました。
顔も体も火照っている。夢の途中で、まどろみながらも半ば目覚めていたことに気づき、身もだえする。
つまり半分は自分の妄想だったのだ。
(ああもう……なんという淫らことを……しっかりしろ! 夜明けにはアルパイス様との通信が控えているんだぞ。なのになぜ、なぜこんな夢を……ナキムとビオンのあれが頭から離れないからか)
メトーリアは寝返りをうち、バルカに背を向けて目をぎゅっと瞑るのだった。
【おまけ】
□レギウラ公国やメトーリアのバックストーリー
戦技だけではなく、隠密のスキルを持つメトーリアは密偵の任務につくこともあった。
レギウラは建国二十年にも満たない新興国だ。
町や村も新しければ、国民も新しい。大半がギルド同盟からの斡旋などによりやってきた移民だ。
町もそこに住まう人もまだ形成される途上にある。
ギルド同盟未加入の他勢力圏からの不法移民も多い。当然、賭博や魔物の密漁と密売その他様々な非合法クエストを生業とする犯罪者も流入する。
同盟圏外の他国の諜報組織が根を張ろうとする動きも当然ある。
そういったときに、標的を殺すのではなく、捕縛して尋問――などをするときにメトーリアの阻害スキルや麻痺や昏倒などを引き起こす状態異常スキルは非常に役に立つのだ。




