第67話 こじれた想いと茂みの影
後でバルカはなぜこの時にオークの雄らしく、「よし、分かったッッ」と承知しなかったのかと後悔するのだが、あまりに予想外のことに反射的に、
「い、いいのか?」
と、問いかけてしまった。
期待と不安が混じったその言葉に、彼自身も驚いていた。
× × ×
バルカの反応が予想——と、期待——していたものと違うのを見て、夢から覚めたように、メトーリアは急に緊張した。
「ッ、良いも悪いもない。アクアルの民とオーク族のためにも、この際、仕方がないだろうが
」
彼女は焦ってしまい、思わず、アクアルの民とオーク族のため……などと、政略の話を持ちだして、一個人・メトーリアとしての想いを隠してしまう。
「そ、それにお前には借りがある」
その声には、自分の本心を、今一歩さらけ出せなかった自分と、察してくれないバルカへの苛立ちが滲んでいた。
× × ×
「借り?」
「霊体を修復してくれたことだ。その礼を、まだしていない」
「……」
バルカは貸しを作ったなどとは考えていなかった。
むしろメトーリアを危険にさらしたという自責の念があったぐらいだ。
貸し借り。
政略的な意味合い。
知性退化の呪いを受ける以前の、昔のオークにも有力氏族同士がつがいになるといった、いわゆる政略結婚は存在した。
だから今のメトーリアが言い含めているものを内包したつがい……というものをバルカも知らないわけではない。
だからこそ、“それでもいい”という欲望と同時に“それでいいのか”というためらいもあった。
戦場での戦陣指揮や魔物との戦いに“流れ”というものがあるように、こういったことにだって流れが存在することをバルカも知らないわけではない。
もういいのではないか。
当のメトーリアがこう言ってくれているのだ。
「分かった」と即受けすればいいのではないか。
――いや、それならば、アクアルの砦での一夜。
あの時にメトーリアの本心などお構いなしに抱いてしまえば良かったのでは無いかと言うことになるではないか……。
バルカは悩んだ。内心、大いに悩んでいた。
× × ×
(は、早まったのか私は!? いやでも、バルカは私のことを――)
そこで、メトーリアの思考は中断した。
闇の中、フロストパームの下生えの茂みの奥に何者かの気配を感じたからだ。
バルカもすでに気取っていたのか気配がするあたりの茂みを見ている。
(動物?)
メトーリアがそう感じたのもつかの間、「オルッ」とか「ビオン」という声を聞いて、茂みの奥にいるのがナキムだと気づく。
なにやら熱がこもったナキムの呻き声は、獣じみていていつもの彼女の声音では無い。
思わず目を凝らしたメトーリアは、わなわなと体を震わせた。
全てが見えているわけではない。だが、フロストパームの、堆積した枯れ葉の上で、オークの男女が激しく動いているのが分かる。
ナキムと、ビオン。ふたりの上半身が見える。ただでさえ布地の少ない短衣を乱して、前かがみになっているナキムに、ビオンが後ろから覆い被さっている。
俯いているナキムの表情は見えない。
ふたりが何をしているのか、分からないメトーリアではない。
呼吸が乱れ、激しい動悸と共に、あぶら汗をかきながら、無意識にメトーリアは見入ってしまった。
研ぎ澄まされた聴覚が、ふたりがたてている音を捉える。
肌が擦れ、ぶつかり合う音なのだが、今のメトーリアには自らの激しい心音と共に、耳の奥で『ドォーン!』『ドォーン!』とでも形容すべき凄まじい物音に聞こえた。
このようなことを、しかも外で!?
ビオンとナキムが天幕から離れた方向とは逆方向へ移動したはずっ。
何でこんな近くに!?
(わ、わたしもバルカとつがいになれば……このようなことをッ)
わずかな間ではあったが無我夢中で見入っていたメトーリアはハッとして、バルカの方を振り返った。
× × ×
(なんでこんな近くにいるんだよ!?)
バルカはバルカで、息を吞みながら、興奮と得体の知れぬ怒りに駆られていた。
激しい息づかいの間に、何度もナキムはビオンの名を口にしている。
だが、ナキムには羞恥があるのか、大きな声を出すまいと必死に堪えているようだ。
ビオンはというと無言だ。息づかいは昂ぶっているが規則的で、ナキムの体が激しく揺り動かされている。
狩りの腕や戦闘力では妻に劣り、普段はオークの男衆の中でも柔和で優しげなビオンだが今この時は立場が逆転。非常に堂々としていた。
ビオンが今どんな表情をしているのかは、顔が茂みに隠れて分からない。
バルカは分かった気がした。
(これは……俺に見せつけてんのか)
何となくではあるが、自分たちがいる近くまでわざわざ来たのはビオンの意思なんだろうと、バルカは思った。
ナキムは自分のつがいなのだと、バルカに誇示するために。
バルカは肉食獣のように喉を鳴らしてうなった。
(くっそ! ビオンの野郎……やるじゃねえか!)
メトーリアと正式なつがいになるだのなんだという話をしている最中に、このような営みを見せつけられて昂ぶらないはずがない。
バルカは振り返り、燃えるような気持ちでメトーリアを見た。
「……ッ」
バルカと目が合ったメトーリアは、恥じらって目を逸らした。
手で胸をきつく押さえつけ、うつむく彼女に、何か言おうとするが――バルカはビオンとナキムがいる処とはまた別の方向から聞こえる微かな葉擦れの音を聞き取ると、雄としての獣欲が瞬時に鎮まり、険しい顔になる。
武装した兵士の足音。近づいてくる。
数は、十以上。
バルカは、ギデオンをメトーリアに装備させたままだったことを思い出す。
「メトーリア、ギデオンは?」
ただならぬ雰囲気のバルカにメトーリアは戸惑う。
「今は休眠させている」
「すぐに呼び出してくれ」
「! 分かった」
そう返事している間に、メトーリアも気づいた。
「おーおー見ろよ♪」
下卑た男の声を浴びせられ、ビオンは慌てて顔を上げ、ナキムは跳ね起きた。
「下級オークが盛ってやがるぜ」
「へへへ、女を見みろよ。悪かねえぜ」
「ちょっと待て。向こうには人間の女もいるぞ」
現れたのは見知らぬ、完全武装した……言葉を話すオークだった。




