第66話 心が二つある
バルカとメトーリア。
ふたりは天幕から離れ、林立するフロストパームの間を分け入って行く。
メトーリアは後ろからついてくるバルカの足音を聞きながら、アゼルとの会話を思い出していた。
× × ×
「何だとっ?」
根の谷の大穴。その巨大な入り口を間近で見分した後、ギデオンの補助を得てアゼルとの念話通信を行っていたメトーリアは妹から伝えられたことに思わず声をあげた。
(本当にレバームスがそう言っていたのか?)
「うん。お姉ちゃんがアルパイス様と連絡するのは、この通信が終わってから?』
(いや、明日の朝だ……)
『じゃあその時のアルパイス様の出方次第だよね』
(あの方は“このままバルカと共にいろ”と命じられると思う。さっきも言ったが私にバルカを……隙あらば暗殺しろとのご命令だから、な……)
「もしさ、レバームスさんの予想通りになったら、どうする? 逆に、予想と違ってた場合は?』
(う………………)
『これまで通りアルパイス様に従い続けるか……それともバルカさん達オーク勢力と本当の盟友になるか……』
すでにメトーリアはアゼルとお互いの近況を教え合った後だ。
ワームナイトとの戦いで霊体に重大な傷を負い、それをバルカに助けられたことも、そのあと、夜の天幕であったことも全て明瞭に語っていたのにもかかわらず、メトーリアはアゼルのこの問いに窮してしまった。
『私はね、お姉ちゃんには、お姉ちゃんの意思を貫いて欲しい』
(アゼル……)
「私だけじゃ無くてシェイファー館のみんなが知ってるよ。まだ十八歳の若きアクアル領主、メトーリア・シェイファー・アクアルが、武勲で公王の座にまで上り詰めたアルパイス様に次ぐレベルの戦士として到達するには、幼い頃からの筆舌に尽くし難い努力と忍耐があったはずだって』
(……)
『“苦役に耐え、自分の心を殺して責務を遂行する者の抑圧された心身に潜む密やかな情熱は、なんかもう、物凄いものがある”って読んだ本にも書いてあったし……』
(……アゼル?)
「あ、その本のタイトル? 『武勲を立てて領主になったギルド同盟所属の元冒険者だけど何か質問ある?』って題名だよ」
(そこじゃない!)
『あははは! とにかく、お姉ちゃんには悔いの無い決断をしてほしい、かな? だってさ、アルパイス様は“隙があったら殺せ”っていう、かなり大雑把な命令をしてるってことは、お姉ちゃんはまだまだ自分に絶対服従。自分の命令に逆らえないって考えてるってことじゃん? でも、そうじゃない。お姉ちゃんはすでに心が二つあるじゃん?』
(あっ……)
あの時の十四歳の少女とは思えない発言にメトーリアは驚いた。
『アルパイス様との通信の後でいいから、地底界に行く前に教えてね。お姉ちゃんの決断を、ねっ』
× × ×
決断、か。私は……。
焚き火の光が殆ど見えなくなるくらいまで天幕から離れてから、メトーリアは立ち止まって振り返った。
ふたりとも夜目が利く。暗闇でも相手の顔が分かる。
じっと見つめられて、バルカは喉に物が詰まったような顔になり俯いた。
「……気にするな」
「えっ」
「さっきのことだ。フィラルオークは複雑な会話ができない分、匂いや身振り手振り、表情で意思疎通を図っている……だから、お前の視線に過剰に反応した……そんなところだろう?」
「それは、そうだが……」
「なら別に問題は無い。ウォルシュ達には私から説明しておく。私も気にしてないんだから、お前も気に病む必要は無い」
嘘である。
滅茶苦茶に気にしている。
過剰に反応したとはいえ、バルカはナキムに魅力を感じたからこそ“そういう目”で見ていたということ自体は事実なのだ。
面と向かって「好きだ」だの「愛している」だのと言われたわけではないが、バルカが自分に好意を寄せているのはこれまでの言動や行動で明らかだ。
それなのに他の女性の気を引くような目つきや素振りをみせるなど、メトーリアの立場からすれば気にするに決まっている。
(そう、普通なら面白くないはずだ。こういう場合、女なら相手の男に幻滅さえするんじゃ無いだろうか。)
これまで恋愛経験の無かったメトーリアだが、そう客観的に分析する。
だが、メトーリア自身はなぜかこの点に関しては冷静だった。
(不思議だ……。)
――自分でも意外に思うほどに、バルカに対して怒りや嫌悪を感じないことをメトーリアは自覚していた。
それよりも気になっていたのは……。
ネイルは“メトーリアの姐さんを見るのと同じ目でナキムを見た”と、言った。
自分を見るのと同じ視線を送ったことでナキムがあのようになるということは、つまりバルカは私のことを――。
むしろ、このことがメトーリアの頭の中を占めていたのである。
他のフィラルオークは皆、好きな相手に対して直情的な態度をみせ、そして行動する。
だが、バルカはそのような素振りを全く見せないので、もしかしたら、好意を寄せてくれてはいても、それは恋愛的なものでは無いのでは……と。
自分に魅力を感じていないんじゃないのか……と、密かに思っていたのだ。
だがそれは自分の杞憂だった。勘違いだった。
メトーリアはその事に安堵し、喜びがこみ上げた。
それと同時に、動揺し、胸が痛む。
やっぱり――自分以外の女――ナキムにもそういう視線を送ったバルカに対して、改めて腹が立ってくる。
そして、不安も押し寄せた。
これまでの、戦士としての訓練。任務の遂行。アクアル領主としての責任に縛られてきたメトーリアは、自己の個人的な感情を探求する機会もなかったし、そもそも自分の気持ちというものを押し殺すことに慣れてしまっていた。
だが――。
“お姉ちゃんの決断を、ねっ”
アゼルの言葉を思い出し、メトーリアは目を大きく見開いた。
(確かに、地底界へ向かう前に、もう決断すべきだ。だが、その前に――)
メトーリアは意を決して、ベルトポーチに手をかけた。
× × ×
バルカは、てっきりメトーリアに怒られるか、嫌悪されると思っていたが、予想外に冷静な彼女の様子にむしろ身が縮こまる思いがした。
今、メトーリアは無言でこちらをじっと見つめている。
オーク族は嗅覚が鋭敏だ。匂いを発する者の心理状態なども漠然とではあるが読み取れる。
メトーリアから発せられる体香が、不安と何かよくわからん期待感を、バルカの胸中に渦巻かせる。バルカには今の彼女が何を考えているのか、さっぱりわからない。
「話というのはナキムのことじゃない。実は、お前に黙っていたことがあるんだ」
メトーリアはベルトポーチから手の平サイズの水晶玉を取り出した。
それを見てバルカの金色の瞳が揺らめく。水晶玉の魔力を感じ取ったのだ。
「通信用の魔法水晶か」
「そうだ。いままでずっと、これを使ってアルパイス様に状況を報告していた」
「……このことを知っているのは?」
「私とニーナだ。元々指令を受けていたのはニーナで、昨日その役を私が引き継ぐとこになったんだ」
「それまでお前は知らなかったのか」
「ああ。だがある程度は予想はしていた」
「……」
ふたりは見つめ合ったまま、押し黙った。
だがその沈黙はわずかな間だった。
「しょうがないよな」
バルカはポツリと言った。
「……しょうがない?」
「今のお前は俺たちオークと行動を共にしながらも、今はまだアルパイスと主従の関係にあるんだ。例えるなら二つの群れを掛け持ちしているようなもんだろ。だからしょうがないと思う」
バルカは迷うことなく、きっぱりとこたえた。
一気に冷静さを取り戻していた。
「お前は……それでいいのか?」
「逆に聞きたいんだが、メトーリア。お前はアルパイスのことをどう思ってるんだ?」
「ッ!……」
「人質取られて、いいようにこき使われて、俺だったら絶対嫌だけどな。でもお前はアルパイスのことをいつも“様”付けで呼んでるし」
それは、純粋にバルカが疑問に思っていたことだった。
メトーリアとアルパイスの関係はどういうものなのか。
単に人質を取られているから従うしかない――というのとは違うと、何となく感じていたが、メトーリアがアルパイスとの主従関係を断ち切りたくないと考えているのなら、いろいろ話は変わってくる。
「複雑なんだ色々と! 確かにお前から見たら私はあの方の奴隷のように見えるかもしれない。実際、“奴隷領主”と周囲から陰口を囁かれてもいる。でも、アルパイス様は私の師であり、親代わりでもあるんだッ。変に聞こえるかもしれんが、私はあの方を――」
そこまで言って、メトーリアは次の言葉を言いあぐねてしまう。
ぽかんと口を開けたまま視線が泳ぐ。
バルカはメトーリアを待った。
人間の感情は複雑だ。彼女の葛藤を自分が完全に理解できるとも思っていない。
だからメトーリアの次の言葉をじっと待った。
「すまん。なんて言い表したらいいか、わからん。こんなこと、誰にも、アゼルにも話したこと無かったから……」
「頭にこないのか? 人質取られて、アルパイスだけじゃなく娘のデイラに、引っぱたかれたり、その、俺に抱かれろとか、命令されたり……」
「……」
「憎いと思ったことはないのか?」
「デイラ様のことはともかく……アルパイス様のことは、恐いとは思っても、憎いと思ったことはない」
「ふうむ……」
(わからん。全く分からん。だが一つだけ理解できるぞ)
「確かに師匠ってのは恐いよな。それは分かる」
「……そうなのか?」
意外そうなメトーリアの声に、バルカは苦笑した。
「どんな種族の戦士だって自分の師匠は恐かったり、頭が上がらなかったりするもんじゃないか?」
「……お前の師匠というのは、お前の父親なのか?」
「えっ」
「前に、シェイファー館の宴で聞いた。氏族の――オリジニー氏族の長でオークの国の戦士長だったと言っていたから……」
「あ、ああっ。確かに親父には幼い頃に狩りの仕方を教わった。でも、すこし大きくなってからは叔父に斧や槍の使い方などの戦闘術を教わったんだ。厳しくな。だが、俺が心底恐かったのは次の師匠だ。本格的な魔王討伐戦が始まる前にシェンリーに鍛えられたんだ。この名前は歴史に残ってるんだっけか? エミリータ族っていう種族の女なんだが」
「シェンリー……」
それは、伝説の存在だ。
クラウディアン(雲の住人)ともいわれ、はるか大空にある霊異な領域に棲んでいて、ほとんど地上に降り立つことがないといわれる幻の種族。
戦仙女シェンリーは、勇者ベルフェンドラ達を召集した、勇者パーティ――魔王討伐隊――の発起人で、ギルド同盟圏に残る絵や書物などの伝承では、どんな種族も達し得なかった戦闘レベルと、未知の魔法の知識を持っていたといわれている。
……ちなみに、得も言われぬ輝きを放つ美しい女性だったらしい。
「いやぁ、最初会った頃は、恐いなんてもんじゃなかったぞ。魔王との戦いに備えるとかいって、急にさらわれ――召喚されてな。死ぬような思いっていうか実際何度も死んでは蘇生され死んでは蘇生する……を繰り返しちまう修行を強せ……つけてくれてな。まあ、おかげで強くなれたが……」
発言を所々修正しながら、頭を掻きながら遠い目をするバルカだが、言葉通りに受け取っていいものかどうか困惑している様子のメトーリアにハッとして姿勢を正す。
「いや、おれが言いたいのはな。そんなシェンリーとも一緒に戦っていくうちに、一応はちゃんと仲間になれたんだ。だからお前も、アルパイスと仲良くなればいいじゃないかっ」
「なかよく!? ……簡単に言うなッ」
「なんでだ? お前の領国であるアクアル。アルパイスのレギウラ国。俺が率いるオーク族。対等な関係を目指せばいいじゃないか? オークとアクアルとレギウラ。この三つが協力していけばいい」
「…………本当にできると思っているのか?」
「なんでできないと思う? お前を――いや。お前と俺を敵に回すよりもその方が得だと思わせればいい。さらに、お前がアルパイスよりも強くなればいい」
いかにもオークらしい発言に、メトーリアは瞠目した。
アルパイスと仲良くする。
アルパイスと対等になる。
アルパイスよりも強くなる。
どれもこれも、考えもしなかったことだ。
「私が、アルパイス様よりも強く……?」
「ああ! お前はまだまだ強くなれるッ。俺が教えることだってできるしなッ」
暗闇の中、お互いの顔色までは見えない。
だが、いまが日中ならば、耳の先まで赤くなったメトーリアの顔が見えたことだろう。
「ち、地底界へ行くと地上を隔てた魔法通信はできなくなる。だから、明日の朝にアルパイス様に魔法水晶を使って連絡を入れる」
今のバルカの言葉を、これほど嬉しく感じるとは思いもしなかったメトーリアはうわずる声を何とか落ち着かせようとする。
「そのときに、側にいて欲しい。アルパイス様に気取られぬように、ひ、密かに」
「わかった」
「それとな。おまえが、お前がそこまで言ってくれるのなら私も覚悟を決めようと思う」
「ん? ……うん」
「お前と、お前が率いるオークの国。私と、アクアル領。協力関係を盤石のものにするためにも、私とお前はもっと親密な関係になっておくべきだ」
「…………うん。ん、んん? エッ?」
「つまりだ、私とお前が“つがい”だということ……ほ、本当のことにしてしまわないか――と言ってるんだ」
バルカ「――――!?」




