第65話 オークのつがい2
「オルッッ!?」
愕然とした表情で鹿肉を取り落としながらナキムは立ち上がる。
「なんだ? どうしたナキム」
バルカは聞くが、ナキムはオロオロするばかりで、まるで助けを求めるようにビオンやネイルに視線を送った。
ビオンは今にも泣き出しそうな顔で、ナキムとバルカを交互に何度も見ている。
ネイルはというとちょうど肉をむしゃむしゃ食べていたところだったので、それをゴクンと嚥下してから、バルカをまじまじと見つめている。こっちは驚いているというより困惑しているというか呆れているというか……ネイルがバルカに対して初めてみせる顔である。
「一体どうしたんだ……おい、何か言えよネイル」
フィラルオークは共通語が話せないため、野生の動物のように臭いや相手の視線、表情などで多くの物事を判断する。バルカには分からないことが多いのだ。
そうこうしているうちに、よろよろとビオンが立ち上がり、バルカとナキムの間に立った。
手にはメイスが握られている。ビオンはメイスをバルカに突きつけた。
「ロ……ロロ、ロ・バルカ」
そう言ってから、今度は自分の胸を叩く。
「デ――ゲホ! ゲホ!」
強く叩きすぎてむせたビオンは、涙目になりながらも「デ・ビオン!」と名乗りを上げ、身構えた。
その足はガタガタ震えていたが、戦闘態勢だ。
ここまでされればバルカにも分かった。今、ビオンは自分に決闘を申し込んだのだ。
……何故かは全く分からないが。
ナキムがビオンの肩を引いている。止めさせようとしているのだ。だが、ビオンはそれを振りほどきナキムの方を振り返ろうともしない。
「ど、どうしたんじゃ急に」
「バルカ、何が起こってるんだ」
ウォルシュ達は突然の事態に動揺し、メトーリアはバルカに説明を求めた。
「……ビオンが、俺に決闘申し込んできた」
「!? どういうことだ?」
「いや、俺が聞きたいわ! おいネイル、はやく説明してくれよ!」
困った顔をしながらもネイルは答えた。
「だって、長バルカ、メトーリアの姐さんを見る目と同じ目でナキムを見てたから」
「…………はい?」
「群れの長がそんな目で見たら、ナキム、バルカのモノになるしかない。ビオン、それが嫌で戦おうとしてる」
「ちょっと待て! 俺の番の相手はメトーリアだって言ってるだろ!」
「だから、その番の姐さんを見るのと同じ目でナキムを見たでしょ。群れの長、番はいくつも持てる。俺はジェンひとりだけど隣の群れ長だったルドンとか二つか三つ、つがいの相手、いる」
「ま、マジか……いや、君主や氏族長とかそういやそうだったな……俺の親父は母さん一筋だったけど……いやいやいや! 勘違いだ。勘違い! 違う! ち・が・う!!!」
バルカは両手を上げて降参の意を示しながら必死に誤解を解こうとした。
たしかにちょっと、ある種の気持ちを抱きながら、ナキムを見てたのは事実だが……。
「デ・ウェイビオン、ナキム、デ・ウェイ! ラース・ネス! お前ら、一緒に、いろ!」
ナキムとビオンを指差した後、両手を組み合わせながらそういうと、大体の意味は伝わったらしく、ビオンは一気に脱力してしまって、その場にへたり込もうとするがナキムが駆け寄って彼を支えた。
「……オル」
ナキムはバルカとは一切目を合わせずに軽く頭を下げてから、ビオンと一緒に焚き火から離れ、林立するフロストパームの下生えの茂みの奥へと進んでいった。
バルカは頭を抱えてうなだれた。
(口に出してもいないことで……なんでこんな)
「ふむ……つまり」
ウォルシュが顎髭をさすりながら、バルカをじっと見つめた。
「フィラルオークにとって、目は口ほどにものをいう……ということですかな」
「じ、爺さん」
バルカはその言葉に、顔が熱くなり耳の中で自分の鼓動が大きく聞こえるのを感じた。
誤解されているということ――いや、違う。心の中でナキムのことを、
(いいな……)
と、こっそり思ったことを、こんな形で皆に知られたことに狼狽していた。
「バルカ殿。儂もアクアル領主に仕える家臣。一国の主や種族のリーダーともなれば側室を持つのが常なのはわきまえております。ましてや肉体の老化が抑えられ、長命化するほどの高レベル者は子供ができづらいといわれておりますからな」
「い、いや俺は――」
メトーリアとこの先どうなるのかさえ分からないというのに、複数のつがいを……嫁を取ろうなどと、バルカは考えてもいない。
何とかその事を伝えようとしたが、両目をくわっと見開いて顔に血を昇らせているウォルシュを見て、後の言葉が続かなかった。
「しかしっ、メトーリア様との正式な婚儀も執り行っていないうちから他の女性に手をつけようとするのは――」
この指摘に、バルカは一層動揺した。
バルカは人間の国の常識などを詳しく知ってはいないが、メトーリアはアクアルという領国とそこに住む民を治める領主なのだから、オークで例えるなら群れの長に相当する“格”をもつ存在だという認識がある。
オークの世界でも、群れの長同士が番おうというときに、男の方が別の女に手を出したとなれば殺し合いにだってなりかねない。
メトーリアがいまどんな様子なのかものすごく気になった。
だが、彼女の顔を覗うこともできないまま、どう説明すればいいのか地面に視線を落とし、頭の中で言葉がぐるぐると渦巻く。
「爺や、もういい」
メトーリアはすっくと立ち上がった。
てっきり怒っているか、失望しているか……などと予想していたのだが、彼女の声は落ち着いていた。
ハッとしてバルカはメトーリアの顔を見つめた。
その表情は何を考えているのかわからない。
バルカは内心焦った。
“メトーリアを見るのと同じ目でナキムを見てた”からあのような勘違いが発生したということは、当然ながら、メトーリアを見る目もそういう意味を含んでいるということになる。
怒られるのか……それとも?
そんな不安を感じていたバルカだったが、メトーリアから告げられたことは全く違うことだった。
「バルカ、ちょっと来てくれないか。話がある」
そう言って、返事も聞かずにナキム達とは反対の方向へ歩き出した。
メトーリアの声は刺々しいものではなく、かといってつがいのフリをしている時のいかにも親しげなものでもない。
その声に、ごく自然で、ある種の柔らかさをバルカは感じて、動揺が幾分収まっていく。
「わ、わかった」
いまメトーリアはどういう気持ちなんだろうか……。
“話がある”ということはこちらの言い分を聞く耳を持っているということだろうか?
バルカは、足早にメトーリアの後を追った。




