第61話 出発
バルカとギデオン。メトーリアとニーナの会話があった三日後。
オークの知性を低下させている『退化の秘法』の呪染源の捜索と、地底界探索の為に結成されたパーティは、旅の準備を整えると朝早くにアーガ砦を出立した。
目標は根の谷にある地底界へと繋がる大洞穴だ。
出立前に、バルカは同行するネイルに確認した。
「ネイル。群れの争いに負けて追い出されたと言っていたが、その追い出された地底界――地の底へ戻るのに抵抗はないか?」
「…………」
「ええっとな、地の底に行くのが、いやなら、“いやだ”って言っていいんだぞ」
「オルッ、バルカ・デ・ロカ!」
怖がっていると思われたくなかったのか、ネイルは吠えるように原始的なオークの古語を発する。
「地の底へ行く穴、根の谷の先、オレたちみんな行かないようにしてる。でも、長のバルカ行くなら、オレ、いく!」
山砦のアーガ砦の北方面には例の湿原が広がっている。
そこに潜んでいた触手の魔物デフィーラーとその合体種ワームナイトを退治することができたため、昼夜を問わず発生していた怪しい妖霧はすでに消滅している。
今は普通の朝霧が立ちこめ、大小様々な湖沼が霧の向こうに見え隠れしている。
アクアル家臣団の最年長の老臣であり、パーティ唯一の魔法士であるウォルシュはその雄大な光景を眺めていた。
靄の漂う尾根道を歩いていく最中、顔肌に当たる微少な水滴を感じたウォルシュは頬を手で撫でながら、眼下の湿原から目をそらし、隣り合って前を歩くバルカとメトーリアに視線を移した。
「しかしニーナよ。今になってみれば、バルカ殿はとんでもない見つけものじゃったなっ」
ウォルシュは近くにいたニーナに耳打ちする。
すこぶる上機嫌である。
「そ、そうですね〜……」
ふっふっふ……と笑いながら、ウォルシュは顎の下にたくわえられた豊かな白髭をさすりながら己が心情を吐露する。
「いや、最初はオーク族の男をシェイファー家当主の婿になど、亡き先代当主スガル様と奥方のトリーシア様に申し訳がたたぬと思っておったが……これで儂は、もういつ死んでもよいわいっ」
「え、縁起でもないことを言わないでくださいよぉ。それに、アルパイス様がこのままアクアルとオーク勢力が協力関係でいることを許すままにしておくとは考えられません。アゼル様もまだシェイファー館に囚われたままだし」
「なあに、アルパイス公とてバルカ殿の力には恐れをなしていることじゃろうて」
「あ、あはは」
(た、確かに強さはバルカさんの方が上かもないけど、アルパイス様はそんな簡単な人じゃないですよぅ……)
ウォルシュはレギウラ公国王都メルバにあるアクアルの要人達の人質が住まうシェイファー館に在住していた。許可なくアクアルへ帰還することもできない身であったが、ほぼ隠居の身分で近年はメトーリアやニーナのようにアルパイスの命令で働いたことがない。
先代のスガル・シェイファー・アクアルが存命の頃はそうではなかったとニーナは聞いたことがあるが、あまりにもお気楽なウォルシュの様子を見て「アルパイス様の凄さ・恐さは強さだけではないでしょ」と、言いたかった。
アルパイスはかつてのリザード族との戦いで一番の戦功を立てた戦士であるばかりではない。
リザードを追い出した土地をギルド同盟から拝領し、同盟圏内の国々から貧しく、あぶれていた民や有能な開拓希望者を入植させ、レギウラ公国を興した。
そして、たった十数年で比較的安定した国家運営を営んでいる。
それだけではない。
レギウラはギルド同盟圏東端の国だ。
ギルド同盟の勢力拡大を危惧する隣国がリザード族の残党と組んで、東や南の国境では小規模ながらも戦闘が続いている。
これを勝ち抜きながら国を治め続けている力量を持つアルパイスが、優秀な手駒であるメトーリアを、いかようにも酷使できるアクアルの民を、その領土を、無条件に手放すわけがない――というのがニーナの考えだった。
(バルカさんはアルパイス様との秘密会談で“ギルド同盟の上層部にオークがレギウラ国内に侵入したこととかを報告しない"って約束させたらしいけどそんな口約束守ってるとは思えないしなぁ~……もぉ~~~どうするんですかメトーリア様~~~)
× × ×
アーガ砦の西側に広がる郭の石壁を越え、山肌を西に向かって約八キロほど下りつめると、北側と南側の水系の境界線……分水嶺となっているサンピーナ峠に達する。
道中、アーガ砦周辺の木々は、バルカ達が来るまで飢餓状態にあったフィラルオーク達の食糧にされていたため、樹皮を剥がされ、内側の白い部分を漏出していたが、西へと移動していくにつれ、そういった樹木も徐々に少なくなっていった。
「なんかウォルシュの爺さん、最近機嫌がいいよな」
道中、バルカはできるだけさりげなく、メトーリアに話しかけた。
アーガ砦からここまで、並んで歩いていたふたりだが、会話はなかった。
彼女からは話しかけてこないし、バルカとしてはギデオンに言われたことが妙に気になってしまっていたし、さらにメトーリアは機嫌が悪いのか、考え事をしているのか、何となく彼女の表情が曇っているようにみえて、話しかけづらかったのだ。
「私の霊体損傷が完全に治っているのを視て、安堵したのだろう……なあ、今のウォルシュとニーナの会話。全部、聞こえてるんだろう?」
「う、ま、まあな」
「だと思った。私にも聞こえてるぐらいだからな」
「そうなのか?」
「霊体が修復されてから、感覚が以前より鋭くなった気がする」
「そ、そうか」
素っ気ない返事ばかりして、会話が全く続かない。
メトーリアは苛々した。
苛々の原因は他にもある。
アーガ砦を出発する前にバルカとした会話を思い出す。
× × ×
「……地底界の探索か」
「そうだ。一緒に、来てくれるか?」
「むしろ、いいのか? 私が同行しても」
「もちろんだ」
「……本当にいいのか?」
と、メトーリアは何度も確認した。
バルカは嬉しそうに、何度も“もちろんだ”と答えた。
メトーリアは心中では断って欲しいと思っていた。
彼女はバルカを慕う気持ちと、アルパイスからの密命を遂行しなければならないと言う使命の間で、心が激しく揺れ動いていたのだ。
× × ×
「すまん。じゃ、じゃあ、一つ質問があるんだが、いいか?」
メトーリアはハッとした。
なぜだかこっちの気持ちを見透かされたようで、密かにどぎまぎしながら応答する。
「っ、なんだ?」
「ウォルシュは何であんなに考え方を変えたんだ? オークとアクアルの民が友好を結ぶことは別として、俺とお前の関係のことにはめちゃくちゃ怒ってたのに」
「ワームナイトとの戦いで、実際にお前の強さを目の当たりにしたからだろう。さらに霊体修復の件もある」
霊体の損傷に対しては高位治癒士の即急な治癒魔法が必要だ。
霊体はレベルを高めることで備わった能力やスキルを発揮するための大切な基盤だ。
ワームナイトとの戦いで負ったメトーリアの傷は深かった。
修錬と経験によって積み上げたレベルを永遠に失うほどに。
それを極めて初歩的な治癒スキルを一晩中使い続けるという、凄まじい覚悟と集中力の持続が必要な力業で治したバルカの意志の強さ、メトーリアへの想いの強さにウォルシュは愁眉をひらいたのだろう。
「ウォルシュは魔法士だ。私が回復した後、私とお前の間にある霊体の繋がりが強くなっていることも分かっているだろう。だから……」
「認められたってことか?」
「~~~ッ、ウォルシュの考え方は特別なことじゃない。より強い国・勢力と結び付き、一族、領国の安定を図るのは今も昔も同じだろ? そのために政略的な婚姻も結ばれていく」
「それはそうだが……」
「だがお前が生きていた時代と大きく変わっているところもある。
たとえば戦争だ。大昔の戦争はいかに多くの兵力を準備して運用できるかが戦争の勝敗を決する一番の決め手だった。
しかし、魔王との戦いはそれを一変させてしまったといわれている。
全ての種族を巻き込んだ魔王討伐戦以降、それ以前とは比較にならないほどの数多くの高レベルな冒険者……スキル使いや魔法使いが輩出されるようになった。
それは今も続いている。戦争は兵の数だけではなく、いかにレベルの高いスキルや魔法の使い手を用意することができるかが最も重要になった。そんな中でバルカ。お前の力は規格外だ。だから、ウォルシュはお前を認めたんだ」
「……そうか」
「しかもオークの呪いが解ければ、ギルド同盟圏の北東に、同盟未所属の一大勢力が生まれることになる。我々がお前達とレギウラ……いやギルド同盟との渡りを付けれるという状況にでもなれば、アクアルの立場は一変する……などということも考えているだろうさ」
バルカは苦笑した。
「いいなそれ。そうなれば、いいな。同胞達の呪いが解けて暮らしが安定すれば、ギルド同盟の長老衆ってのにはいずれ話を付けに行くつもりだが、同盟全体と揉めたいわけじゃないからな」
(そう簡単にいくわけないだろ!)
心の中でそう叫びながらも、もしかしたらひょっとして……バルカなら本当に天地をひっくり返すようなこともできてしまうんじゃないのか……と期待してしまう思いもあった。
長老衆は同盟に所属する各種族の代表者や大国の首脳で構成されている。
その本部はアクアルやレギウラから遠く離れた同盟宗主国ヴァルダールにある。
バルカは、そこへ殴り込みに行くと平然と言っているのだから。
サンピーナ峠まで辿り着けば、メトーリアは一度水晶玉でアルパイスと連絡を取らなければならない。
無論、バルカにはその事を話してない。
いっそ話してしまおうかと考える。
どうにも居心地が悪い。
(今の私はアルパイス様とバルカを天秤にかけている……)
「バル閣下!」
「!?」
唐突な大声に後ろめたさと迷いでうつむき気味だったメトーリアの顔が跳ね上がった。
声の主は器械精霊ギデオンだ。
砦を出発してから姿を見せなかったが、いきなりの登場である。
「なんだ。その呼び方は……」
「呪染源の場所が特定できましたよ!」
「本当かッ。でかした!」
変な呼び方をされてげんなりしたバルカだったが、ギデオンの報告を聞いて、テンションの高い声をあげ、メトーリアは戸惑いの表情を浮かべた。
(南北の水系の分水嶺となるサンピーナ峠のどこかに地上のオークにかけられた『退化の秘法』という呪いの呪染源が存在するかもしれないという話は聞いていたが……)
「どうやって? そんなに簡単に見つけられるものなのか?」
「それはな……ギデオン、説明してやってくれ」
「じゃあ、彼らを紹介しますネッ。器械精霊ギデオンの名において命ずる、出でよ我が僕!!!」
「あ、ちょっと待て!? いきなり出すな――」
「?」
ギデオン自身が出現したのと同様、浮遊する彼女の小さな体の周囲の空間が歪み、ゆらりと彼女のいう僕が出現する。
「なっ!?」
それを見て、メトーリアは反射的に腰の長剣を抜き払って構える。
ギデオンに呼び出されて姿を現したのは――体の大半を占める巨大な眼球に尻尾のような器官と四枚羽……。
あのワーム・ナイトが使役していた魔物プローブ・アイだった。




