第60話 思い乱れる
バルカが地底界探索のパーティ・メンバーを選ぶ相談をギデオンにする少し前。
「……ニーナと話がある。席を外してもらえるか」
アーガ砦の外で薬草を採りに行っていたアクアルの治療士ニーナが戻ってくると、メトーリアはバルカ達にそう言って、砦天守の天幕の中で彼女と二人っきりになった。
「え、えっと……メトーリア様。すぐに酔い覚まし覚ましの薬を作りますから、しばらくお待ちくださいね」
「……分かった」
昨晩は、病み上がりなのにメトーリアが飲酒したのを知ってものすごい剣幕で怒っていたのに、薬草採りから帰ってきた今のニーナは妙におとなしい。
乳鉢に入れた薬草を乳棒ですり潰しながら、断続的に殆ど声になってない息づかいのような呪文で乳鉢の中身に魔力を込めているニーナをメトーリアは見つめていた。
ニーナは薬草の作業を終えると、備え付けの水瓶から水を汲み始めた。
「ところでニーナ。アルパイス様への報告は滞りないか?」
「っ――」
ニーナの手は一瞬止まったが、それ以上は特に驚いた様子を見せなかった。
「やっぱり、気づいてらしたのですか」
「まあな。今バルカ達と行動を共にしているアクアル隊の中で、アルパイス様直属の部下は私とお前しかいない。だから予想はしていた」
ニーナがすり潰した薬草に水を混ぜ、細長い銀のスプーンでかき混ぜ始めるのを眺めながらメトーリアは沈思する。
……アルパイスとバルカの秘密会談。
メトーリアは改めてあの時のことを思い出してみる。
レギウラの公王アルパイスは国内に侵入して狩り場を荒らしていたフィラルオークを支配できるバルカに目を付け、本来敵性種族であるオークの彼との話し合いの場を密かに設けた。
バルカを利用して、フィラルオークをレギウラから追い出そうとしたのだ。
それに対し、バルカはオーク達をレギウラから撤退させる条件として、退くオーク達を攻撃しないことなどの他に、アルパイスが全く想定していなかった事を要求した。
「フィラルオーク達はメトーリアを群れの副官とみなしている。だから、メトーリアを譲り受けたい」
「アクアルの民を奴隷のような扱いから自由にしてもらいたい――メトーリアの妹や家臣……人質になっている者達も解放して欲しい」
――バルカのこの要求に対し、アルパイスは表面上は平静を装っていたが、内心激昂して拒否しようとした。
だがバルカは――。
「すでにメトーリアとは“つがい”として契りを交わした仲だ。そうなるように、こちらにメトーリアを捧げてきたのは、あなたの息女であるデイラじゃないか」
と、アルパイスの嫡子であるデイラがメトーリアに自分の“夜の相手”をするよう強いた件を持ち出し、さらには自らの圧倒的な戦闘力をチラつかせることによって、アルパイスに――。
「フィラルオークが再び故郷で安寧と暮らせるようになるまで、メトーリアは貴様に預けよう。それ以降のことは、また話し合いの場を持つ。どうだ?」
と、言わしめ、提示した条件にほぼ同意させることに成功。
さらにはアクアルの家臣や領民の協力を得ても良いという言質も取ったのだ。
その結果、メトーリア率いるアクアル隊がバルカ達と行動を共にしている今がある。
事前に知らされていたとはいえ、メトーリアはアルパイスがバルカの要望を受け入れたことに驚きを隠せず、またバルカにこころ惹かれずにはいられなかった。
そして、その気配を隠すことができず、アルパイスに気取らせてしまった。
……その事にメトーリアが気づいたのは、アルパイスが自分の寝室にやって来た後だったが。
シェイファー館のメトーリアの寝室に現れたアルパイスは彼女の忠誠心を確かめようとし、きつく尋問した。その時は何とかごまかしたが、自分がアルパイスに信用されていないことは明らかだった。
それでもアルパイスはメトーリアに、
“バルカと行動を共にし、奴を監視せよ。隙あらば殺せ”
……という命令を下したわけだが、それ以外に具体的な指示は出していない。
それゆえにメトーリアは容易に推しはかることができたのだ。
もう一人の直属配下であるニーナに自分には知らされていない別の指令……バルカ一行の状況と自分の様子を監視し、適宜報告するという任務が課されているということに。
「……申し訳ありません。メトーリア様」
「いいさ。こうして私たち二人が腹を割って話すこともあの方は折り込み済みだろう」
ニーナは様々なクエストでメトーリアと行動を共にすることも多かった。
領主と家臣という関係ではあるが、メトーリアにとってニーナは数少ない同年代の友人であり、姉のような存在でもあった。
おそらくアゼルにとってもそうだ。
任務に従事していない時のニーナは、メトーリアの妹アゼルの世話役をしてるから。
そんなニーナもメトーリアと同様にシェイファー館に人質を取られている。
両親と弟だ。
情報共有していようとしていまいと、ふたりとも人質という弱みを握られていることに変わりはなく、どうすることもできない。こんなことは今までに何度もあったことだった。
ニーナはメトーリアとアゼルへの親愛の情と忠誠心と、アルパイスへの服従心の板挟みになっていたのだ。
それは、メトーリアも痛いほどよく分かっていた。
ニーナは酔い覚ましの水薬をメトーリアに渡した後、決心したように大きく息を吸った後で語り出した。
「メトーリア様、私は全てを報告しています」
「そうだよな」
旅の道中での出来事。
根絶させたとされていた高位の魔物ワームナイトの存在。
またそのワームナイトをバルカが殆どひとりで壊滅させたこと。
アーガ砦などのフィラルオークの里が復興し始めたこと。
オークの呪いに対する抑制薬が投与され始めたこと。
「それから――メトーリア様とバルカさんの仲むつまじさも」
「……そ、そうか」
ニーナは懐から遠くにいるものと会話できる魔法の水晶玉を取り出した。
「実は、今朝方これを渡すように言われました。今後の状況報告はメトーリア様から聞きたいとのことです」
ニーナは水晶玉をメトーリアに渡した直後、はっとして顔を上げた。
「も、もしかしてメトーリア様。バルカさんを暗殺するよう命じられているんですか?」
メトーリアがそういう技を習得しているのをニーナは知っている。
幾つか実際任務をこなしてきたこともだ。
苦い水薬を飲み下してから、メトーリアはため息をついた。
「ああ、そうだ。だが、そもそもできると思うか? ワームナイトとの戦いでも傷一つ負ってないんだぞあいつは」
「アルパイス様は“絆は時に弱みとなる”ともおっしゃられてました……どういうことでしょう?」
「……」
「……アルパイス様の、あの噂って本当なんですかね?」
アルパイスはギルド同盟が仕掛けたリザード族との戦争で功績を上げ、領土を拝領してレギウラ公国を立ち上げたわけだが、それ以前の彼女の経歴はあまり知られていない。
なので、新興国の謎多き公王として、彼女の噂話は山ほどあった。
「どの噂のことだ?」
「昔はギルドの意にそぐわない冒険者や同盟未所属の国の要人を暗殺してたって噂ですよ」
「……」
“バルカに随分と大事にされているようだな。よいぞ。ならばそのまま側にいて奴を監視せよ。奴の弱みを握れ。隙を探るのだ。チャンスがあれば殺せ”
そう言われていたことをメトーリアは思い返す。
レベルを高めた冒険者は時に暗殺によって、その存在を消されてきたという。
(そうか……今の私にはバルカとの間に霊体のつながりがある)
パーティ編成法での繋がりだけではない。霊体治療で長らくバルカとメトーリアの霊体は触れあっていた。それ以降、メトーリアはバルカのことを強く意識するようになった。
おそらくバルカもそうだろう。
そのような間柄で一方がもう一方を害そうとすればどうなるか。
集団強化魔法や集団回復魔法は霊体の繋がりを利用している。
――その逆も又然り。
比類なき強さを誇る英雄でも、たとえば霊力が枯渇した時に、霊体に繋がりをもったパーティメンバー……特に心を許した相手に不意を突かれれば、不覚を取るだろう。
(私がバルカの弱点になっているということか……)
バルカの無双ぶりを見て、あらゆる攻撃や阻害スキルに対する肉体と霊体の強靱さからして、暗殺は絶対不可能とメトーリアは考えていた。
だが。
このままバルカが自分に気を許し、さらに彼との霊体の繋がりが強まれば可能だというのだろうか……。
アルパイス自身も過去にそのような経験があるのだろうか。
そして、メトーリアなら実行できると計算していたのだろうか……メトーリアは青ざめた。
「うぅ~……グス。でも、そんな……酷いですぅ」
ふと気がつくとニーナはうつむいて泣いている。
「どうした? 何故お前が泣く?」
「だって、愛する者を殺せなんて命令、いくらなんでも辛すぎますぅ」
「えっ……あ、いやちょっと待て。いいかニーナ。この際お前だけには話しておくが、私はバルカと本当に契りを交わしてるわけじゃないんだ」
「…………へ?」
洟をすする音が止まり、ニーナはメトーリアを気が抜けた目で見つめた。
さらに状況を詳しく説明しようとしていたメトーリアはどうにも気まずい気分になって、わずかな間、言いあぐねていたが、やがて大きく息を吸ってからまくし立てるように話し始めた。
「成り行き上そういうことになったというか。そういう風に見せかけているというか。その、私とバルカはその、あれだ。こ、恋仲になって、将来を誓い合った仲ということになっているが、本当に付き合っているわけじゃない。それはあくまでアクアルの民とオークが同盟を結ぶことをアルパイス様に同意させるためであって――」
メトーリアの説明を聞くうちにニーナの表情はみるみる困惑顔になった。
「で、でも、昨日この天幕の中でふたりっきりで愛を交わしていたじゃないですかっ」
「い、い、いいいやいやいや! 違うッ。あくまでも話をしていただけだ! これから先、オークの長となったあいつが、ギルド同盟とどう渡り合っていくつもりかとか。その中でアクアルとどういう関係を築きあげるつもりなのかとか、そういうことを聞きたくて――途中で話がうやむやになったが」
「でもでも! なんか抱き上げられてたじゃないですか? あれどういうプレイだったのか未だに私、分かんないんですけどぉ!?」
「プ、プレイとか言うな! と、とにかくあれは違う。昨晩はただ一緒に酒を飲んで……寝ただけだ」
「…………そういえば、ここでおふたりは一緒に寝たんですよね?」
天幕の中を見渡しながらニーナが言う。
「そうだが?」
「メトーリア様。シェイファー館からここまでの旅でも、途中からバルカさんとふたりっきりで寝てましたよね」
「ああ。だがそれも契りを……オーク達がいうところの“つがい”になっているという演技のためであって――」
「さすがにやりすぎですよ! いいですか? バルカさんだって男なんですよッ。しかもオーク!」
「で、でもあいつとは、最初に出会った日の夜もアクアル砦の寝室で一緒に酒を飲んだが、何もしてこなかったぞ――あっ」
これはマズいことをバラしてしまったとメトーリアが思ったときにはもう遅かった。
「何してんですか……何してんですか!!!??? シェイファー家当主、アクアル領主ともあろう方が、なにしてるんですかぁ!?」
「デイラ様に命令されたんだよ! 色仕掛けでバルカを籠絡しろって!」
「あんの内政向きなのに無駄に外働きしたがる傲慢無知な出しゃばりマザコン七光り女め~~~~~ッッッ」
わなわなと怒りで十九歳という年齢よりは幼く見える顔を真っ赤にして体を震わせていたニーナだったが、急に喜怒哀楽が出ていないスンッとしたすまし顔になった。
(きゅ、急に落ち着いた)
「メトーリア様。これから私が、アクアルの家臣としてではなく、年上の女性として、あなたに色々ご説明したいことがあります」
「(歳は一つしか違わないだろ)色々ってなんだ」
「交際。いわゆるデートとか。恋人になるまえの、恋人になるかも知れない? みたいな相手とのお付き合いの仕方とかについて、できるだけわかりやすく丁寧にご説明しますから。あのですね。二人っきりで食事をするとき、お昼のランチよりも、ディナーの方がとっても意味が深いんです。わかりますよね?」
「……」
「わ・か・り・ま・す・よ・ね?」
「う、うん」
いまやニーナは立ち上がり、背中を丸めて座り込んでいるメトーリアに覆い被さるかのような勢いで力説する。
「そして! その時にお酒を飲むのはオススメしません。とくにグデングデンになるまで酩酊するなんてもってのほかですッ」
「わ、わかった……」
「ちなみに昨日はどういう流れでこの天幕で飲み交わすことになったんですか?」
メトーリアは咳払いした。
急に喉元が苦しくなって、隠密服の襟元を指で引っ張る。
「ええっと、ゴホン! 下の階で行われた宴会に参加してるときに、私が、誘った」
ニーナは額に手を当てて天を仰いだ。
「もおおおおッ! それっ完全に相手が勘違いする奴じゃないですか。ヤル気満々だって思われてもしかたないですよ?」
「お、おまえ……ニーナ、ちょっと言動が下品じゃないか!?」
「寝室に殿方を連れ込むひとに言われたくないですぅ――はぁ、メトーリア様。とにかくバルカさんとの関係が複雑なことは分かりました。でも、ちゃんと自分の気持ちを整理してください。本当はバルカさんとどうなりたいんですか?」
「う……」
「バルカさんは絶対メトーリア様のことを好きなはずだし、私はてっきりメトーリア様もそうだと思ってたんですけど」
「私は――」
メトーリアは答えかけるが、それ以上が言葉にできず、水薬が入っていた器を両手で絶え間なく弄くり回し始めた。
遠く離れたレギウラ王都メルバにあるシェイファー館には人質となっているアクアルの民がいる。妹のアゼルがいるのだ。
“隙を探るのだ。チャンスがあれば殺せ"
脳裏にアルパイスの声が蘇る。
幼い頃からずっと、自分の感情を圧し殺してアルパイスやデイラの命令に従うことに、葛藤や疑念を抱かぬような心構えをするようになっていたメトーリアにとって、バルカへの想いを言葉に出して言うことができない。
「……申し訳ありませんメトーリア様。ちょっと出しゃばり過ぎましたね、私」
「い、いや」
「じゃあこれだけ教えてください。昨日何で抱き上げられてたんですか?」
気を取り直したような口調でぬけぬけとそう問われて、ピタリと器の表面を滑っていた指先が止まった。
メトーリアは、じろりとニーナを見やる。
「なんで、そこにこだわるッ」
「そこだけは気になるんですッ。家臣として! オーク流のスキンシップとかバルカさん言ってましたけど絶対嘘でしょ??」
(ただの好奇心なんじゃないか……まったく)
「……アクアルの砦で、バルカに色仕掛けを敢行したといったろ? あの時バルカは私の本意じゃないことに気づいて私を止めたんだ」
「ふぇ~本当ですか!? 他のオークの皆さんは結構アレなのにバルカさん超紳士ですねッ」
「その時に子供のように抱き上げられたんだ。そんなの、幼いときに父上にしかされたことないから、どうしても父上のことを思い出してしまって……その事をバルカに言ったら、その――な、なりゆきで“じゃあもう一度抱き上げてみよう”ということ、に――」
喋っていくうちにありありと昨夜の出来事が目に浮かんでくる。
『…………………………やってみろ』
『だってオークの番は大部屋で今やってる酒宴で、お互いの体をぴったりと寄り添わせていたじゃないか?』
『私を抱き上げるくらいのスキンシップをしなければ、一部のフィラルオーク達は私たちを番とは思ってくれないんじゃないのか?』
酔った勢いとはいえ、このようなことを口にのぼせていたことをハッキリと思い起こして、メトーリアの顔は真っ赤になっていく。
ニーナはというと眉根を寄せて困った顔をした。
「言ったんですか? バルカさんに?」
「言った……“お前と亡きお父様を重ね合わせた"と」
「……普通、そんな事言われたら白けちゃいますよ。よくそれであんな熱々な雰囲気に……」
「は? なんでだ?」
「だってぇ~、メトーリア様だって逆にバルカさんに“メトーリア、俺の母親になってくれ”なんて言われたらドン引きするでしょ?」
「ち、父親になってくれなんて言ってない!! ただ重ね合わせたと――え、あ、ま、待て。バルカが来る」
「え?」
霊体に強い繋がりができたメトーリアは以前よりも鋭敏にバルカの存在を察知できるようになっていた。
ふたりは会話を中断して、なぜか息さえ潜めて、お互いの顔を見合わせる。
しばらくしてからバルカの声が聞こえた。
「メトーリア、ニーナ。との話は済んだか? 地底界探索のことで俺も話があるんだが」
「……分かった。入ってくれ」
――本当はバルカさんとどうなりたいんですか?
先ほどのニーナの問いかけを頭のなかで反芻しながら、メトーリアはバルカを天幕の中に招き入れるのだった。




