(1)『肉体もスケルトンも同じこと!エターナルに続く!パシフィックオーシャン固体球!?無機質無芳香空間!?』
新連載です。よろしくお願いします。
私は悟ってしまったよ。肉体無いしも、スケルトン。どんどん皆無に近づいていくタイムリミット・タイムリミッター。老齢社会の根幹は、肉体の節度を守っていくいくいく。肉体限度がある限り、限度限度と同じこと。肉体=お金だと。マネタイズ根幹同じこと。マネタイズ=肉体だとは。思ってなかった。思ってなかった。
今更気づけどもう遅い?それならスケルトンになろうか?いやいや、待て待て、肉体の説明終わってないだろう!肉体何て、お金以外にもあるし、あるし、肉体とは全て、神が想像した、紙なのだ。だから、神が創造した紙は、お金になってマネタイズされているのだ。それは、永遠にエターナルに終了しないと思う。それは、万物の神が想像した紙だからだ。
紙のプロレスと同じこと。永遠に終わることのない雑誌。私は悟っていたけどね。
地球万物終了せども、無機質無芳香宇宙は存在するね。そこでも紙の存在は消去されずに掲載されてく、残滓されて残ってく。残ってるのは、肉体と気体と紙と空間。空間はメディアに。紙のプロレスもメディアで、紙が想像した神なのだ。そこに真実を見つけたね。今書きながら、見つけたね。
パシフィックオーシャン、そう、青い海は、残ってく。どんどんCOLORをサヨナラしても、COLORを変えても枯渇しない。枯渇しても、どんどん、残っていく。残滓していく枯渇した沼。沼にハマっていく偶像崇拝も枯渇しない。偶像崇拝の対象が変化するだけで、偶像崇拝というメタフィクションというメタファーという器は、変化しないし、更新されていく。伝統芸能みたいなものさ。
そういう昔からの過去からの「伝統」は変化しないし、肉体もスケルトンも宇宙空間も芳香の香りも無芳香も変化させないし、「文化」として残していく。そうしないと、スケルトン=幽霊になっても、肉体が変化しても、輪廻転生しても、暮らしにくいから文化にして残していく。「残す」という事が「無限の可能性を秘めた伝統文化」であり「残すという伝統」であり「伝統」なのだ。
そして、最終的に、地球が皆無になったとしても、人類滅亡の危機が訪れようとしても、人類のタネが何処かに振り撒いてきて。神が何処かの星に同じ星を創造する。そうして、同じ、星々が形成されて、想像されているのが、今の現状だと思うし、過去でもあり、未来でもある。
だから、何があっても、何者も何者でもなくても「何」も変化しない。そうすることによって、バランスが管理されている。今の状態は、2ちゃんねるの状態。そうして、5ちゃんねるに変化し、これは、あくまでも、例え話だが、ペンギン村になるのではないのか?と、例える。例えなのだが。
だから、何も変化しない。変化しているように見えているだけで、それは、感覚的なもの。「何」の状態。「何者」の状態。それが、デフォルト。高齢化社会とか情報化社会とかネット世代とか、云々とか、それは「名前」であって「ネーミング」。「何」も「何者」も変化しない。そして「スケルトン」になるのか?「肉体」のままで存在するのか?は自由だと思う。
そうして「何」は出来ている。「何者」も出来ている。
「何」=「全」。「何者」=「形or空気」。
「私は、幽霊作家になりたい。超絶に!!!(願望)幽霊になっても文章書く!!!」
両面の意味で。
(了)
お読みいただき、ありがとうございます。