突然の……、
「くそ……あのタヌキ親父達……。憶えていろよ……」
「え? 何かおっしゃいました?」
アルディスが何かつぶやいていたようだったが、よく聞こえなかった。
「ううん。何でもないよ。ヴィクトリア嬢といっぱいお話ができてよかった」と嬉しそうに目を細めるが、ふいに心配そうな顔になった。
「でも…やっぱり僕と家族になるのは……いや?」
またあざとく小首を傾げ、美しい顔をひそめて聞いてくる。アルディスはヴィクトリアが婚約を嫌がっているとやっぱり疑っているのだろう。
(家族——。そうだ、わたくしの婚約者は、アルディス様ではなくレイヴィス様……)
——と、思い出した途端、冷水を浴びたかのように一瞬で心が冷えた。
「……いや、では、ないです……」
「そう。安心した!」とアルディスは晴れやかな笑顔をみせたが、ヴィクトリアの気持ちは晴れずに逆に暗い雲に覆われた様に陰りはじめていた。
「じゃあ、お茶がなくて申し訳ないけど……。これでも食べようか?」
そういって、ひらいた手の平には、先ほどガゼボに用意してあったお茶菓子がふたつ乗っていた。
「え……。いつの間に……?」
「さあ、どうぞ」といわれて貰ったレーズンサンドはかすかに光を帯びて見えた。
(キラキラしておいしそう……。えぇ…。皇都のお菓子って輝いて見えるの……?)
なんだかそんなことを思う自分が田舎者みたいで恥ずかしくなり、おいしそうなお菓子で冷えていた心がちょっぴり暖かくなった現金な自分がさらに恥ずかしくなった。
いただきますといって食べたお菓子——レーズンサンドは、評判のお菓子というだけあって、とてもおいしかった。クッキー生地はさくさくと小麦の香り高く、クリームはふわふわでたっぷりと中に入ったラムレーズンは噛むとじゅわっと果肉とお酒の風味が豊かに溢れ出す。少々難があるとすれば、口に含んだ時にクリームがはみ出て食べにくいというところだろうか。
「あ、ヴィクトリア嬢、クリームがほっぺについてるよ」
そう言われ「え。やだ。どちらかしら——」と聞いた瞬間に、右の口の端ちかくをぺろりとなめられていた。
(え??????)
ヴィクトリアは一瞬で石になった。と同時に、生垣がガサガサと音を立て、焦ったような「こらっ」という声と共にアルディスがヴィクトリアから引きはがされた。
「何てことしてるんだ! 初めてあった御令嬢に!」
生垣から突然現れたレイヴィスに首根っこをつかまれたまま、アルディスは悪びれもせず「ほっぺについたクリームを取っていただけですよ」と言っていた。
「教えるか、手でとればいいだろう!」
まったくその通りである。ヴィクトリアはまだ混乱の極みでアワアワしていて赤面と硬直がとれない。
「すまない。ヴィクトリア嬢……! 大丈夫ですか? こんなところにいるなんて思わなくて、弟と二人きりにしてしまって申し訳ない……」
言われてみれば、将来家族になるといえども、婚約者以外の男性と二人きりになってしまった……! ヴィクトリアはおおいに焦った。
「……は、ひ、ぃえ。た、たぶん…だ……大丈夫……です…わ…(よね?)」
「そうだよ。レイ。別に心配するようなことは何もないよ。僕はヴィクトリア嬢に庭を案内して、未来の家族として仲良くなろうとしただけなんだから。ね?」
まるで薔薇がほころぶかのような美しい笑みを浮かべ、アルディスは爽やかにそう言った。
その日の顔合わせの後屋敷に戻り、家族に婚約者はどうだったか聞かれたが、ヴィクトリアはアルディスの薔薇のような笑顔は鮮やかに思い出せたのに、婚約者たるレイヴィスの顔が困ったことにどうしてもぼんやりとしか思い出せなかったのである。
ありがとうございました。
楽しんでもらえたでしょうか。
気に入っていただけましたら、ブックマーク・評価をいただけると嬉しいです!