ヴィクトリアの告白
そうしてヴィクトリアは、ずっと心の奥に封じ込め苦しくわだかまっていたことを、アルディスに吐き出した。
今まで男爵家の後継者となるつもりで努力していたこと、ルキア侯爵家継嗣との婚約は自分が男爵家後継から外れたと思ったこと、そしてそれは自分が父親から見捨てられたのだと思ったこと……
高い矜持を持って育ったヴィクトリアが、初対面の男の子にこんなことを吐露するなど普段なら有り得ないことだったが、アルディスが何故か自分を本気で心配し無条件で受け入れていることを、無意識に感じ取っていたからかもしれない。
まだ混乱している心の内を、少しずつ整理して話している間、アルディスは時々頷き、優しく相槌をうつ。その声の暖かさに、じわりと眦が熱くなった。ヴィクトリアは滲んでくる水滴を瞼で止める為に、咄嗟に顔を伏せる——と、気が付けばヴィクトリアの頭は、アルディスの腕の中に隠されるように、柔らかく包み込まれていた。
「……泣いてもいいよ? 誰も見てないから」
まだ声変わり前の高くそしてひどく優しい声に、また鼻がツンとして涙腺がゆるみそうになった。きっとヴィクトリアが泣き顔を見られたくないと思っていることを察して、その腕の中に隠してくれたのだ。
アルディスの胸から薔薇の移り香とアルディス自身の爽やかな香りがヴィクトリアの鼻腔を擽った。それはどこかヴィクトリアをホッとさせて、どうしてこんなにもアルディスに心を許してしまっているのだろう……と思い、ふいに、自分がアルディスの腕の中にいることに気付き、今更だが———はっとした。
「いいえ! 泣きません!」
ヴィクトリアは急いでアルヴィスの腕から抜け出した。
たとえ父から見離されようとも、いままで男爵家後継者として育てられてきた貴族の矜持が人前で泣くなど許さない。ヴィクトリアは傲然と顔をあげた。
アルヴィスは空いてしまった腕をさみしげに下ろし、泣くまいと顔に力を入れているヴィクトリアを見て思わずくすくすと笑った。
「そんなにムキにならなくても」
「ムキになってなんかいません!!」
「わかった、わかった。むきになってない、なってない」と今度はにやにやと笑う。
「そういう気の強そうなところもまた可愛いね」
「——なっ!」
年下の男の子にそんなことを言われて狼狽えるなんて、自分でもどうかしていると思うが、顔に全ての熱源が集中したかのようにかあっとし、口ははくはくと息を漏らすだけで、まともな言葉が出てこない。
そのうえ、何度も「可愛いなぁ……」とアルディスは繰り返しうっとりと呟き、ヴィクトリアの頭をまた撫でるのだ。ヴィクトリアは何故かその手を払いのけられない自分にただただ戸惑っていた。
「さて、ヴィクトリア嬢が元気になったところで、ちょっと聞くけど……」
アルヴィスが急にがらりと真面目な口調に切り替えたので、ヴィクトリアの背も思わずしゃんとして正面から向き合った。
「今までの話を聞いても、僕はアルバート男爵が君を見限ったとかそういうふうには全く思わないけれども、」
「…っ、それは」
すっとヴィクトリアの前に掌を上げて、「反論があるのはわかるけど、まあ聞いて」とヴィクトリアの発言を止めて続けた。
「仮に、見限っていたとして、君はもう家業の手伝いも勉強もしたくなくなったのかい?
今までのことは無理矢理やらされていて、無駄だった、と思っているの?」
「そんなこと! 思うわけないわ!」
そのように思われるのは、ヴィクトリアにとって心外以外のなにものでもない。
「わたくしは工房の仕事が好きですわ! 無理矢理だなんて思ったことありません!」
「ほんとに? 義務感とか、まわりの人間がみんな関わっているから自分だけやらないなんて言えない、なんてことあるんじゃないの?」
「違うわ! わたくし染色も機織りも…………大好きだわ。糸や布が鮮やかに染まっていく瞬間とか、お客様が出来上がったドレスを見た時の嬉しそうなお顔とか……。あの時間を工房のみんなと一緒に共有することがなにより好きなの……。すごく、すごく楽しいの……!」
ヴィクトリアは話しているうちに、自分でも自覚していなかった家業に対する気持ちに気付き、その気付きを与えてくれたアルディスに対して、感謝の笑みを向けた。
「ふ、ふぅん……。じゃ、じゃあ聞くけど、最近一番楽しかったことってなに?」
急に笑顔を向けられたアルディスは照れてその顔を赤くしながら、誤魔化すように先を促した。
「最近……。あ、それはあれね! 先月、うちの工房の職人の娘さんが結婚をしましたの。
その娘さん、アンナはお義母様のメイドをしていたので、辞める時に、お義母様が自分の着なくなったドレスをお祝いだってプレゼントされて。それを工房のみんなで婚礼衣装にお直しをして……。わたくしはじめてのお直しのお手伝いでしたから、うれしくて直したドレスをずっと眺めてしまったわ……。
それで当日は工房のみんなと教会にお祝いに行きましたの。アンナはとてもきれいで幸せそうでした。ドレスも涙を流して喜んでくれて、アンナのお友達もドレスをすっごく羨ましがっていて! 感激しましたわ……」
ここでヴィクトリアはその時のことを思い出したようで、顔を上気させ、ほうと一息ついた。が、すぐに嬉しそうだった顔を曇らせ、眉をさげた。
「でもその時に、平民の女の人は絹のドレスを結婚式でも着ることがないのだと知って、少しさみしくなりました。御存じでしたか? 平民の女の人の結婚式は、せいぜい新品の木綿のワンピースを着るだけなのですって……」
「そう……」
「だからね、わたくし思いましたの。貴族の型遅れのドレスを安く買い取ってお直ししたものを貸せば、町の女の人達の結婚式で喜ばれるのではないかしらって! 木綿のワンピース程度の金額なら、誰もが手を出せると思うの! これって商売にもなるのではないかしらって!」と思わず握った拳に力が入る。
「へぇ……。面白いね。レンタルか……」
「れ、れんた……?」
アルディスがニヤリと笑いながらヴィクトリアにはよく聞き取れない言葉を口にしたので、聞き返した。
「あ、ああ。例えばある程度のサイズ別にドレスを元から何着が用意しておいて、それを安い金額で平民の女性に貸し出すってことでしょ?」
サスキアでは平民だろうと貴族だろうと、花嫁の婚礼衣装は親か自分で用意する。貸し借りするなど常識的ではないのだ。
「すごいわ。これだけの話でそこまでわかって貰えるなんて」とヴィクトリアがきらきらした目をしながら、うなずく。
「ルッツ商会なら平民向けの伝手があるし、うまくいきそうな話だね」
「そう思いますでしょ? それに、たった一度の婚礼ですもの、華やかで素敵なドレスを着たいと女性なら誰でも思っているはずだわ」
熱に浮かされた様に、何かのスイッチが入ったヴィクトリアの話はとまらない。
「あとね、これとは別の話なのだけれど、南の領地でとれる苧麻って植物の布があって、それが仕上げに叩くと独特の光沢を持った素敵な布になるの。うちの領地でも作れないかと思っていて。でも、糸の加工がちょっと大変で、それをどうにか上手くできないかなぁって考えるのも楽しい——」
くくく、と抑えた笑い声が聞こえて、ヴィクトリアははっとした。
(やだ。夢中になって、しゃべりすぎた——!)
ヴィクトリアは自覚していないようだが、夢中になり過ぎて途中ところどころ言葉使いが余所行きではなくなるほどだった。
「やっぱり、こんなに工房と商売と領民のことしか考えてない娘を男爵が見限ることはないんじゃないかなぁ?」
「……そう、かしら……」
確かにルキア侯爵邸に来る前の自分はどうかしていたと今は思えるし、アルディスに話を聞いてもらったことで、信じられないほど心が軽くなっていた。
「それに、君は男爵家を継ぐという話がなくても、おそらく工房の仕事には手を出していただろう?」
これにはヴィクトリアも素直に頷いた。確かに後継者のことなど意識する前から自分は工房の仕事場に入り浸っていた。
「その努力と経験と考え方は領主にならなくても、別のことで絶対に君の糧になるよ。昔の格言にもあるだろう? 人生に無駄はないってさ。これから君がどんな道を歩もうともそれらは君の知識として、素晴らしい財産になるだろうね。
それに、こんなに聡明で努力のできる子ってだけで、捨てるのなんて勿体ないよ。後継者でなくても、君は……宝石みたいに価値のある子だと僕は思う」
こんなに手放しで称賛されるのは初めてで、ヴィクトリアは恥ずかしくなって思わず顔を伏せた。
「……あ……、ありがとう……。そういってもらえて……とても、嬉しい、です」
アルディスとの会話は、まるですごく年上の大人にお話を聞いてもらい誉められたような……そんな感じがして、ヴィクトリアの心を誇らしくさせた。
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