アルディスの熱意
「僕には、君の抱えているそれ、話せない?」
アルディスが心配そうに、優しく囁いた。
一瞬、その優しさに縋って全て告白したいような衝動にヴィクトリアは駆られたが、すぐにそんな甘えたことを考えた自分を叱責した。
それに、こんなこと、話せない。話したくない。話したら、きっと嫌な気持ちにさせてしまう。
光栄にも侯爵家継嗣の婚約者に選ばれたのに、男爵家の跡取りになれないことを悔しがっている、身の程知らずで心の醜いわたくしのことを……、
男爵家を任せられないとお父様にあきらめられた、そんな駄目なわたくしのことを……、
この美しい人に、そんなわたくしの心の内を話す?
———無理に決まっている!
「ここは僕しかいないから、君がここで話したことは誰にも洩れないよ? 僕も誰に言うつもりもないし——実は……、僕には友達がいないから、洩れようがない」
自慢にならないことを真面目な顔をしてアルディスは言った。
そういう問題ではないのだけれど、と思ったが、アルディスの気遣いはヴィクトリアの心に暖かく染みた。
しかし、だからこそアルディスには余計に言えないとヴィクトリアは思った。アルディスにはどうしてか失望されたくなかった。
ヴィクトリアは、俯きながら頭を小さくふるふると振った。
俯いているヴィクトリアの顔を覗き込むようにアルディスは屈みこんだが、ヴィクトリアはさらに身を縮こませ、顔を隠す。
アルディスは軽くため息をつくと、ヴィクトリアの頭に優しく手を乗せ、慰めるように頭を撫で、少し乱れた髪を手で梳いた。
(わたくしの、髪を……)
ヴィクトリアはびくりと肩を震わせたが、アルディスは構わずゆっくりと頭を撫で続けた。アルディスのまるで繊細で大事なものを扱う様な手の動きにヴィクトリアはくすぐったさと安心感、そして少しの喜びを感じていた。
「……なんてきれいな髪だ……まるで極上の絹糸……」
「……!」
ヴィクトリアがきゅっと体を固くしたのがわかると、アルディスは焦ったように「ご、ごめん! つい思ったことをそのまま言っちゃった……」と急いで撫でていた手を引っ込めた。
「……あ……」
その手を名残惜しく思う自分に気が付いて、ヴィクトリアは思わず身を震わせた。
(いやだわ、わたくしったら。手を引かれて残念に思うなんて……。頭を撫でてもらって安心するなんて、幼い子じゃあるまいし……!)
今度は羞恥で顔が上げられない。
「……あのさ、今日初めて会ったばかりの僕に言い難いかもしれないけど、誰かに言ってしまうと気持ちがすっきりすることもあると思うんだ。無理にとは言わないけど……」
「………」
黙ったままのヴィクトリアの様子を見て、アルディスは何かを言おうと迷ったように口を開けては閉じを数回繰り返すと、決心したかのように話し始めた。
「————昔ね、君にとても似ている子がいたんだ。その子はすごく大きな悩みを抱えていてね……」
ヴィクトリアの体がぴくりと反応したのをみてアルディスは続けた。
「僕はその時、その子の悩みに気付いてあげられなかったんだ。その子は一人で悩んで、誰にも相談もしないで、黙って自分だけが我慢すればいいんだって、全てを心に溜め込んだ。そうしてその子は解決する為に、誰も幸せにならない方法を選択してしまった——」
その自嘲するような声色に、ヴィクトリアは思わず顔を上げてアルディスを見た。アルディスは苦しそうな切なそうな、何処か遠くを見るような目をしていた。
「その方は、いま……?」
アルディスは黙って哀しそうに微笑んだ。
「あ……、す、すみません。出過ぎたことをお聞きしました……」
“その子”とは、アルディスが心を寄せていた方だったのだろうか。何か不幸があったのだろうか。自分の為に辛いことを思い出させてしまったのだ、とヴィクトリアの心はひどく痛んだ。
「ううん。いいんだ。……だからね、ヴィクトリア嬢。僕はもう、あんな後悔はしたくない。特にあの子に似ている君には、そんな顔をしていて欲しくない。自分一人の偏った考えでいたら、そこからなかなか抜け出せなくて苦しいだけだろう? 他人に聞いたら違う考えが出てくることだってあるんだ。
どうか、君をそんなに悩ませていることを僕に相談して欲しい。僕に君を助けさせてくれないか?」
アルディスはひたとヴィクトリアと瞳を合わせた。真摯でゆるぎない視線は心から心配していることをヴィクトリアに強く伝えてくる。
もし、ヴィクトリアが今日何も相談せずに“誰も幸せにならない方法”をとってしまったりしたら、アルディスはまた人知れず傷ついてしまうのだろうか? 自分になにかあった時、さっきのような辛そうで切ない顔をするのだろうか……。
ふとアルディスにあんな顔をさせる“その子”に、ツキリと羨望に似た疼きを感じてヴィクトリアは慌ててその感情を打ち消した。
今日出会ったばかりではあるが、アルディスにそんな顔はさせたくないし、させてはいけない。いままでこんなにヴィクトリアに対して親身に話を聞いてくれた人は家族以外にはいなかった。そんな人を悲しませたくない……。
アルディスはヴィクトリアの醜い心の内を話してしまっても、軽蔑なんてしないのではないか。こんなに優しくて思いやり深い人なのだから……。
いやそれ以前に、きっと話すまでアルディスはヴィクトリアに説得を続けるつもりだろう。そう瞳が訴えかけていた。
そして、ヴィクトリアはそんなアルディスの熱意を何故か嬉しい、と感じ始めていた。
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