ハーブ園にて
本日、5話目の投稿です。
「……少しは、気持ちが落ち着いた?」
「え?……な、なぜ……?」
急に心を見透かされたようなことを言われて、ヴィクトリアは少なからず慌てた。
「うーん。ここがね」といいながら、ヴィクトリアの眉間に指をあてぐりぐりとする。
きれいな長い指だな……とヴィクトリアは美しい人は指の先まで美しいのかとうっとりと眺めた。一緒に育ったいとこ以外の男の子に触れられるなんて初めてなのに、ちっとも嫌な感じがしなかった。ちょっと……いや、かなりどきどきしたけれど。
「ぴきーんってなってシワが寄ってて、すごく緊張していた。で、ここから逃げ出したいって顔してた。僕が作法の勉強させられる時と同じ顔だったからね!」
眉間にぎゅっと顔を寄せて、変顔(美形は変顔すら美しいのか。不思議だ)をしてみせたアルディスに、思わずくすりと笑ってしまう。
「はじめて笑ったね。うん。かわいい……。いいね。とってもかわいいよ」
蕩けるような声音で言われ、びっくりしてアルディスを見ると、声だけでなく眼差しも蕩けるようで、その目元は細められ少し赤く染まっている。
そんな風に見つめられた経験がなかったヴィクトリアの心臓は、一拍おいて激しく跳ねた。
「で、なんであんな顔してたの? 何かいやなことされた?」
なんとなく黒い気配を感じて、別の意味で心臓がまた跳ねはじめた。
「何も、何もされてないです! そういう風に見えたとしたら、わたくしがいけないのです。わたくしの気持ちが……その、うまく、言えないのですが……」
思わずワンピースドレスの胸のあたりをぎゅうと握り、自分の心の重さが何に対してなのか、自分でもわからないヴィクトリアは、戸惑いでだんだん声が小さくなっていく。
「……もしかして、婚約がいやだった?」
アルディスのためらいながらの質問にヴィクトリアは首を横にふった。
確かに、婚約の話が出てからこの苦しさが続いている。でも将来男爵家を継ぐことになったとしても、婚姻はするだろう。婚約自体がいやなのではない。むしろ自分でも、いずれ父が選んだ男性と政略結婚をするのだろうと思っていたくらいだ。
では、なぜ……?
冷静に考えるとずっと心の中に押し込めていた、ひとつの答えがゆるゆると浮かび上がってくる。
婚約の相手がルキア侯爵家の——継嗣——だったから。
耳元でぐわん、と大きな音をたてられたような衝撃を感じた。
その考えに辿りついた途端、目の前が真っ暗になって、口の中が苦い薬を飲んだ時のようにごわごわしてこわばった。指の先が急速に冷えていく。指先はこんなに冷えているのに、目元には急激に熱が集まり、目の前にいるアルディスがぼやけて見えて、とっさに顔を両手で隠した。
たぶん、本当は気が付いていた。気づかないフリをしていただけ。心に蓋をして閉じ込めておきたかった。だって、だって認めてしまったら、わたくしは……。
小さな頃から家業の手伝いをしていても、糸を繰るのがうまくなったとしても、染色用の薬草の種類や染色法を憶えていても、機織りが出来るようになっても、どんなに頑張って男爵領のことを勉強したとしても……。
お父様はわたくしに家を継がせることをきっと————あきらめてしまった。
わたくしの何がダメだったの……?
妹が生まれたから?
やっぱり継ぐのは男子のほうがよかった?
いとこのほうが優秀だった?
わたくしはもう男爵家にいらないの?
一度認めてしまうと、イヤな考えが次々と湧き出て止まらなくなる。
このサスキア皇国では貴族、その中でも高位の貴族になるほど継承争いを避けるためか、第一子か嫡男に継がせることが多いが、それ以外ではそれほどこだわりはない。
その家の事情にもよるが、第一子や嫡男という理由で後継者を決定するという不文律のようなものは特になく、商家などは男女の区別なく次世代の中で後継者として一番優れた者がその責任を負うことが多い。
元は商家であったアルバート男爵家もそのような傾向にはあったが、直系としては、妹が生まれるまで長らくヴィクトリア一人しかおらず、幼いころから後継者としての教育をされていたこともあって、当然のように自分が男爵領を受け継ぐのだと思っていたのだ。
それなのに、父はヴィクトリアに侯爵家の継嗣——跡継ぎ——との婚約を決めてしまった。
それはすなわち、ヴィクトリアにアルバート男爵家を継がせることはない、という意味に他ならない。
ヴィクトリアは心を重くしていた原因を自覚したが、依然軽くすることは出来そうになかった。
むしろ認めてしまった分、重さは増してしまった、といえた。
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