薔薇苑での出会い
本日、3話目の投稿です。
「やあ、ルイス。よく来てくれたね! 今日という日を楽しみにしていたよ。そちらがヴィクトリア嬢だね。ルイスが自慢するだけあって、愛らしい上に、利発そうだ!」
美しいカーテシーをみせたヴィクトリアにルキア侯爵が満面の笑みで迎えた。
「今日は天気がいいから、ウチの自慢の中庭に用意をしたんだ。そこでお茶にしようじゃないか」と、陽気に父に話しかけながら自ら中庭へ案内してすすんでゆく。
ルキア侯爵の父に対する気の置けない態度にヴィクトリアは内心驚いていた。
自分が思っていたよりも二人はかなり親しく付き合っているのだ、とヴィクトリアはルキア侯爵の飾らない話し方と屈託のない楽し気な父の様子をみて思った。
よく考えれば、事業の提携話を進めるにあたり、かなり格下の男爵家相手に命令ではなく相談という形であった、といまさらながら気が付いた。
案内された中庭はさすが自慢するだけはあり、四季折々で何かしらの花が楽しめるよう計算された素晴らしい庭だった。今の季節はバラが咲き始めていた。
少し歩くと八角形の屋根の繊細なデザインのガゼボがあった。柱には蔓バラがからまり、咲き初めのバラが全体の三分の一ほど花を咲かせている。満開の頃は妖精の国に迷い込んだかのようにさぞや幻想的になるであろうと思われた。そこにお茶の用意が整えられ、ヴィクトリアより少し年上と思われる騎士服をまとった少年が待っていた。
「これが長男のレイヴィス。ヴィクトリア嬢より二歳年上の十四歳で、皇都の騎士学校にわざわざ通っているんだ。ここを継ぐのに、なぜか体を鍛えたい変わり者なんだよ」
からかうようにルキア侯爵は紹介した。
紹介されたレイヴィスは、ルキア侯爵とよく似たくせのある灰色がかった銀髪、切れ長であるが微笑んでいるようにも見える細い目をした、柔和な雰囲気を持つ少年だった。
騎士学校に通っていると言うだけあって、背が高く少しがっしりとしていて、よく見ると少年というよりそろそろ青年といったほうがしっくりきそうだ。
「はじめまして。ヴィクトリア嬢。これから仲良くしてくださいね。僕の婚約者がこんなに愛らしい女性でとても嬉しいです」と、はにかみながら胸に手を当てて礼をとった。
「……宜しくお願い致します」
硬くぎこちない微笑みを返し、礼をするヴィクトリアにアルバート男爵はちらと不安げに視線を流したが、緊張しているのだろうと、黙って見守ることにした。
「さあさあ。こちらに座ってお茶を楽しもうじゃないか。皇都で人気の菓子を用意したのだよ。ヴィクトリア嬢の気に入るといいのだが」
全員が席につくと、メイドがお茶をついで静かに下がっていった。ふと気づくとテーブルの上にひとつ余分にカップが置かれていた。
「……?」
ヴィクトリアは疑問に思ったが、レイヴィスが質問をしてきたのでカップからレイヴィスに視線を戻した。
「ヴィクトリア嬢は、皇都の幼年学校に通っているのですか?」
「いいえ。わたくしは男爵領の幼年学校に通っています」
幼年学校とは、皇国の子供は身分に関係なく全員通う学校である。七歳~十五歳の間に最低三年間通わなくてはならない。幼年学校に関しては、貴族は皇都にある幼年学校か領地にある幼年学校に通うかは自身で選べる。
どちらに通っても同等の学力が得られるが、子爵以上の貴族はほとんど皇都の幼年学校へ通う。男爵・騎士爵の家の子供もいないわけではないが、下位貴族の子供たちは自領の幼年学校に通う方が多い。自領の幼年学校には、自領の有力な商家や豪農の子供たちが通うので、中央政治にあまり縁のない下位貴族の子供たちは、高位貴族との縁をつなぐよりも自領の有力者とのコネをつくるほうが有益なことが多いからだ。
ちなみにレイヴィスの通っている騎士学校は、平民の騎士志望の子供や爵位を継ぐ予定のない子息が主に通っている学校である。通常の幼年学校のカリキュラムの他に騎士となるべく必要な兵法や戦術、剣や法具の取り扱いも学べる学校だ。卒業すると皇都の近衛騎士団や各領地の護衛騎士団の入団試験の際、優遇される。だから、ルキア侯爵は後継者と認めているレイヴィスが通っているのを“変わり者”とからかったのだ。
それに幼年学校から皇都に行かなくとも、貴族子女は幼年学校卒業後の十三歳~十五歳の間に貴族学校ともいえる、皇都にある皇国立学院へ入学して三年以上通う義務がある。ここで、貴族としての規範や社交、領地経営等多岐にわたる教育を受ける。
ちなみにどちらの学校も入学時期に幅があるのは、平民と貴族では就学時期の希望が異なるからだ。
幼年学校は、各領の領主が管轄し学費は皇国の全額負担で領民は無料である為、就学率はほぼ百パーセントであり、それに伴い皇国の識字率は身分に関係なく高い。平民の子供は早めに入学し、家業の手伝いをしながら何年か掛けて卒業するのに対し、貴族は十八歳の成人に合わせて貴族学校を卒業しようとするため、幼年学校入学は十二歳前後が多い。貴族にとって幼年学校は、貴族学校に入る前のプレスクール的なものとなっていた。
また、幼年学校には飛び級制度もあり、貴族子女は家庭教師に教わっていて必ずしも通う必要がない場合もある為、どちらの学校も入学・卒業時期に幅を出しているというわけである。
皇国はこのように、ある理由のおかげで皇国民の基礎教育に対して非常に手厚いのだ。
「そうですか。残念です。皇都に通うのでしたら、またすぐに会えるかと思ったのですが……」
そう言ったレイヴィスに、アルバート男爵が悪い虫でも見つけたように少しムッと顔を顰めた。
「そういえば、アルディスはどこにいるんだ?」
「少し前まで、そこの春バラのベンチのところで魔法陣の論文を読んでいましたよ」
いつもの事の様にレイヴィスがルキア侯爵に答えるのを聞いて、論文ってこんな庭で詩集みたいに読むもの? とヴィクトリアとアルバート男爵が口をポカンとあけた。
「まったく……。まあ、中庭に出ているってことは会う気はあるんだな。アルディス! いいかげんこっちに挨拶にこい!」
その声に答えるように、ガゼボの少し先にある早咲きの春バラが見事に咲き誇っている一角の陰から、のっそりと立ち上がる人物がいた。
ヴィクトリアは、今度は別の意味で口をポカンとあけた。
あらわれた人物は、まるで銀細工の美しい人形が動いて歩いているかのようであった。
片側で無造作に結んだゆるいウェーブの長い銀髪が、背後から差し込む日の光に反射して輝き、それはまるで磨き上げられた銀さながらにまばゆく光の粒をきらめかせていた。
中性的で少女のようにも見える顔は繊細でありながら優美で華やか。だが、鋭さのある意志の強そうな大きな瞳が人形めいた美貌に生気を吹き込んでいた。
シンプルな白いシャツに黒のトラウザーズという飾り気のない恰好をしていたが、それは逆に彼自身の美しさを浮き彫りにする。少女のような美貌ではあったが、全体に華奢な印象はなく、シャツの袖からのぞく長く骨ばった手が少年であることを証明していた。
近づいてくると、表情は不満げに歪められているのがわかったものの、その美貌はいささかなりとも損なわれていない。
先程まで主役であったはずの色とりどりの満開の薔薇は、すでに引き立て役に成り下がり、彼の為にあるただの背景と化していた。
ありがとうございました。
楽しんでもらえたでしょうか。
気に入っていただけましたら、ブックマーク・評価をいただけると嬉しいです!