婚約の裏側
(今日はいろいろとあって目まぐるしい一日だった)
自室の窓際にある書き物机に座り両手で頬杖をつき外の景色を見ながら、ヴィクトリアは思わず大きなため息が漏れた。
夜とはいっても月明りで十分窓の外にある大きな常盤木が見えた。その木の幹はヴィクトリアが手を広げても三人は必要なほど大きく、アルバート邸のランドマークともいえるものだ。幼い頃から木登りをしたり、夏は木陰で涼み、冬はたっぷりと広がった枝のおかげで雪があまり積もらず格好の遊び場になったりと家族のお気に入りの場所であり、皆で過ごした大切な思い出にも繋がっている。ヴィクトリアにはいつもなら見ているだけで心が落ち着く景色だ。
だが、今日は父から聞いた話で心がざわついて、なかなか落ち着かなかった。
ウィラージュが屋敷を出てから、屋敷の中は騒然としていた。
アルバート男爵と家令のサイモンと魔導師のセルラート、それにレイヴィスが執務室にしばらく籠り、何事かを相談していた。
義母フィリスは、心労の為か夕食を取らずに部屋で休むと籠ってしまい、ヴィクトリアは怯えたルナアリアを宥め、アルバート家にしては珍しく二人だけで夕食をとった後、ルナアリアが寝付くまでついていてあげた。その後、父に執務室に呼ばれ少し話をした。
先程自分の部屋に戻り部屋の灯りをおとしたが、父から聞いた話が頭から離れずベッドに入っても眠れる気がしないので、書き物机の上のランプだけを灯し窓の外をぼんやりと眺めていた。
アルバート男爵の話は、ヴィクトリアには衝撃であった。
自分の婚約話が、今日出会ったウィラージュ卿のアルバート領乗っ取りの対抗策だったのだと教えられた。
二年ほど前から直接ではなく遠回しではあったが、ウィラージュ卿とヴィクトリアの婚約の打診があり、一年ほど前にやんわりとお断りをいれていたという。
婚約という体をとってはいるが、その目的はアルバート家の財産と領地を狙っていることが明らかだったからだ。
そして断ったとしても、ウォルベルト公爵経由で正式に打診された場合、立場上断れないため、ルキア侯爵の提案でヴィクトリアとレイヴィスの仮の婚約を結ぶことにしたのだ、とアルバート男爵は説明した。
「これからウィラージュ卿がどういった動きをするかはっきりするまで、ヴィクトリアは身辺を警戒するように、それとこの家の中にウィラージュ卿に情報を流しているものがいる可能性が高い。だからアルディス君はこの件が解決するまで我が家には来させない。今、ヴィクトリアの婚約者はルキア侯爵継嗣のレイヴィス君でなくてはならないんだ」とアルバート男爵は有無を言わせない強い口調で言った。
今日ウィラージュ卿に会ったヴィクトリアには、父の言いたいことはそれで理解できた。ヴィクトリアは黙って頷いた。
ウィラージュ卿はヴィクトリアの婿としてこの家に入り込み、男爵家を自分のものにしようと目論んでいた。そしていずれは、なんらかの方法でヴィクトリアや父、祖父母も害するつもりだったのだろう。それこそ、コレット子爵家のように……。
だが、ルキア侯爵家継嗣との婚約でその目論見は現在阻止されている。それでも諦めてはいない様子のウィラージュ卿が強硬な手段……例えばヴィクトリアを拉致もしくは誘拐し、純潔を奪うということで婚姻を迫るという可能性まで、アルバート男爵は警戒していた。
そんな時に、やはりヴィクトリアの婚約者はルキア侯爵家継嗣ではないと疑われれば、今度こそ強引にウィラージュ卿はヴィクトリアとの婚約をねじ込んでくる可能性が高い。
ウィラージュ卿がアルバート家を諦めきれないのは、おそらく義母フィリスに対する執着のせいなのだろう。この家と一緒に義母も手に入れる心積もりなのだ。そしてその先にあるものは……。
(きっとウィラージュ卿の本当の目的は……)
それを考えるとぞくりと寒気がした。
何故、成金男爵家がこんなことに巻き込まれるのか、と思わずヴィクトリアは自分の顔を両手で覆った。
(ディーに会いたい。あの青い瞳が見たい。声が聴きたい……)
一年待つ、と決めた。でもこんな状況が裏にあったなんてあの時は気が付かなかった。それに待つ間、全く会えなくなるなんて思っていなかった……。
十二歳のアルディスが何を用意すればウィラージュ卿に隙をみせない程の立場になれるのだろう? ヴィクトリアには想像もつかない。
もしウィラージュ卿の思惑通りとなったら、自分はあの気味の悪い人と婚姻をするのかもしれないと思うと、目の前が真っ暗になった。
父もアルディスのことも信じているが、それを思うと恐怖で体が強張った。と、その時イヤーカフにちりっと微かな温かみを感じた。
びくりと顔を上げ、外の常盤木が目に入った時、その幹の陰にアルディスの銀髪がみえた気がした。
「……!」
じっと目を凝らしたが、何もなかった。ただ見えたと思った場所には、アルディスの銀髪の残像のように光る何かが一瞬きらめいた。
ヴィクトリアは何もないその場所をしばらくの間じっと見ていた。そうしているとじわじわと心の中にぬくもりが広がって、寒気と強張りが消えてゆき、心が落ち着いてくるようだった。
この日以降ヴィクトリアは寝る前のひととき、書き物机のランプひとつを灯して庭の常盤木をしばらく眺めてからベッドに入るようになったのだった。
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