チチカカ様の壺
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「タイムマシンにお願い 気軽に読めるショートショート集2号」からの一篇抜粋です。
30センチ四方の壺を知人から貰った。華道の先生をやってる人だったけど、老衰で亡くなったあと貰ってくれと言って宅配便で送られてきた。
そう言われてもウチはワンルームの一人暮らしで、花を生ける習慣も無い。花屋は遠くて買いに行くのも面倒かと思って買い物に出たらスーパーで売っていた。意外に近所で売ってる。買う人がいるんだろう。
と、私はこの壺を花瓶に使う物だとてっきり思っていたら、別便で先生から手紙が来た。魔法の壺だと書いてある。
は?
異界と繋がっていて、壺の中に向かって問いを投げかけると答えが返ってくるという。 マジ?
とりあえず、「答えが返ってくるって本当か?」と壺に向かって訊いてみた。
耳を澄ます。壺の中からは返事は無い。
先生に担がれたかな? と、思ったら横で点けていたテレビから、
「本当なんですねー」という出演者のコメントが聞こえてきた。
偶然?
手紙をよく読むと、壺の中にはチチカカという神様が住んでいて、願いを叶えてくれるらしい。
そうなら、先生は自分の身体の衰えをなんとかして欲しいと願えばいいのに、それは叶えてくれなかったのかな。それとも、自分の寿命がきたことを是と考えたのか。後者の方が先生らしい。
先生がどこからこの壺を手に入れたのかそれは書いてなかった。神様の名前が和風ではないので、外国で入手したのかもしれない。
ふうん。じゃ、願ってみるか。
「良い会社に転職したい」
今の会社は残業が多くて、人が居着かないし、給料も低い。会社に将来性があるとも思えない。でも、私の能力では次があるかどうかわからない。入ったとき失敗したと思ったが、やり直す訳にはいかなかった。
壺を覗き込んでいたら、ピカリと底が赤くなったような気がした。OKってこと? 私は買ってきた花を壺に入れず、横に置いて置くことにした。
数日後、友人から電話があった。会社を設立したとかで、人を探しているとのこと。設立メンバーとして遇するから、来ないかとの話。どうも、大手メーカーが設立に関わっているらしく、人を集めているらしい。給料も今の倍だすとか。
私は壺を眺めながら、「前向きに考える」と答えた。後は今の会社を簡単に辞められるかだ。会社が退職を簡単に認めないから、退職代行サービス使ってでも辞める奴が増えてきたのだ。
退職願を書いてみて、それを懐に潜ませて出社したところ、会社の入り口に「弊社は倒産しました」という張り紙が貼ってあった。思わず、頬が緩み、同じように出社してきた同僚を顔を見合わせ笑いながら、何があったんだと言い合う。まあ、今期の賞与が一切出なかった時点でちょっと察していたが。
チチカカ様凄い。
仕事は良い感じに解決できそうだ。 お好みに合うかどうか分からないけど御神酒として、ワンカップ買ってきて壺の横にお供えする。
すると、するすると壺から触手が出てきてワンカップに突っ込むと触手経由でグビグビ飲み始めた。ちょっと、SAN値が削られる風景。どうなっているのか壺を覗いてみたくなったが、真正面から見つめるのはなんとなく怖いので、避ける。
まあ、これで心置きなく転職できる。友人に会社が倒産したことを言うと、すぐに来てくれと言われ今度設立した会社について説明を受ける。もう僕の入社は内定済みのようで、10人の初期メンバーに紹介された。皆、一癖あるけど仕事はできるらしい。友人がツテを手繰ってかき集めたメンバー。
願ったのは「良い会社」なので、別に人間関係とか良ければ給料が同じでも良かったのだけど、親会社の給与テーブルと比較して遜色ないように社長が設定したらしい。ありがたいことだ。
次に祈ったのは「恋人」。正直、恋人なんてできたことないのである。ハンサムでもないし、高収入でもないし(これは改善されそうだ)、身長も170cmない。大学行ってないし、ボソボソと喋って、女の子に話し掛けられると赤面してキョドる。仕事もそんなにできるほうじゃ……あれ? 僕なんで引き抜かれたの? 要するに自分に自信がないので、彼女ができなかったのだ。
でも、チチカカ様がなんとかしてくださる。祈って数日後、駅でリクルートスーツ姿の女子大生がしゃがみ込んでいるのに出会った。スルーしても良かったけど、頭の中で「声を掛けろ!」と言う声が響き、僕はその通りにした。
「大丈夫ですか?」
「いえ、ちょっと目眩がしただけです」でも、顔色は真っ青だった。
僕はその娘を長椅子に座らせると、駅員にちょっと体調が悪い人がでましたと報告した。娘はそのまま、駅の事務室へと連れられて行った。小さな駅なので医務室とかなかったけど、ちょうど乗客に看護師さんがいて、対応してくれた。
僕は、彼女たちを置いて出勤。別段、どうということもない。
と、思ったら、いつも同時刻に電車に乗ってるらしい看護師さんに数日後に声を掛けられた。
「この前は、大変でしたね。彼女、風邪気味なのに無理して面接に行こうとして目眩がしただけのようでしたよ」
「あ、あのときの看護師さん。先日はありがとうございました。助かりましたよ。でも、よく僕とわかりましたね」
彼女は僕のバッグを指さすと、「それで覚えてました」と答えた。
ああ、このバッグ、カラフルだから。数年前にいとこが結婚するときに引き出物で貰ったもの。最近の引き出物はカタログ渡されて選べるようになっている。どこかの芸人の結婚式のように、「台車」や「脚立」が出てくることはなかった。今は参列者に優しくなっている。昔は、夫婦の名前が入っている食器とか渡されてちょっと困ったりもしたそうだけど。
僕は僕で看護師さんの顔をなんとなく覚えていた。ただ、声掛けて良い物か迷っていただけだ。まあ、だから彼女ができないんだと思うが。
「それで、面接はどうだったのでしょうかね」
「LINE友達になったので聞いたらダメだったみたい」
「僕のところ人募集しているけど、どうかな。あ、新卒は大丈夫だっけ……」。小さいながら大企業がバックについていることを強調する。
ふと、閃いてこの前貰ったばかりの名刺を看護師さんに渡す。
「よかったら連絡してください。あ、仕事以外のあなた個人の話でも大歓迎です」と歯の浮く言葉を発してウィンクする。実際、女子大生よりも看護師さんの方が僕の好みだったので。
看護師さんは笑って受け取ってくれた。
よし、チチカカ様のお陰だ。また御神酒を差し上げる。今回は、高級酒。それを触手がズズッと一息に飲み干すと、壺の中からもっと貢ぎ物をよこせという声が聞こえた。手元にあった缶ビールをプシュと開けて横に置く。あんまり頼りすぎると捧げ物がどんどん増えていくかもしれない。そう悟って、頼るのは止めることにした。
仕事も順調、看護師さんとも順調。大学生の娘は面接に来たらしい。このまま上手くいけば良いなと思っていたら、体調が悪くなった。熱がでて、気力がわかない。それがずっと続く。看護師の彼女に相談すると大病院で検査して貰えと言われた。
風邪だと思っていた。だが、違った。急性リンパ腫の疑いが濃いと判明。会社に事情を話し、入院。緊急入院だったので、彼女に身の回りの品々を持ってきて貰った。そして、チチカカ様も持ってきて貰うことにする。チチカカ様に頼らないと死んでしまうかもしれない。
彼女はよく分からないという顔で、なんでこれが必要なのか聞いてきた。僕は正直に理由を教えた。願いを叶える壺だと。
その証拠に彼女の前で、チチカカ様の壺に向かって願う。病気を治してくれと。
すると、壺は答えた「貢ぎ物は?」
「は?」僕は狼狽えた。代わりに何を差し出せばいいのか? 彼女は、壺が答えたことに吃驚している。
「貢ぎ物は?」チチカカ様はまた訊いてきた。僕の命と引き換えに? 代償が大きいのではないか?
すると彼女が静謐な物腰で「私で良ければ」と言った。
その瞬間僕はとっさに壺を床に投げつけ叩き割った。そんな取引したくない。彼女を身代わりに差し出すなら死んだ方がマシだ。
「ごめんなさい」彼女は半泣き顔で言った。
「こっちこそごめん」自分以外の力に頼ろうとした自分が悪い。闘病は自分の力ですることにする。
派手に割れた壺の中は空だった。チチカカ様がどこに居たのかはわからない。