六楽章 なんでもいい
6.
白葉は早朝から吹奏楽部の早勢部長からずっと白い目で見られている。
昨日、津下という男子生徒に楽器選択のアンケート用紙に記入させることができなかった事に不機嫌のようだ。
ゴールデンウィーク初日の今日は授業は無く、部活動は朝から一日中練習出来るので、吹奏楽部も朝の九時から出席の点呼が始まった。
集合した生徒たちの名前を呼び終え、やはりあの男子生徒だけが登校していないことに全員気づいているが、誰もその事については気にする素振りがない。
やる気の無い生徒を気に掛けるほど、お人好しばかりでは無いという事らしい。
「白葉さんどうしますか?このままなら欠員が出たままになります。誰か異動させますか?」
部長が朝の点呼を終え白葉に小声でそう問い掛けた。新入生の楽器選別の発表をしていない今ならまだ、人事調整が可能だという意味だ。
「そのままにしていてくれないか。もし演奏が滞るならこっちで何とかするから」
「何とかって、指揮を降りながら楽器演奏とかはやめてくださいね」
「編曲するつもりだが、最悪、ソレだな」
早勢部長は小さくため息を吐いて、手元のプリントを手に取ると、再び部員の前に立って生徒の名前を呼び始めた。楽器名と生徒の名前を呼んでいくと、一喜一憂する声が部室内に響き渡っていく。
なるべく本人の第一希望になる様に調整したつもりだったが、楽器の編成上、第二、第三希望に移ってもらった生徒もいる。
そしてその昨日会議が夜までかかった事で、三年生の疲れの色ははっきり表情に出ていた。
こんなにも楽器を決める会議が難航するとは想像もつかなった白葉は、精神的にも何故か肉体的にも疲労を感じている。
「副部長のあの発言はそういう意味だったんだな」
フルートを構える悠々とした雰囲気の副部長の表情が曇るほど、楽器会議は神経をすり減らされるものだった。
やはり人気の楽器というものがあって、木管楽器ならサックス、金管楽器ならトランペットなど。流行りもあるらしいが、今回もこの二楽器はとても人気で不人気楽器を誰にするかでとても気を遣い、揉めに揉めた。
昨年テレビドラマでジャズバンドをテーマに描かれた青春ドラマが大ヒットした事もあって、金管楽器が大人気で金管希望を木管に異動させるのはどうなのか、中学からの経験者を続投させるべきなのか、第一希望も第二希望も第三希望も同じ楽器を書いた生徒はどうするのか、などなどいろんな意見が飛び交いまとまらなかった。
「悲喜交々あるかと思いますが、三年生と星尾先生、白葉さんと遅くまで会議を開いて決めた結果なので、一年生の皆さんには受け入れて欲しいです」
部長がそう述べると、悲しむ声も喜ぶ声も一旦収まり素直に人のを話に耳を傾ける。
「白葉さんからも一言お願いします」
急に話を振られて白葉は少し戸惑ったが、全員が希望通りの結果になっていない現実を説明しなくてはならない。それが選択した者の務めかもしれない。
「希望に添えるように努力したつもりだが、それが叶わななかった人もいるだろう。しかし適正を鑑みて選んだつもりだ。どの楽器にも必ず魅力があって、必ず楽しさがあることは保証する。だから一度騙されたと思って初めてみてほしい」
一同がしーんと静まってしまい、白葉は居心地が急に悪くなって目を泳がせはじめると、部室の外からバタバタと走っている足音が聞こえ始めだんだん大きくなり、そして勢い良く扉が開かれた。
「す、すみません。遅れました」
息を切らして駆け込んできたのは津下明日翔だった。
「津下君、君の担当はパーカッションなんだか、それで良かったか?」
気まずい雰囲気から逃れるように白葉は遅刻者に声をかける。
「え、あ、そうなんですか。まあ、なんでもいいです。音楽が出来るなら」
汗を拭いながら息を整え、通学バッグを乱雑に置いて、津下は真っ直ぐ白葉の元に歩み寄る。
「白葉さん、いつか俺が卒業するまでの間で演奏して欲しい曲があるんです」
それはとても有名すぎるジャズの名曲で、その曲は昨日、白葉がピアノで旋律を奏でたものだった。
「ああ、そうしよう。津下君にはソロを用意するから上手くなってくれ」
汗だくの男子生徒は「なんとかします」と白い歯を見せ、目をぎゅっと細めて笑った。
「津下君、遅刻は事前に連絡くれないと困るよ。寝坊でもしたの?」
パーカッションの先輩が遅刻した事に冗談混じりに少し文句を言うと少し場が和み、津下も「連絡先を知りません」とマジメに答えるので、あっという間に心か何かの距離が縮まったような空気が生まれた。
「白葉さんありがとうございました。今年は穏便に済んだようなので助かりました」
各パートのリーダー達が一年生に楽器やらチューナーやらを手渡し、説明を始めていく。そんな中、部長が白葉に礼を述べた。
「礼を言うなら津下君に言ってくれ」
きっと不満を持っている生徒もいただろうが、彼の「音楽が出来るなら何でもいい」と言う発言が不満を言う機会を奪い、同級生の潔さを学べなければと感じさせたのかもしれない。
「毎年この日は泣き出す人もいるし、怒って退部すると出ていく人もいるんですよ。今年は誰も泣いてないし、出て行って無いので、一先ず安心しました」
早勢部長の横顔は気疲れの色を濃くしていたが、どこか表情に軽やかさが戻っているようにも見える。
「そうだ、早勢君。練習メニューを考えて来たんだ……」
と、白葉がポケットからゴールデンウィークの練習メニューを書いた紙を取り出そうとした時、再び部室の扉が勢いよく開かれ、誰かが走り込んで来た。
「星尾先生、そんなに急いでどうしたの?」
出入り口の近くにいた生徒が驚いた表情でそう尋ねると、入ってきた教師の星尾が部長の扉を閉めてた。しかも鍵までかけて。
「先生?」
「皆さんにお知らせがあります」
息を整えながら、暗い面持ちで話しにくそうに言葉を紡いでいく。