三楽章 楽器体験会
3.
ただ、ただ面倒くさい。
何が楽しくて部活動に強制入部させられなければならないのか。
梧桐高校には文武両道の精神があるとかで、入部は必須だそうだ。入部の予定がないと女性担任に伝えても、呼び出されて部活の素晴らしさを懇々と語られた。
語られても困る。彼の耳には夢物語にしか聞こえないし、明日には忘れる誰かの美談に価値も見出せない。
担任がしつこいので、仕方なく担任が顧問をしてる部活に名前だけ入部しようと思った。
幽霊部員でいい。吹奏楽にはなんの興味もない。
くしゃくしゃの入部届を提出したその日の放課後、担任の星尾先生がにこにこ顔で彼の前に現れると、一緒に部活に行こうと声をかけてきた。
彼はもちろん丁重にお断りしたのだが、今日は重要な日だとかで、是非来て欲しいという。
あまりにも面倒くさいので、仕方なしに1日だけ部活に行くことにした。
「津下君、今日は全部の楽器が体験出来るお得な日なのよ。今日までに届けを出してくれて良かった」
今日は一年生にどんな楽器を担当させるか決める日なんだとか。
彼は心の中で深く後悔した。入部届の提出を明日以降にすれば良かったと。
彼がわざとトロトロ歩いて、嫌そうな態度も見せているのに、星尾先生は全く気にせずに吹奏楽の素晴らしさを語り続け、ぐいぐいと引っ張っていく。
吹奏楽部は四階の一番端にある音楽準備室を部室として使用しているらしく、準備室の周りには部員らしき学生が集まっていた。
ざっと数えて三十人くらい。その中で異彩を放っていたのが、あきらかに欧米の血が流れているであろう、背の高い男性だ。
英語教師なんだろうな、と彼は軽く考えていたが吹奏楽部の女部長はその男については強いて説明、紹介することなく本日の段取りを進めていく。
その場に集まった一年生達はあの男を不審に思っているようで、コソコソと小声で相談会をひらいている。
彼女らの漏れ聞こえてくる声の中には、「先生って呼ばれてないけど何者?」や「日本語上手すぎるんだけど、ハーフとか?」など、名推理が繰り広げられていた。
「津下君はC班だから、白葉さんのグループね」
「え!」
部長が一人一人班分けをしていき、彼は例のあの背の高い男と一緒に行動を余儀なくされることになった。
よりによって、とも思ったが担任の星尾先生の班よりはマシか、そんな風に思い強いて不満を抱くことはなかった。
どうやら彼の所属するC班は初心者の集まりらしい。彼もまた楽譜も読めない初心者だが、他のメンバーも楽器など触ったこともないような超初心者ばかりだ。
急にフルートを持たされても、楽器を右に向ければいいのか左に向ければいいのかも分からない。
そもそも重力に逆らって息を吹き込むなど、考えられない。
もちろん音が出るはずもなく、唇の形がどうとか先輩に指導してもらうが、全く上手くいかない。フルートは向いてない、そもそもフルートを持つ姿も似合ってないと思い、彼は興味など持たなかった。
続いてオーボエを渡されても困るだけで、もちろん音も出ないし、銀色のボタン達が多すぎて触るのも気が引ける。
彼が必死に楽器に息を吹き込んでいる斜め向かいで、白葉と呼ばれている男がこっちを鋭い眼光で凝視していた。
堀の深い顔で睨まれたら、恐ろしいに決まっている。一年生達は視線から逃げるようにそっぽ向くのだった。
クラリネットはアルトリコーダーと同じ指使いだから分かりやすいよ。と売り込まれ「なら簡単じゃん」と思ったのは浅はかな発想だった。
そもそもリコーダーとは吹き口が表裏逆で、リコーダーのように口に咥えたら、女の先輩にクスクス笑われた。
「みんな、最初はそれに引っかかるの」
そう慰められても、彼以外の一年生は誰もそんな初歩的な失敗はしていなかった。
彼は恥ずかしさも相まって、クラリネットには全く興味を示さなくなり、渡された楽器を両手で温めるだけで、息を吹き込むことはなかった。
サックスは吹けるようになると格好いいよ。なんて甘い言葉に惑わされる彼ではない。
確かにサックスはテレビでもよく見かけるし、奏者はオシャレでカッコイイという印象だ。
しかし実際は楽器を首から下げているので、首が痛くなりそうだし、先輩達がキラキラ輝いて素敵に見えるので、彼は自分には向いていないと感じたようだった。
一年生達にはずいぶん人気らしく、C班の半分以上が第一希望をサックスにするんだと息巻いていた。
次は金管楽器の花形トランペット。手に持った感じもそれ程重くなく、押さえるボタンも少ないし、好感が持てそうだった。
しかし彼には1番の関門があって、それはマウスピースだ。
口をブルブルさせると音が鳴るよ。と簡単だよ言われても、鳴らないものはならない。そもそもブルブルとはなんなんだ?
彼は人生で一度も意図的に唇をブルブルさせた記憶がない。初心者なのに意図も簡単にトランペットを鳴らす同級生に、少し腹が立ってくるのだった。
トロンボーンという楽器はとにかく長いという印象だ。そもそも口をブルブルさせられない彼が、体験できたのはトロンボーンのスライドを前後に動かすことだけだった。
マウスピースの大きさが小さすぎて、ホルンという楽器は出会った瞬間に無理だと悟った。
形はカタツムリみたいで愛らしいし、音色も柔らかく好みだったが、そもそも彼にはマウスピースという最大の問題がある。好感が持てたのに残念だ。
ユーフォニアムというらしい。彼は初めてその楽器を目にし、楽器名を耳にした。先輩達がユーフォと略して呼ぶのでUFOと勘違いしていたことは、一生黙っておこうと心に決めた。
続いて巨大な楽器、チューバを体験した。どっしりとしたフォルムにずっしりとした重さ、全身金ピカで格好いいが、気が乗らない所がある。それは、彼よりもチューバが輝いていて存在感があるということだ。
負けた気がすると思って、彼はチューバも興味を持たなくなった。
最後はパーカッションだ。部室に戻ってあらゆる楽器を手渡された。一つ一つの楽器を紹介されていくが、どれも子どものおもちゃに見えて、彼はなにが楽しいのか分からなかった。
ドラムのスティックを渡されても突き返し、シロフォンやマリンバのマレットも手に取らなかった。
一緒に行動している同級生はティンパニやドラムを気に入って、めちゃくちゃに叩き続けていた。それはもう、心の底から楽しそうに。
コントラバス体験は、お手洗いに行っていたので体験し損ねたが、彼は特に残念な気持ちにはならなかった。
体験会終了後、部室前に集合した一年生には楽器選択用紙なるものが配られた。そこには自分が希望する楽器の名前を書く欄が作られていて、第三希望まで書くことができた。
彼はその紙に名前だけ書いて空欄のまま、部長に提出するのだった。