一楽章 悩みの予感
プロローグ
振動は全てを破壊する。
物も人も、田畑も文化も芸術も思い出も何もかも。
強烈な音と振動が彼の耳を悪くさせた。
聞こえない。もう聞こえなくて構わない。
空気を震わせる音楽など、もう関わりたくないと、彼は病室の天井を見上げながら、1人呟いて目を閉じた。
爆風か爆音か、彼の鼓膜を破った原因がどれか分からないが、音の聞こえ方が変化したのはあの爆発が原因なのは確かだ。
埃まみれで汗臭い軍服を纏って、塹壕を銃片手に進んでいた時、強い衝撃が地を揺らした。
目の前で多くの声が永遠に失われていく。
破滅、破壊、虚無の地獄の音楽がここには確かにあった。
音階も音程もない不細工な彼の叫び声が、衝撃波でかき消される。
この世に音を奏でる者が亡くなり、音を聴く者も亡くなるのはらば、音楽など不用品である。
白黒の楽器で音楽を紡いできた彼の両手にあるのは、人を殺す為にだけ作られた金属と、奪った人間の命のみ。
1.
「違うんです。もっとこう、なんて言うかもっと踏み込んだ指導をお願いしたいんです!」
吹奏楽部長は、教室の机をバンバン叩きながら、男に不満をぶちまけた。
「早勢君の踏み込んだという意味はなんだろうか?」
彼がまじめ腐った顔で言うので、部長は眉間ひ皺を寄せて口を尖らせる。
確実に怒らせた。普段、温厚で優しげな雰囲気の部長は、こと吹奏楽部のことになると、とたんに豹変しパワフルな性格になってしまう。
つい数日前も、目の前の男を不審者だと言って叫んでやると脅したばかりだ。
「た、例えばどういう指導がお望みなんだ?」
睨みつけながら口を右側に曲げて黙ったままの彼女の心を開こうと、男は少し歩み寄ろうと話を切り出した。
「演奏方法とか詳しくお願いします」
「すまないが、私はピアノ以外の楽器が出来ない。そのホルンも私が吹けば一音も出ないんだ。そんな奴がどう指導すればいい?」
少し長めの反論をすると、再び部長は口を閉じた。今度は左側に口を曲げる。
そんな露骨に不機嫌になられても困る。この男をこの吹奏楽部の指揮者としてスカウトしたのは、部長なのだから。
「白葉さん、明日は来てくれるんですか?」
「四時前に登校する予定だ」
「明日は一年生の楽器体験をします。誘導は白葉さん、お願いします」
楽器体験とは、新入部員がどんな楽器に向いているか、どんな楽器を希望するのか、実際に楽器を吹いて決めるというもの。
「な、何をすればいい?」
「とにかく一年生を各パートごとの教室に連れてきてくれればいいんです」
男はそれくらいならお安い御用だと思い、「構わない」と安請け合いしてしまった。
まさか楽器体験の日というものが大変な1日になるとも知らずに。