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恋愛は完全なるウィルス

最終章


『恋愛は完全なるウィルス』


 最終章においては、恋愛を不変的な観点から考えてみたい。


 昨今、芸能人等の不倫騒動にマスメディアが過剰報道しているが、現在のマスメディアの嗅覚は、言論の自由というより営利目的の自由といった側面が色濃く出ている感がする。


 そもそも、マスメディアとは、言論の自由を謳い、ペンは剣よりも強しと言った時代から、政治的報道と共に恋愛的文化の先導者である。

 決して、文化を営利に埋没させてはならない存在なのである。


 何故、恋愛小説が人気があるのか、何故、恋愛ソングがヒットするのか、それは、芸術であると共に、制約に対する自由があることを忘れてはならない。


 恋愛は普遍的でもある。

 年齢、性別、全く意図はない。

 「小さな恋のメロディー」、「禁じられた恋」、幼い主人公をモデルにしながらも心を撃たれる名作映画もある。

 中高年の好きだった歌謡曲、例えば、阿久悠が作詞した「また逢う日まで」、「夜空」、「時の流れに身を任せ」、演歌の代表曲「舟唄」、「北の宿から」などなど、全て許されない恋を歌った名曲である。


 現代で言うなら「不倫」の名曲である。

 

 許せる範囲のルール違反は、誰かが言ったように文化であることは間違いない、それを昭和から現代までの文化物が確たる証である。


 仕方のないことである。


 子供から年寄りまで、独身者から結婚者まで、恋をしない人間などいないからである。


 そして、一個人の恋の対象は、時の変化とともにその対象も変化するといった時間的変化も伴う。


 両親に恋し、幼馴染に恋し、初恋し、恋人に恋し、配偶者に恋し、それら身近な者から、更には芸能人、スポーツ選手といった有名人にも恋する。

 恋愛とは、幅広く伝染する心の「ウィルス」なのである。


 これだけ、恋愛ウィルスが蔓延すると人道的又は宗教的規律として、その「欲」を禁ずる。


 キリスト教で言えば、不貞行為、仏教で言えば、煩悩である。


 特にギリシャ神話から物語る西洋的感覚にはアダムとイブ、それに対するサタン、デビル、リリス、といった悪魔、そして、天使が人間を寵愛した堕天使といった偶像を起源とし、愛に制約を施す宗教的観念が規律として記されていった。


 この点は、人間が欲望の生物である以上、仕方のないことである。


 だからこそ、オープンにできない分、フィクションとして代弁する、恋愛小説、恋愛映画、恋愛ソングがいつの時代もヒットする理由であり、恋愛文化を担うマスメディアの大きな役割である。


 また、決して不貞行為を肯定するわけではないが、誰しも過去を振り返ることがあり、また、一目惚れは必ずしも一回ではなく、加えて、夫婦別姓等の結婚観の変化も生じて来ている。

 これら致し方のない人間性にも考慮する必要がある。


 恋愛の真反対に失恋が必ずしもあるものではない。

 恋には、「白黒」、「勝ち負け」はなく、「玉虫色」で、「デリケートゾーン」なものなのである。


 この「玉虫色」、「デリケートゾーン」に営利的なメスを入れることは、マスメディアが恋愛文化を放棄したことであり、文化の先導者ではなく、プロパガンダ的扇動者になることを危惧する…

 



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