哀の剣と愛の盾
「貴女は本当に聡明な方ですね」
「ただの負けず嫌いですわ」
シェラザードは微笑んだまま答えた。目の前の男性にとって、最も深く愛される存在になりたいと強く願う。彼女の知る限りでは、競合関係は三人。
城兵を率いて彼女を捕らえた本来の正妻であるエリス。彼女には次の長となる男児がいるらしいことも分かっている。
正妻に望まれながら身を引き、それでも彼の心を捕らえて離さないルーディリート。彼女には娘がいて、再会したことも知っている。
そして、一族の秘宝を託されるほどに厚い信頼を得ている謎の女性。何一つ詳細は分からないが、負ける訳にはいかない。
強敵揃いの状況に、シェラザードの心は燃えていた。
「わたくし、本当に貴方様の正妻を名乗ってもよろしいのですか?」
「もちろん。誰が何と言おうとも、その指輪が正妻であることを示しています」
意地の悪い質問をしたつもりのシェラザードだったが、彼は即答する。改めて彼女は自らの左手薬指にはまる指輪を見詰めた。乳白色に輝く宝石が目を引くが、それ以外は至って素朴な指輪だ。これがフォリーナから伝え聞くソフィアの証と言われる指輪だとしたら、その素っ気なさに信じない者もいそうではある。
「その指輪は長が最も大切に思う女性、つまり私が最も大切に思っている女性の指に宿ります」
イアールは説明を始めた。
「宝玉が乳白色であるのは、善良な心の持ち主として、指輪が認めた証です。もしも邪念を持つ者の手に渡れば、その宝玉は血に染まったように真っ赤になります」
「そうなのですか」
何の変哲もない指輪と思っていた彼女も、その話に深く感じ入る。
「わたくし、誰憚ることなく、貴方様の妻と名乗ればよろしいのですね?」
「そうです。ですから、貴女に私の名前を決めて欲しいと思います」
突然の申し出に、彼女は驚いて言葉が上手く出て来ない。
「私の名前は地上では異質でしょう?」
「そうとも言い切れません」
「それに、私は貴女と共に過ごせるよう、一族の名ではなく、貴女と同じ名を名乗りたいのですよ」
彼の瞳が真っ直ぐに見詰めて来て、シェラザードは再び胸を締め付けるような痛みに襲われる。
「わたくしが貴方様に名乗った名前は、本当の名前ではありません」
「知っています。もちろん、そうするより他なかった事情も分かっております」
苦しい胸の裡を明かした彼女に対して、イアールの眼差しは変わらずに優しい。
「貴方様は、本当に全てを見通していらっしゃるのですね」
「全てではありませんよ」
謙遜する彼にシェラザードは改めて、全てを委ねようと決心する。
「わたくしは全てを捨てて来ました。ですから、最初に貴方様に名乗ったシェラザード・ルフィーニアで通させて下さい」
「分かりました」
若干、修正を加えた名乗りを彼女は行った。
「貴方様は、アル……。アルフォード・ルフィーニアとお名乗り下さい」
「アルフォード・ルフィーニアですね、分かりました」
イアールは満足顔で頷く。
「貴女に頂いた名前です。名誉を汚さぬよう努めます」
「大仰ですわ」
シェラザードは肩をすくめた。
「これで名実共に、私たちは夫婦です。食事を終えたら、貴女の手荷物を取りに行きましょう。それからどうしますか?」
「そうですわね」
イアールの質問に彼女は思案に暮れる。
「わたくし、いろいろな場所に行ってみたいですわ。ずっと話ばかり聞かされて、一度はこの目で見たいと思っておりましたの」
「いいですね。そうしましょう」
二人は今後の方針を定めると、食事を続けた。
食べ終えて、少し間を置いてからイアールが立ち上がる。
「それでは出発しましょう」
「はい」
差し出された彼の手を握って、シェラザードは立ち上がった。彼に連れられて部屋の外に出ると、あれだけいた魔物の姿が消えている。
「魔物がおりませんわね」
「大掃除しましたからね」
しれっと答えた彼の横顔を、彼女は見詰めるしかできなかった。




