哀の剣と愛の盾
「貴方様の温情で生かされているこの身です。わたくしは貴方様に従います」
彼女がそう告げると、イアールの瞳には哀しみの色が広がった。
「貴女にとっては昨日のことのはずです。私たちは夫婦として対等の立場となり、言いたい事柄や、聞きたい事柄は、その都度、尋ねて下さいと伝えたはずです」
彼の言葉にシェラザードは絶句してしまう。確かにそう言われた記憶はまだ新しい。しかし彼には一年近くも前の出来事だ。記憶しているとは思いもしなかった。
「信じてよろしいのですか?」
「信じて下さい。確かに私は信用ならないかもしれませんが……」
「そのようなこと御座いません。貴方様はわたくしを守って下さいました」
卑下するイアールに、シェラザードは強い口調で詰め寄る。
「わたくしを大切に思って下さっていなければ、あのようには守って下さらないでしょう?」
彼女の穢れを知らない瑠璃色の瞳は、真っ直ぐに彼を見詰めていた。視線を絡ませてイアールは頷く。
「シェラ、ありがとう」
突然、感謝の言葉を伝えられてシェラザードは困惑した。
「さあ、食事にしましょう」
彼は手を取り、彼女を寝台から連れ出す。椅子に腰掛けるが目の前の卓上には何もない。
「シェラが寝ている間に、大掃除と食糧調達に行っていました」
「大掃除?」
言葉の意味が理解できなかった。彼女が言葉の意味を思案している間に、卓上には色とりどりのサラダ、魚を煮込んだスープ、表面を焼いた赤身肉が並べられている。
「お口に合うと良いのですが」
「貴方様の作る料理は、どれも美味しいですわ」
謙遜する夫に、シェラザードは満面の笑みで答えた。彼女の感覚ではほんの一年前に味わった手料理がありありと脳裡に浮かぶ。
「さあ、冷めない内に」
「はい」
あの日と変わらないやり取りに、彼女は初めて出会った時のことを思い起こした。
「ずっと聞きたいことがありましたの」
「何ですか?」
尋ね掛けた彼女の言葉に、イアールは緊張した面持ちだ。
「わたくしを山賊から助けて頂いた折、あの場所で何をなさっていらっしゃったのですか?」
「あの時……?」
思いがけない問い掛けだったのか、彼は少し思い出そうとしている様子になる。ややあって彼は懐から美しい宝玉を取り出した。
「これを探している途上でした」
「こちらを?」
掌に収めるにはやや大きめの宝玉は金色に輝き、透き通って見える。猫目石のようで琥珀のような不思議な宝玉だ。
「ええ、移動中にあそこで寝ていたのですよ」
「え?」
草原の真っ只中で眠るとは、俄には信じ難い。
「この宝玉は一族に伝わる秘宝で、紛失すれば長であっても死罪を免れないものです」
「そのような貴重な宝玉を、どうして探すことになりましたの?」
シェラザードは素朴な疑問を口にした。イアールの表情が曇る。
「預けていた者が殺害され、奪われました。当初は地上の民のいづれかと考えていたのですが、実際には一族の不届き者でした」
「とても信頼なさっていらっしゃったのですね」
彼女は自然と湧いた感想を深く考えもせずに返していた。
「そうですね。同じように貴女を信頼できると良いのですが」
「そのような信頼は一朝一夕にできるものではありません。わたくしが努力して、少しずつ積み上げて培うものですわ」
沈んだ表情の夫を励ますように、彼女は努めて明るく振る舞う。彼の態度と地下城での出来事から、預けていた人物のおおよその見当をシェラザードはつけていた。自分自身が彼と関わるようになってから日が浅い事実を強く意識して、対抗意識を燃やしている現状を悟られまいとする。
「良いお話を聞かせて頂きました」
シェラザードは微笑んだ。そこに華が咲いたような笑顔は、イアールの緊張気味だった表情を緩めさせる。




