哀の剣と愛の盾
「長よ、その御手を煩わせるとは……」
ユーゼラートの傷は最初に受けた左肩の浅い傷と、背中から貫通した右胸の二箇所。イアールの治癒魔法による応急処置と、シェラザードの止血法でどうにか出血を抑えているが、その顔色は良くない。
「姉上、遠慮する必要はありません」
イアールの言葉に、彼女は驚いた様子だった。
「知っていたの?」
「長が知らない事柄はありません」
尋ね返した姉に向けて、彼は手にしていた杖を右肩に軽く当てた。杖の先端が淡く光り、ユーゼラートの傷を癒してゆく。地上では失われた秘法を目の当たりにして、シェラザードは興奮を隠せなかった。
「これが、魔法。わたくしたちの治療術では助からない命も、魔法さえあれば助けることができるのですね」
「万能ではありませんよ。失われた命を戻す方法はありません」
寂しげな微笑みに隠された真意を読めず、シェラザードは気を揉む。隠し事をしないで欲しいと思っている彼女にとって、夫の態度はもどかしさを感じた。しかし、今はそのような事柄を追及している場合ではない。一刻も早く地上へと逃れなければならないのだ。
「さて、これで良いでしょう」
杖を離してイアールは微笑む。ユーゼラートは右肩の動きを確かめて大きく頷いた。
「長のお客様を傷つけたとあっては一族の恥です。無事で良かった」
シェラザードの無事を確認した彼女の顔色は、生気を取り戻しつつある。床に転がっていた自身の短剣を拾い上げ腰の鞘に納めた。
「長……、ランティウス。私は母上より命じられたルーディリートの護衛に戻ります」
「はい、頼みます。いえ、長として命じる。ルーディリートとアリーシャの身を護ってくれ」
「畏まりました」
イアールが一族の長らしく威厳を込めた口調で命令すると、ユーゼラートは拝命し、頭を下げて廊下を二人が来た方向へと立ち去った。その後ろ姿を見送り、シェラザードは視線を夫に戻す。
「シェラ、詳しいことは地上で話します」
「はい」
優しいいつもの笑顔に彼女は安堵した。ひとまず襲撃者の二人を撃退したものの、別の追っ手が来ない保証はない。
「少し、足止めを講じましょう」
イアールは手にした杖を振り上げて何事か唱える。すると淡く光る壁が出現したが、その厚さは先程とは比べものにならないほど分厚かった。
「さあ、行きましょう」
イアールは左手に杖を持ち直すと、右手で彼女の左手を握った。二人は手を繋いで石造りの廊下を進む。誰もいない二人きりの廊下を手に手を取って歩くのは、緊迫した状況を緩和させた。シェラザードは胸の高鳴りを抑えようと気を回して、迫る危機感を忘れている。
「ここです」
二人の目の前には金属製の扉があった。イアールは扉を中心に半球状の魔法障壁を形成する。
「少し、下がっていて下さい」
シェラザードを自らの背中側へ庇うように移動させて、イアールは扉が盾になるように開いた。二人の目の前を黒い影が猛スピードで通過する。
「何ぃ?」
室内から飛び出して来たのはカイザーだった。彼はそのままイアールが形成していた魔法障壁に包まれる。球状の檻となった魔法障壁を見て、シェラザードは呆気に取られた。
「さあ、こちらです」
再び手を繋いで彼らは室内に入る。殺風景な室内には何もなかった。
「シェラ、首飾りを」
夫に言われ、慌てて襟元から首飾りを取り出す。
「これがなくては帰れませんからね」
微笑んだ彼は一旦扉に向かうと、扉を閉じて何事か唱えた。
「今のは?」
「魔法による鍵です。少しばかりの時間稼ぎにはなるでしょう」
魔法でできる事柄の範囲が想像できないシェラザードはキョトンとしてしまう。そのような彼女の様子を気にする風情も見せずに、イアールは首飾りに触れた。
二人の足元に魔方陣が出現する。次の瞬間には、二人の姿が室内から消えていた。




