手鏡と耳飾りと
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「どうです、立てますか?」
彼が手を差し伸べる。彼女は怖ず怖ずとその手を掴むと、思い切って足元に力を入れてみた。
「ああ、立てますわ。何と礼を述べたらよろしいのでしょう」
感激の余り、彼女は彼の手を離すのさえ忘れてしまう。
「そうですわ、その前に貴方様のお名前をお聞かせ下さい」
「ラ……、いえ、イアールとお呼び下さい」
「イアール様」
名前を言い換えた彼に少しだけ疑問を抱いたが、そのような事柄は些細な問題にしか過ぎない。貴族ならば名前を騙るのはよくある事柄だ。彼女もその通例に倣って自己紹介する。
「シェラザード・フォン・ルフィーニアと申します。シェラとお呼びになって下さい」
「シェラさんですか」
「いいえ、シェラとお呼び下さい」
敬称を付けた彼に、彼女はそう念を押した。これにはイアールも苦笑いしてしまう。
「分かりました、シェラ」
「イアール様、お助け頂きまして、本当に何と申し上げて良いのか、分かりませんわ」
彼女は深々と頭を下げる。命の恩人である彼には、言葉を尽くしても謝意は伝わらないのでは無いかとまで、彼女は思った。
「シェラ、『様』はつけなくとも……」
「いいえ、とんでもございません。命の恩人である貴方様を、呼び捨てにはできませんわ」
「そうですか……」
困ったような表情になる彼を見て、シェラは閃くところがあった。
「イアール様、命の恩人である貴方様にこのような申し出は心苦しいのですけれども、わたくし、道に迷っておりまして、帰り道が分からないのです」
縋り付くような視線を送ると、彼は大きく頷いた。
「様子を察するに、あの山賊たちから逃げるので精一杯だったのですね。それにお連れの方々も探しておいででしょう。分かりました、貴女が見知っている場所までお送り致します」
「ああ、本当に何と礼を申し上げれば良いのでしょう」
彼女は目の前の男に心を奪われていた。容姿は悪くない。剣の腕前は抜群、それでいて物腰は柔らかい。彼女が生涯の伴侶に求める理想にほぼ当てはまっていた。
「後は、イアール様のお心をわたくしに向けさえすれば……」
その為の努力を厭う彼女ではない。いざとなれば彼女の身分を明らかにしてでも承諾を取り付けるつもりだ。
「シェラ、こちらの馬を連れてゆきましょう」
彼女が今後の対応策を考えていると、彼は二頭の馬の手綱を曳いて来た。その様子を見て彼女は俯いてみせる。