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清き風は麗しく舞う  作者: 斎木伯彦
哀の剣と愛の盾
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哀の剣と愛の盾

 イアールの拳が空を切る。朧気に見える人影は彼の拳を(のが)れたようだ。シェラザードは剣の構えを解いて、どうするべきか迷う。姿が見えない者が相手では足手まといにしかならないと判断したからだ。

「歯痒いですわね」

 彼の助けになりたいのに、却って足を引っ張っている現状は彼女の誇りも傷つける。不意に胸騒ぎがして彼女は咄嗟に振り返った。その彼女の頬を(かす)め、髪の毛を一房切り落として何かが通り過ぎる。

「え?」

 もしも振り返っていなければ、それは確実に彼女の耳元に突き刺さっていたに違いなかった。慌てて剣を構えて顔面を守る。廊下には何もおらず、気配も感じられない。脂汗が滲む。

「キャッ!」

 構えていた剣先で火花が散った。壁には一本の短剣が突き立ち、足元に刀身が黒いナイフが転がる。

「長、気をつけて!」

 廊下の奥から黒髪を(なび)かせて走って来たのはユーゼラートだった。その手元が(きら)めく。再びシェラザードの目の前で火花が散った。かなりの距離が離れているにも拘わらず彼女の投擲は正確だ。

「彼女を頼みます」

「お任せ下さい」

 駆け付けたユーゼラートに、イアールはシェラザードの身柄を預けた。

「邪魔者が増えたか」

 闇から滲み出るように男性が現れる。黒い外套(マント)を羽織って全身黒尽くめの姿は、イアールよりも僅かに背が高い。通常、一族の刺客が用いるのは刀身の黒い剣だが、彼が握っていたのは普通の短剣だった。その手にある短剣にイアールは視線が釘付けになる。

「その短剣、どこで手に入れた?」

 彼の雰囲気が変わった。刺客の男性はその唇の端を吊り上げる。

「長よ、憶えていたか。そうだ、アベル様を脅かす者には死を!」

 男性は手にした短剣を見せ付けるように突き出した。シェラザードの目の前で、夫の纏う空気が更に変わったかのように張り詰める。

「殺す……」

 イアールは拳を握り締め、委細構わずに突進した。だが目の前から男性は動こうとしない。違和感を察知して彼は立ち止まって振り返る。

「シェラ!」

 呼ばれて身を固くするシェラザード。まさにその背後から忍び寄る影。彼の声に応じてユーゼラートが反射的にシェラを庇った。鮮血が飛び散る。

「くっ……」

「ソフィア様を煩わす不埒者め!」

 イアールの目の前にいる男性と瓜二つの容貌の男性が執拗にシェラザードを狙う。彼女は手にした剣で何とか凌いでいるものの、攻撃に移る余裕はない。

 助けようとしたイアールは、最初に姿を現した男性から刃を向けられ、その対応で足止めされた。シェラザードは夫との約束を思い出して奮起する。

「わたくしも、負けられません」

 部屋を出る前に、自分の身は自分で守ると宣言した。その言葉を信じて夫は彼女を連れて逃げようとしているのだ。信頼を裏切ってはならない。

 彼女は男性の長剣の動きではなく、肘から先の動きを追うように意識を切り替えて、その斬撃を押し返す。

「なかなかできるようだが、長の情婦としては前の女の方が強かったな」

「何を……?」

 情婦呼ばわりされて、シェラザードはカチンと来る。それに『前の女』とはどういうことなのかも気になった。

「注意が散漫だぞ」

 見せ掛けの剣の動きに釣られて防御姿勢を取ったシェラザードに対して、全く逆方向から剣撃を繰り出す男性。彼女は死を覚悟した。

「させません」

 左肩を斬られて(うずく)っていたユーゼラートは機会を窺っていたのだ。立ち上がって男性の攻撃を受け止める。その僅かの隙を衝いて、シェラザードは後退した。

「お前たちが……、お前たちがー!」

 突如、イアールが叫んだ。その視線はシェラザードを狙う長剣に注がれている。彼の怒りが周囲の空気を震わせた。あまりの怒気に気圧(けお)されて、対峙していた男性は後方へ飛び退()く。シェラザードを狙っていた男性も動きを止めて、警戒するように長剣を構え直した。

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