耳飾りの徴
「何か付いていますか?」
「ええ。取りますから、目を閉じて下さい」
「分かりました」
イアールは素直に目蓋を閉じる。彼女は何の躊躇もなく、彼の唇を奪った。そして離れまいとして、彼を強く、強く抱き締める。最初の口付けを交わして、彼女は夢ではないと初めて確信するに至った。
「ああ、まるで夢のよう。夢なら醒めないで欲しいですわ」
「シェラ、貴女は……?」
「イアール様、皇族にとって、口付けは婚儀の証ですの」
微笑み掛けた彼女は確信犯であった。彼女はこうして自らと彼に対して抜き差しならない状況を創り出したのだ。対する彼の表情は曇る。その表情を目にして、彼女の胸に痛みが走った。
「如何なさいましたの?」
「話したいことがあります、ここではなく家の中で話しましょう」
彼に促されて、彼女は家の中に入る。家の中は外見から想像していたよりは、ずっと清潔感に満ち溢れていた。テーブルと椅子、それに真っ白なシーツに覆われたベッドが一台。彼は彼女を椅子に座らせると、向かい合わせにベッドの上へ腰掛けた。それからおもむろに口を開く。
「シェラ、申し訳ありませんが、私には既に、妻がおります」
彼の言葉は物凄い衝撃を彼女に与えた。しかし外見上はそう見せずに微笑むと、やや機械的に言葉を返す。
「そうですか、それは存じませんでした。ですがわたくしは貴方様について行くと決めております。もしも、このわたくしをここで放り出すのだと仰るのでしたならば、迷うことなく自害致します。わたくしは貴方様のいらっしゃらない生活は、もう考えたくも有りません」
「……、辛い選択をさせないで頂きたい」
苦渋に満ちた彼の表情を見れば、彼女もどう思われていたのかおおよその見当がついた。真摯な眼差しで彼を見詰めると、彼は軽く首を振りながら言葉を繋いだ。
「けれども、方法がない訳でもありません」
「それは、どう言うものなのでしょうか。お聞かせ願いますでしょうかしら?」
努めて冷静に、彼女は昂ぶる心を抑えながら聞き返した。
「私の一族では、男は正妻一人と、五人までの側室を持つことを許されています。私には正妻が一人いるきりで、側室は一人もおりません」
「ですから、側室になれと仰るのですね?」
「……そうです」
ややあって、彼は申し訳なさそうに頷いた。それに対してシェラは微笑む。
「嫌です。わたくしは側室などと言う立場は嫌です。正妻として迎えて下さい」
怒ればそれまでである。彼女は自らも不思議なほど落ち着いて話せていた。却ってイアールの方が落ち着かない様子である。
「……、分かりました」
目を閉じて暫く考えていた彼も、意を決して頷く。すると彼女は立ち上がって彼の隣に腰掛けた。そっと手を重ねて彼の瞳を見詰める。
「夫婦と言うものは、契りを交わすそうですが、貴方様もそれをして下さいますか?」
穏やかな口調で、彼女は微笑みながら彼を見詰めた。その瞳の奥に秘められた悲しみの色を見てしまった彼は、彼女の顔に今は亡き愛しい人物の面影を重ねてしまう。それは彼女に対する大きな無礼であったが、彼の理性はそれで吹っ飛んで行ってしまった。初めて彼の方から力強く抱き寄せる。
「ん……」
二度目の口付けは彼女の心と身体を熱くさせる。そして二人はこの夜を分け合った。
「シェラ、共にどこまでも行こう」
「はい、貴方様と一緒ならば、例え地の果てでもお供致します」
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