耳飾りの徴
「日常と変わりなく、過ごさなければなりませんわね」
読み掛けの本を手元に置き、彼女は手紙を読み始める。文面には近くまで戻って来た旨と、機会が有れば再び逢いたいとの内容が記されていた。更にその諒解の印として、窓辺に或るものを置くようにとも。
「お待ちしております、イアール様」
彼女の胸は期待で張り裂けそうだった。早速、侍女に命じて或るものを用意させる。
「殿下、用意致しました。どちらに飾ればよろしいですか?」
「ああ、待っておりましたわ。それではそれを窓辺に飾って頂戴」
「畏まりました」
侍女はすんなりとそれを窓辺に置いた。陽の光を浴びてそれ、真紅のバラの花はより一層美しく見える。
「それでは失礼致します」
侍女が退出して行く。彼女はそのバラを眺めながら、自然と口元が綻ぶのであった。
「殿下のご様子が、おかしい」
チャールズは交替の時間にオースティンにそう告げた。
「何か有ったのか?」
「昼間に黒猫を拾ったのだが、その後からやけに嬉しそうなのだ」
「そうか、それでは今夜は充分に気を付けるとしよう」
「ああ、備えあれば憂いなしだ」
彼らも騎士の勘とでも言うべきもので、既に今夜の危険性を察知していた。
「殿下、これよりオースティンが身辺警護を勤めさせて頂きます」
「ええ、よろしいですわよ」
微笑む彼女の様子は確かにおかしかった。通常ならばもっと気難しい表情をしていたのだから、今夜は何かあって然るべきだと警戒する。
「それでは、何事かありましたら、お呼び下さい」
鄭重に頭を下げて彼は出て行く。
夜更け、眠らずに窓辺に腰掛けていた彼女の元へ、一つの影が舞い降りた。その影は窓から侵入する。彼女は躊躇なく、その影にしがみついた。
「お待ち致しておりました、イアール様」
「長い間、忘れずにいて下さり、嬉しい限りです」
「どうして貴方様を忘れることが出来ましょう。わたくしが貴方様を思わない瞬間など、有りもしないと言うのに」
「シェラ……」
男性は地下からやって来た、あの人物だった。そっと彼女を抱き締める。それから彼女を椅子に腰掛けさせた。彼は彼女の前に跪く。視線が絡み合ったその刹那、彼女の瞳に暗い陰が過った。
「今宵は貴方様に、哀しい報告をしなければなりません」
「それは?」
彼の瞳が驚きで大きく見開かれる。
「兄が、わたくしに結婚を勧めるのです。既に相手も決めてしまったようで、もう貴方様にお会い出来ないかと思うと……」
彼女はその目を覆った。しかし久しぶりに会いに来て、このような話を聞かされた側にしてみれば、彼女が別れを切り出したのだと思っても仕方ない。事実、この時イアールは別れを半ば覚悟していた。




