手鏡の行方
平日毎朝8時に更新。
「お待ちしておりました」
部屋の中では既に、男性が待っていた。彼の向かい側の椅子に彼女も腰掛ける。
「一体、どうなさったのですか?」
急に彼の方から逢いたいと連絡が有ったので、彼女はやって来たのだ。連絡先を教えた憶えはないのだが、机の上に彼からの書状が有るのを今朝になって発見していた。宛名は彼女の偽名であったから、誰かに託したのではないのだろうが、それでは誰が持って来たのかは謎のままだ。その書状を彼女は胸元から取り出した。
「今朝、こちらを読みました」
「そうですか、それは良かった。私も切羽詰まった状況で、明日にも出立しようと考えておりましたので」
「そうですか……」
彼女は頷いてから、彼の言葉を胸の中で繰り返した。それから慌てて彼に質問を浴びせる。
「明日にも出立とは? 一体、どうなさりましたの?」
「それを説明したくて、お呼び立てしたのです」
彼の表情は微笑んだまま変わらない。シェラザードは何を告げられるのか気が気ではないと言うのに。しかし彼の表情は口を開く寸前に暗く沈んだ。
「実は、私の故郷で親しい者が亡くなりました。その葬儀に参列する為にも、遅くとも明日には出立しなければなりません」
「親しい方が?」
「ええ、そして明日出立致しますと、ここへ戻って来れるのは一年後ぐらい。それまで貴女には会えません」
「そんな……」
あまりにも急な話に彼女の唇は震えてしまった。別れも急ならば、その期間も長い。彼について行くには準備をしている時間がなさ過ぎるし、まずは彼の方にも彼女を連れて行く意思は窺えなかった。
「貴女とのこの数日は、実に楽しかったですよ」
再び彼の表情に微笑みが戻る。けれどもシェラザードは首を横に振った。
「わたくしは、待ちます。ですからイアール様、お願いです」
両手を組み合わせ、恐らくはこれまでにも数回ぐらいしか彼女にも憶えがない、哀願を始める。
「必ず戻って来て下さい。わたくしはいつまでも待ち続けます。ですから……」
「シェラ、貴女は私のような者を待っていてはならない身分の方でしょう? ですから私を忘れた方が……」
「嫌です! わたくしは、わたくしは……」
彼女の目尻から、ポロポロと大粒の涙が零れ落ちた。それを認めた瞬間、平静を保っていたイアールが慌てふためく。
「そ、そのように泣かなくても……」
「だって、イアール様が、意地悪を仰られるから」
「私は意地悪で言っているのではなく……」
「では、必ずお戻りになられるのですね?」
「う……」
目尻を拭って微笑んだ彼女に、彼は反論できなかった。少しだけ間を置いて黙って頷いて見せる。




