手鏡の行方
平日毎朝8時に更新。
「ここは……?」
「或る方の住居ですわ」
騎士の問いに皇女はさり気なく答えた。
「そして、貴方に紹介したい人がいますの」
彼女の言葉に応えた訳ではないだろうが、奥のキッチンから一人の男性が顔を出した。
「待っていましたよ、シェラ」
男性の手には皿が一枚ずつ持たれていた。その皿からは湯気が立ち上り、良い香りが漂う。オースティンの鼻をくすぐったその香りは、彼に空腹感を覚えさせた。しかし彼は任務中であると自戒して、それを抑制する。そのような葛藤を知らず、シェラは既に椅子に腰掛けていた。彼女の目の前には先程の皿が並べられている。オースティンは彼女の背後に立ち、警戒を怠らない。
目の前で食卓に皿を並べる男性は、黒でその衣装を統一していた。滑らかな動きは何らかの武術の嗜みがある事実を窺わせる。オースティンはそれが先日出会ったイアールと名乗る男性だと思い至った。その彼が準備を全て済ませたのだろう、シェラの背後に立つオースティンに気付いて声を掛けて来た。
「イアールと申します。先日お会いしましたな?」
ゆったりとした口調でそう頭を下げられては、騎士たる者の条件反射で、思わず礼を返してしまう。
「殿下を警護する、オースティン・アシャルナートだ」
礼は返したが、警戒心を解いた訳ではない。鋭い眼光でイアールのその人となりを見極めようとしていた。足先から頭の上まで舐めつけられるようにして見られているにも拘らず、彼の態度は些かも崩れない。オースティンはイアールの人物像を計り兼ねていた。よほどの大物か、莫迦ではい限りは彼の視線から逃れようとするはずだ。剣士ならば大物なのかもしれないと彼は思い始めていた。しかし、そこである事実に気付かされる。
「殿下、こちらのイアール殿は、剣士ではないのですか?」
「はい?」
シェラはその質問の真意が分からず、小首を傾げた。
「ですから……」
「その質問には私から答えよう。答えはこれだ」
重ねて尋ねようとした彼を制止して、イアールは無造作に人の身の丈ほどもある剣を彼に向けた。
「な……!」
抜いた気配はなかった。それにこうして剣を突き付けられると、改めて彼の剣技の高さに気付かされる。
「分かって頂けましたかな?」
不意に彼の手元から剣が消える。緊張感が解けて、オースティンは自らが大量の汗をかいているのに気付かされた。とてもではないが、まともに勝負した場合、彼に勝ち目は全くないだろう。
「イアール様、冗談が過ぎますわよ」
「こちらの騎士が、冗談を求めているのだと思いまして。これは失礼」
優雅に礼をする彼に、オースティンは何も返せなかった。これほどの剣の技量を持つには、どれほどの修業に明け暮れたのか。それよりも師匠は一体何者なのか、彼の頭の中にはその事柄が渦を巻くようにして巡り続ける。




