手鏡と耳飾りと
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〈手鏡と耳飾りと〉
セントリフテリア皇国。イア・ティルフォートと呼ばれる世界の中心にある国だ。国の頂点には皇王がおり、その下には行政官たちが居並ぶ。政治体系は緩やかな王政を布いていた。国は豊かで争いもほとんど無く、隣国との関係もさほど悪いものではない。
その王宮の一室。大きな鏡のある広間に彼女はいた。赤紫の髪を侍女たちに結い上げられながら、彼女は鏡に映った自らの姿を見詰める。鏡の中の彼女は、やや沈んだ表情をしていた。唇には紅を塗り、美しく着飾っているというのに、彼女の表情は晴れない。
「殿下、今少しで終わります故、暫くのご辛抱を願います」
髪を結っている侍女は、彼女の表情が浮かないのを、長時間に亘る準備の為だと理解していた。けれども実際には違う。彼女の表情が沈んでいるのは、これから向かう場所で開かれる内容に有るのだ。
「終了致しました、殿下」
言われて鏡の中を見ると、そこには目にも鮮やかな淡青色のドレスを着た女性が佇んでいる。やや薄手のそのドレスは、彼女の髪の毛とは色合わせがなっていないが、それでも彼女の美しさを損なわない程度には似合っていた。
「ご用意出来ましたでしょうか?」
部屋の外から呼び掛けられて、彼女は観念した。どうしても行かなければならないのだ。
「ただいま、参ります」
侍女の頭がそう返事をして、部屋の扉を開ける。彼女は転ばないように静かに第一歩を踏み出した。その後は緩やかに、王宮の中庭にある馬車まで侍女たちに取り囲まれて進む。空の半ばまで昇った太陽からの光が中庭に差し込み、ほのかな陽気に包まれていた。彼女だけが馬車に乗り込む。
「行ってらっしゃいませ」
中庭に居並ぶ一同が頭を下げた。その直後に扉が閉められる。ややあって馬車は静かに走り出した。
「はあ……」
一人になって彼女は大きく溜め息をつく。これから向かうのは皇都の西にある皇族の別邸だ。そこでは兄である皇王と、兄が会わせたがっている人物が待ち望んでいるらしい。らしいというのは、彼女自身がその人物とは何の面識も無いからだ。
「お兄様は、何を考えていらっしゃるのでしょう?」
彼女も今年で十六歳、結婚するには早過ぎず、適齢期とも言える年齢だ。むしろ皇族にしては、この年齢まで婚約者の一人もいないのが不思議なぐらいだ。それでも彼女には抵抗があった。まだ嫁ぐには早過ぎると思えるのだ。それに彼女の理想は高い。国一番の剣の使い手で、しかも容姿に恵まれていなければならない。更に付け加えるならば、柔らかな物腰と、彼女を尊重してくれるだけの優しさも持ち合わせていて欲しいのだ。ここまで来ると、高望みが過ぎており、彼女の条件に合致する者などいないようにも思える。その点は彼女も理解はしていた。けれども理想を追い掛けるのが人の性である。
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