下
先生って屋上好きなの?
「えっ?…なんでそう思うの」
だっていっつも暇さえあればここにいるじゃん。だから好きなのかなぁーって。単純にそう思っただけ。
「いや、好きなわけじゃないよ。ただ、これがほしいからここにきてる」
煙草吸うため?ただそれだけなの?
「校内で教師であろうものが、生徒の面前で堂々と吸ってらんないだろ。だから、隠れて煙草吸ってる」
ふふっ。
「…なんだよ」
だって、先生も生徒みたいなことするんだなって思って。こそこそ煙草吸おうとするなんてさ。不良生徒の考え方みたいで笑えたの。
「大人だって不良になりたいこともあるの。…ま、俺のほかにもこうやってたばこ吸う場所を探してる先生って、結構いるからなぁ。ここだけの話だけど」
そーなの!?PTAにバレたらヤバいんじゃないのー。
「みんなでやれば怖くない、だな」
あははっ。なんか今日の先生、クラスの男子みたい。
「そうか?俺はいつも若々しくって心がけてるんだけどなぁ」
でも、その割にはなんか足りないよ。
「なにが?」
んー、なんて言えばいいのかなぁ。……きりっとした、ぱりっとした、しゃきっとした。なんかそーいうの。
「十分きりっとして、ぱりっとして、しゃきっとしてるだろ」
…お世辞にもそーだね。って言えないなぁ。私からは。
「あ、今、上からしゃべったな」
まーまー、いいじゃんっ!…私はそーいうのいいなぁって思うけど?
「“そういうの”って“どういうの”だ?」
なんかさ、しなっとした、ぼさっとした、だるっとしてるかんじ。
「…俺がそう言う感じだってこと?」
……うん。
「失礼だなぁ。一人の教師として、生徒にそんなこと言われるとは思わなかったよ」
私から見たら、先生はそんな感じに見えるんだもん。でも、若々しいよりはいーなって思うけど?
「…そうか!安岡はだらだらした人が好みなんだな。森川先生みたいな感じの」
ちがうちがう!!そんなこといってないよ!!森川みたいなのは、絶対に死んでもヤダ!
「あははっ。先生に向って呼び捨てすんなよー」
…はぁーい。
異国情緒漂う街並み。その中を、粉雪に包まれながら私は歩く。
オレンジ色の街燈が坂道に沿って、上へ上へと続いている。やっぱり、最後のとこに選んでよかった、としみじみ思った。
その景色を見上げると、坂道の中腹ぐらいに1人の男性が降りてきているのが目にとまった。
きっと、生きていれば私のお父さんより少し年下くらいだと思う。
周りにはもうすでに誰も歩いていなくて、家々の明かりも消され、カーテンも閉め切られているような時間帯にしては、その人は酔っているわけでもなく、帽子をかぶってただ歩いていた。
白いこの世界には、まるで私とその人しかいないような気がした。
知り合いでもないその人と。
…そんな不可思議な気持ちにとりつかれていると、雪道に足元をすくわれ、私はその場に尻もちをついた。
いってぇ。と言葉を漏らしながら、近くのベンチに座って靴の中に入ってしまった雪をほろった。
「そんな靴履いてれば、転ぶのも当たり前じゃないか」
気がつくとさっきの人が、私の近くまで来ていた。
「今日みたいな雪だと特に気をつけなくちゃならないんだ。つるつるした路面の上を粉雪が覆うから」
言われてみれば、向こうの感覚で冬靴じゃないものを履いてきたから、こんな道で滑るのも当たり前だった。
「観光?」
「んー、そんなかんじですねぇ」
「そうかそうか。ま、あっまり人には言えない事情があってこっちに来てみた訳だな…隣、いいか?毎日眠れなくなると、このベンチで一服するのが俺の楽しみなもんでさ」
ポケットからマルボロのつぶれかけたケースをとり出し、私に尋ねた。
どうぞどうぞと返事を返し、右側に移動した。
ベンチに薄っすら積もった雪をほろい、左側に腰掛けて、その人はケースから一本取り出しくわえた。
どこかの店名がプリントされているクリアブルーのライターで火をつけ、大きく息を吸い込んだ。
「この調子だと、明日は冷えるな」
「…なんでわかるんですか?」
そういうとその人は、ポケットに突っこんでいた右手の人差し指を立てて、天上に向けた。
指さす方向を見ると、5分の1欠けた月が独りぽかり、と浮かんでいた。
あまりの明るさに周りの雲が透けている。
「月とか星がものすごくすっきり透き通って見える夜は、次の朝、だいたい冷える。…ま、だいたいだけどなぁ」
「へぇー」
「…それでその月や星を見て、自分もすっきり透き通った気持ちになる夜は、次の朝、絶対に冷える。青空が広がる朝で」
そう言われて、もう一度上を見た。
でも、もうすでに雲で陰って月は見えなくなっていた。大きな大きな雲の陰になって。
「…雪国の青空ってどんなかんじですか?」
「見たことないのか?」
「はい。…残念ながら」
「じゃあ、どんなものだと思う?…直感でいいよ」
「直感でですか。……青々としてて、爽やかで、きれい」
「って大体の人は答えるんだよ」
「ちがうんですか?」
煙をふ、と吐き出す。マイナス気温なか、空気は煙までも美しく魅せた。
「本当はものすごく淋しげなんだよ。空の色、雲の密度、すべてが薄い。寒々として、淋しくて。…でも、空気だけがピンと張ってる。まるで琴線のように。そして、その中で目を細めると、なんだかうれしくなれる。細めた目ですべてを見渡すと、なんでもできそうな気になれる」
想像しても追い付けなかった。
だって、私の中では青空は元気な証拠の一つだと思っていたから。
でも、それが淋しげ。
でも、目を細めるとうれしい。
「…きっとわからないと思う。でも、明日になればわかるよ」
「明日までには、私、いないから」
「明日までいようと思ったら、いれるさ」
「…青空。見れるかな。……私、バカだから、空が見せてくれないかも」
その人は上をさした。つられて上を見る。
さっきまでの大きな大きな雲が去り、5分の4の月がいた。
「俺がすっきり透き通った気持ちだから大丈夫。…しなったとした、ぼさっとした、だるってしてる俺がそういうんだから」
煙草を地に落とし、ゴム底で踏みつけてベンチを立った。
「バカなんて言うんじゃない。自分のことを。…ここまでちゃんとやってきたんだから、バカじゃない。もちろん、このずっとずっと先も」
私に笑顔を送って、その人は猫背で坂を登って行った。
もう一度、月を見る。
なんか、ぼやけて二重にみえるじゃん。……バカ。
仕方ないから、青空、探してみるよ。
この先も、ずっと。
いろんな青空を。
end
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