中
先生ー。
「ん、どうした?」
先生の生まれたとこってどこ?
「生まれた所かー。俺の生まれたところは、北海道だよ」
へぇー。北海道のどこ?
「函館」
…ハコダテ?それってどこ。
「覚えてないのか。昨日の授業で教えたろ。1854年、日米和親条約で下田と一緒に開港された貿易港のひとつだぞって」
放課後の時まで、勉強の話なんか聞きたくない。
「なんてってゆーな。なんてって」
はぁーい。…でも、先生が授業の時に『函館は俺の生まれたとこなんだぞー』って言ってくれたら、絶対覚えてたよ?
「はははっ。本当か?」
うん。ほんとほんと。絶対に覚えてた!
「じゃあ、そう言っとけばよかったな」
なんでそう言わなかったの。
「ん?…言いたくなかったから」
それじゃ、わけわかんないよ。もっと深く言って!深く。
「もっと深く言うと、か?深く、なぁ…。しいて言うなら、自分の中だけの場所にしと来たかったから。ってかんじだな」
自分の中だけの場所…
「うん。函館はな、治安は悪いとかってよく言われるけど、いい所だよ。こんな俺でも、なーんにも言わないで受け入れてくれる街」
へぇー。じゃあ、いいことばっかりのとこだったんだね。先生にとって。
「いいことばっかりかぁ。…いや、今から考えればいいことなんて数えるくらいしかなかった」
…それなのにいい街なの?
「うん。いい街。冬なんて特に」
そーなんだ。
「いつか行ってみればいいよ。きっと安岡ならわかる」
え、私?すっごくバカなのに!?
「馬鹿なんかじゃないよ。安岡は全然バカじゃない」
そーかなぁ。私、すっごくバカなのに。勉強とか、もうその言葉聞いてるだけでヤダし。
「そんなことだけでバカなんて言わないよ」
…でもさ、そんなバカな私に先生の中だけの場所に行ってみればいーよ。とか言っちゃっていいの?
「全然。むしろ行ってほしいよ」
……どうして?
「ん?行ってほしいから」
そんな言い方じゃ、わけわかんないんだってばー!
「はははっ。ほら、もうそんなことはいいから。いい加減に帰るぞ」
先生ってば、今の言葉の意味教えてよー。
「期末で100点取ったら、教えてやってもいいけどなぁ」
だからー、私はバカだから無理なの!
「ほら、行くぞ」
先生、教えてよー!
冬景色。
そんな言葉をよく聞いたことあるけど、自分自身の目で、生で見るとこんな感じなのだろう。
すっぽりと白い粉を身にまとって。寒いけれど、冷たいけれど、なぜか暖かみがある風が吹いている。
そっか。先生はこんな中で暮らしていたんだ。
きしきし、と鳴る路をあるいていたんだ。
上を見上げると、星も見えないくらい真っ暗な空から落ちてくる真っ白な粒。
果ても分からない夜空から、限りなく落ちてくる通は私の頬を撫でる。
そっか。先生はこんな心地良さを知っていたんだ。
昔、私の友達が「曇ってる夜空を見てると、自分が吸い込まれて行っちゃいそうでなんか怖くなる」そう呟いていたことがあった。
でも、こんな夜空になら吸い込まれてもいい気がする。
いや。いっそのこと吸い込まれてしまいたい。
良いことだけ持って、悪いことだけ捨てて。
…だけど、そんなことは考えちゃいけない。自己中すぎる私の始まりだ。
こうやって「生」を受けてこの世にいる以上、「良いことだけ」なんてそんな安易なこと。そんな幸福なこと。たやすく考えちゃダメなんだよ。
私はきしきし、と白い吐息を吐きながら、当てもなく歩いた。




