表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いのちづな。  作者: 春野
1/3

上・中・下の3話連載でお送りしたいと思います。

「…おい、そこのネクタイこっちに投げてよこせよ」


化粧台の前で、ワイシャツを着ている男が私に命令する。


ベットに腰掛けながら、私は周りを見回した。


2、3回繰り返す。


「ちゃんとみろよ。そこだよ、そこ!」


「…そこってどこ」


「お前の足元だよ。ちゃんと見ろって」


足元に落ちている、グレーのネクタイをつかむ。


「早くこっちに投げろ。…あ、やっぱりいいや。お前が俺にネクタイつけろよ」


私は内心で、は?と。


「早くネクタイ見つけられなかった罰だよ。こっちにきて、ネクタイつけろ」


「あたし…ネクタイなんてつけたことないもん」


「あ?こんな仕事してるくせに、それくらいもできねぇのかよ。…ったく、やっぱこういう仕事してる奴ってバカなんだよな」


ネクタイを男に投げた。


…でも、本当は投げつけてやりたかったんだ。


「俺さ、帰んなきゃなんねぇんだから、早く着替えろよ。お前だけ置いてくわけにもいかねぇから」


「まだもらってない」


「あ?」


「まだもらってないから、着替えない」


「あー、金のこと?俺、今それどころじゃねぇんだよ。終電間に合わなかったら、またあいつの八つ当たりくらうんだって」


男は手早くネクタイを締めて行った。


これは相当急いでいる様子だ。


「奥さんと仲悪いの?」


「仲ぁ?…悪いんじゃねぇの。外から内からどうみても。この頃あいつ本当にイライラしてて。なんだっけ、ほら……あの、…あれだよ。あれ!」


髪型で若く見せようとしても、頭がついていかないらしい。


「…あ、育児ノイローゼ!あれだ、あれ。2人目産んでからイライラ、イライラって。いい迷惑だよ」


「2人も子ども居るんだぁ。けっこう年取ってから生まれたんだね」


「そーだよ」


「へぇー…」


実際、こんな親父の身内話はどうでもよかった。


わたしはお金をもらえればそれでいいから。


「ほら、やるよ」


男は札を投げてよこした。


カーペットに散乱した札を拾いに、ベットから降りる。


「やべっ。本当に終電いっちまう」


腕時計に目を落とし、急いで部屋から出て行った。


…なんだ。たった7000円か。






1人で1階ロビーへと降りていくと、受付にはぴったりと寄り添いながらコースを決めているカップルの姿があった。


…そう言えば、あの女は昨日も池袋のホテルでみたなぁ。


そのままホテルを出ようとすると、店員に声をかけられた。


「お客様!料金が未払いですっ」


…あの男。金も払わないででていったのか。


「5000円になります」


7000−5000=2000。


『2000円の女』か。


料金を払い、お釣りの2000円をくしゃくしゃにしてポケットに押し込んだ。





外に出ると、どこかの会社の上司と部下。キャバ嬢に誘われている親父。ホストと一夜の夢をともにしている人妻。みんながそれぞれの事情を抱えて、ひしめき合っていた。


こんな世界、やめてやる。なんどそう思っただろう。


金を稼ぐために、少し足を浸しただけだった。


でも、底はそんなに浅くなかった。みるみるうちに呑まれていく。


「酸いも甘いも楽しませてくれる場所なんだよ。ここは」いつか私にそう言った男がいた。


「甘いなんてないじゃん。本当は、酸いばっかじゃん」私はその時そう思った。


でも、現実はあながち嘘じゃなかった。ただ唯一間違っている場所はある。


『酸いも甘いも楽しませる場所』って言うのが本当。


でも、そんな場所とももうお別れ。


やっとお金がたまったんだ。しかも、ちょうど肌寒いこの季節に。


ただ少し悔いが残るのは、最後の相手があんな最低な男だったってこと。


明日の朝、私は旅立つ。憧れのあの場所へ。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ