日常のはじまり
例えば、ぼくが事前登録に失敗したとしよう。その場合って普通は何事にも反映されず、何も変わらない日常がくるはずだと思っている。それなのに、急遽アメリカから帰国した、つまり編入届を出し損ねたぼくは、この秋からとある私立の高校に入ることになったのだが。さらに、追加オプションで、「下宿」と言うおまけが付いてきていたらしい。
関西国際空港から「はるか」に乗り京都駅について早5分。ぼくはスーツケース2つと、リュックサックひとつ、あと、食べかけのサンドイッチが入ったビニール袋を持って、母親に言われた通りに、赤の軽自動車を待っていた。メールによると、ぼくを迎えに来てくれるのは母親の幼なじみだそうで、偶然彼女にはぼくと同期の娘さんがいるらしい。ちなみに名前は分からない。メールに書かれていないからだ。そして、まぁ会った時に聞けば良いやという「後回し至上主義」のぼくが、確認なんてするはずもない。
キィイとブレーキをかけて、ぼくの目の前に赤い車が止まる。ナンバープレートが黄色だから、これが母の幼なじみの人なんだろう。とりあえず挨拶をした方が感じが良いに違いないし、これからの約1年半、京都にいる=ちょこちょことこの人にお世話になるのだから、第一印象は捨てがたい。その場で背筋を伸ばして深めに会釈をする。なんの反応もないなぁと思っていると、バタンッと音を立てて、アラフォーと見える女性が出てきた。
「はじめまして、カナちゃんトコの……ユカリちゃんやんなぁ?」「あ、はい。あの、よろしくお願いします」反射的にペコペコと頭を下げると、おハルさん(彼女がそう呼ぶように言った)も何故かパシパシ僕をしばきながら飴ちゃんを勧めてきた。どうやら、大阪のおばちゃんというのは、別に大阪だけに生息する訳ではないらしい。おハルさんは、いちごの飴ちゃんかソーダーのやつか。あ、それともキャラメルがええかな、とポケットを漁っていたから、ソーダーのやつを頂くことにした。飴ちゃんを配ってからのおハルさんの仕事は迅速で、わたわたしているうちにぼくはスーツケース諸共後部座席に詰め込まれた。
「ユカリちゃん、えらい地味なカッコしてはるから、おばさんなかなかわからんかったわぁ。カナちゃんは、水色のリボン頭に巻いてるって言ってたからすぐ見つかる思ったわ」発進してしばらくたった頃、心配になるドライビングテクニックを見せるおハルさんが唐突に話だした。
「あー、リボン小さいですから、遠目には見えないんですかね」
と返す。
「せやなぁ、確かにちっさいわ。うちの旅館の中居さんらの方がボーンってデッカイのつけてはるよ」おハルさんは旅館を運営しているらしい。自宅が旅館だそうだし、こじんまりした所なのかもしれない。ーー先に言っておこう。これが間違いだった、ぼくはもっと想像力をフル稼働するべきだったのだ。