父さんな……異世界転生で食って行こうと思うんだ
「父さんな……異世界転生で食って行こうと思うんだ」
カチャカチャと食器の音が静かに響く食卓に、親父からポツリとそんな言葉が転がった。
俺は肉じゃがを食べる手を止めて思わず顔を上げた。母さんは口元に持って行った箸をピタリと止め、弟はテレビに夢中になっていたが、わずかに耳がピクリと動くのが見て取れた。
「…………」
「…………」
「……ん? 分かり難かったか? 異世界ってのは……」
「……それは、小説家として食っていくってこと?」
「いいや」
親父は真面目な顔で眼鏡を掛け直し、瞳の奥を光らせた。
「異世界転生して、向こうの世界で食って行こうって……父さん、本気でそう思ってるんだ」
「…………」
「…………」
「それじゃ、私たちはどうするのよ?」
シン……と静まり返ったリビングに、母さんの至極真っ当な疑問が響き渡った。俺も肉じゃが運びを再開し、母さんに追随するように頷いた。
「そうだよ。食っていくって、それって、自分だけ異世界でのうのうと暮らすって意味じゃないか。俺たちはどうなるんだよ」
「”異族”に関しては……」
「いぞく?」
「嗚呼。家族が異世界に転生して、残された身内のことを我々はそう呼んでいるんだが……」
いつの間に”我々”と呼べるほどの仲間を募ったのか知らないが、親父はそれがさも当然のことのように話を進めた。
「やっと、自分のやりたいことが見つかりそうなんだ。異世界……。リーマンでは味わえない、本物のスローライフさ。畑を耕したり、弱くて勝てる相手とだけ戦って、のんびり暮らすんだ……」
「やめてくださいよ。みっともない。その歳で異世界だなんて……」
「夢を見るのに歳なんて関係ない」
母さんが人参を口に含みながら心底嫌そうな顔をした。普段は母さんに顔が上がらない親父も、今回だけは頑なに一歩も引かなかった。
「PS4じゃダメなの?」
「ダメだ。良いか、芳樹。これはゲームじゃないんだ。俺は本気で、世界を渡ろうと思う。異世界に転生しようと思ってるんだよ」
「…………」
親父は眉間にしわを寄せ、俺の代替案をあっさり退けた。
「お前こそ、さっさと異世界転生したらどうだ? お向かいの吉田さんとこだって、先月には転生したって話だぞ。優秀な人材ほど、真っ先に転生してる時代じゃないか。確かにお前は現実ではうだつが上がらないが、別の世界に行ったらちょっとはマシになるかもしれん……」
「それが息子に言うことか……」
実の親から遠回しに死ねと言われ、俺はガックリと肩を落とした。
「んなことねーよ。大体転生って……流行ってるけど、どうも信用ならねえんだよなあ。本当に行ったかどうか証拠ないじゃん。こっちの世界にいる身からしたら、ただ亡くなっただけにしか見えないんだよ」
「真面目か、お前は。これだから……行って見たら分かるって。俺も、行くからな」
「待ちなさい、貴方。車と家のローンはどうするの? 後二十年くらい残ってるわよ……」
ちょうど、テレビ番組がCMに入った。弟はリモコンを手繰り寄せ、カチャカチャとチャンネルを選び始めた。
「だから、それも心配ない。俺は転生するわけだから。”異族”に関しては、政府から多少なりの保証も出る」
「最低か、アンタ。家族を残して自分だけ転生って……」
冷え切った食卓で、親父は必死の形相で両手を合わせた。
「頼むよ。俺だって本当は、高校生の流行った時に転生したかったさ! スライムになりたかったさ! でもブームに乗れなくて……ズルズルと、この歳までこの現実世界でやってきたんだ」
「だったら、それに誇りを持てよ……」
「だが、出世競争に終わりが見え始め、子育ても一段落したこのタイミングで……若かりし頃の夢がムラムラと……。あの頃は良かった……。若く瑞々しい肉体……認め合える仲間達……ハーレム……チート……」
「…………」
「なあ、母さんも一緒に行かないか! 次の世界へ!」
親父は数十年前のブームを思い出し、一人恍惚とした表情を浮かべていた。言ってることが、まるで怪しい宗教の勧誘だ。このままでは埒があかない。激しい温度差に風邪を引きそうになりながら、俺は恐る恐る母さんを見上げた。
「分かったわ」
「!?」
母さんの予想外の返事に、俺も親父も弟も目を丸くした。母さんはニコリともせずに箸を置き、角を突き出した。
「そんなに異世界に行きたいんだったら、行ってくれば良いじゃない」
「!」
「母さん……」
「その代わり、私は行きません。行くなら、お一人でどうぞ」
「!」
母さんの返事に、親父が悲しそうに顔を歪ませた。親父は動揺を隠しきれず、ジャガイモを床に放り出した。
「か、母さん……。どうしてだ? こんな世界、嫌なことばっかりじゃないか。税金は高えし、生活は一向に良くならねえし……」
「嫌なことが何一つない世界が、良い世界だとは限らないじゃない。貴方が色々不満や不安なことを打ち明けてくれたの、私は、嬉しかったけど……」
「!?」
「それに、嫌なことが何一つなかったら……貴方と出会うこともなかったのよ……」
「母さん……!」
親父が、今度は勢い余って箸を取り落とした。
俺は席を立った。弟も空気を察したのか、テレビを消し、俺たちは二人を残しリビングを後にした。
「兄ちゃん。PS4やる?」
「いや……。今日こそ宿題、片付けねえとな」
「そう」
弟はつまらなそうに尻尾を振り、二階へ戻って行った。
「さて……と」
言われっぱなしじゃ、性に合わない。
確かに人気の異世界スポット・日本はいい国だと聞いているが……現実だって捨てたもんじゃないはずだ
俺は、この世界で少しでもうだつを上げようと……剣を手にし、翼を広げ、魔界学校から出されていた宿題の”リザード狩り”を終わらせるために……異世界じゃないこの現実世界の”迷いの森”へと向かった。