暁夕
ばいばい、僕は君をあいしてる。
なんども君に救われた。自分の中の猜疑心や自己嫌悪を捨てるよう努力しながら、最初はきみの目も見れなかったわたしが、君の許し、ありえないくらいのいろんな許しを得ながら、やっと薬やマスクやガムがなくても、ちゃんと眼鏡をかけたまま君を見られるようになって。
苺を食べていた君はとても珍しくて、一生懸命に口を動かしているのを、ずっと見ていられると思った。君がうつむいてしまうので、見るのをやめたけど。
君のことを書くたび、わたしのふくらはぎや胸の表面や首の後ろに自己嫌悪がはしる。
きみは、わたしより、ロジカルだ。
社会にも、必要とされているのは、明確だ。
でも、わたしは、道理がすこしわかる。
それが綺麗な日本語じゃなくても。
わたしの道理は、わたしが知ってる。
とにかく、きみのことを、わたしは書く。
きみの白さを見ていて、飽きないこと。
なめらかさとずる賢さが同居していて。
わたしは容易に取り崩せないけど。
ねえ君はわたしの名前を呼ばないね。
けれど、優しくしてくれる。
わたしはあんなすがた見られたくないのに。
君だって見たくないはずなのに。
君がいなくなっても、生きていけるよう。
思い描く、きっと、四国とかに行って。
なにか小さな会社に入って、仕事をして、
夕方には畑で大根やごぼうを掘抜き、
夜には星を見ながらカミュなんか読んで、
週末には曹洞宗の寺に坐禅しにいく。
それで、たまに遠出して新しい知識を得て、
株なんかでちょっと一期一憂しながら、
本当に親しい友達にだけラインを送って、
きみのしあわせを願って眠る。
ゆっくりと歳を取ろう、君がいなくとも。