仮説の成立
胡の見送りとともにジェーンはセーフハウスから出た。そのまま神殿へと向かう。神殿は明後日の神殿長選挙に向けて佳境だった。それぞれの支持者が応援演説をしている。ジェーンはその騒ぎを横目に見つつ、転移室から帝国公文書館のある学都と呼ばれる都市「ラタン」へとジャンプした。
転移とは、この世界において重要なインフラで、だいたい人間一人を転移装置間に送り込むことができる。
転移装置は魔導文明よりも古代に存在をした「魔法文明時代」の遺産で、もはや再現をすることすらこの時代では不可能である。その管理運営をしているのは神殿で、この再現すら不可能な転移装置があるからこそ神殿はこの世界においていかなる国家からも干渉されない超国家機関として存在できる。
ラタンは学都と通称をされるほど様々な学術機関が集っている都市であり、種類に限らず勉学を志すものは一度は学びに行きたいと思っている場所である。
元々ラタンは北方王国の首都だった。北方帝国の勃興期、王国は侵略をする帝国軍から宮廷を守るべく南にある軍都に急遽遷都をした。その際運びきれない様々な文書を住民ごと火にかけようとした時、ラタンは当時皇太子であった二代目皇帝によって電撃的に占領。住人の生命財産と貴重な資料を灰燼から守ったのであった。
二代目皇帝は後の世に「賢帝」と讃えられるほど頭の良い人物であり、ラタンの持つ資料がどれだけ貴重なのか良く理解していた。皇帝になった後、ラタンに様々な学術資料を集約。今に至る学都の基礎をつくる。
帝国公文書館はその時につくられた資料館である。主に公文書や行政資料を中心に収集をするが、警備の厳重さ故に地下に禁書を収蔵している。
ジェーンはその帝国公文書館の前に立っている。帝国公文書館は重厚な建物で門の前には武装をした門番が二人こちらを睥睨している。
「失礼。宋家の紹介できた者ですが」
「宋家……スージョウの宋家ですね。話は伺っています。どうぞお通りください」
門番が慇懃無礼に答える。笑み一つこぼさない。帝国では愛想笑いは軽輩の証とされているのだ。
(都市同盟とは逆ね)
スージョウやライン等南部にある都市国家群は同盟を結んで北方帝国に対抗をしている。この同盟を「都市同盟」という。都市同盟では柔和な笑みは警戒心を解く為商売で不可欠なのである。そのため帝国人は都市同盟の人々を軽薄の輩と蔑み、同盟人は帝国の人々を愛想がない奴と馬鹿にするのである。
ともあれ門を潜り抜けると重々しい扉のから中に入った。内部は公文書館だけあってインクの臭いが充満している。
「ジェーン様ですね」
ジェーンの横から話しかけたのは白の長衣を身に纏った女性だった。ただ、普通の人間と違うのは露出している首が機械という点にある。良く見ると、手の甲より手首にかけても機械になっている。
人と機械の融合生命体……機人である。
「ええ、私はジェーン・ドゥですが、あなたは?」
「これは失礼致しました。私はポーフィリーと申します。このたび、あなた様の案内人を仰せつかっています。申し訳ありませんが、ここは外国の方は全て案内人をつけさせていただいておりますのでご了承ください」
多分門番から自分が来た連絡が行ったのだろう。そして彼女は表向き案内人だが、監視者でもある。
(ま、当然ね)
一応外国人にもある程度の伝があれば閲覧が可能とは言え公文書を扱っているのである。むしろ監視がつくのは至極当然といえた。流石に滅多に見ない機人がつくのは予想外だったが。
「失礼ですが、珍しいわね、機人さんは久方ぶりに見たわ」
「そうですね。同胞は集落にて生活していますから。私は二代目皇帝陛下の勅命にてこの公文書館を守らせていただいております」
「なるほど。古株なのね。……よろしく、ポーフィリーさん。さて、早速で申し訳ないけど、王国時代中期、特に300年代半ばの王国の財務状況の資料に案内してくれるかしら」
ジェーンのそのオーダーにポーフィリーは困惑の色を浮かべた。
「300年代中期の財務資料ですか?……申し訳ありませんが、私はジェシガン関連の事をお調べになると伺っていたのですが……」
「ええ、そのジェシガン関連で財務資料が必要なの。ああ、後、同時期の日記や軍関係の出動記録もよろしく」
「は、はぁ……」
ポーフィリーは首を捻りつつも機人らしい正確さでオーダーされた資料を次々と探し出し、ジェーンの席へと運んできた。ジェーンはその真剣な表情で資料を繙いていく。
資料の検索と検証作業はその日と、次の日に及んだ。公文書館の近くに宿を取り、朝から閉館時間まで詰めている。
三日目になると考えのまとめに作業に入った。幾枚も資料から必要な文章を抜粋した紙が机の上に散乱し、どの紙にも様々な書き付けが書き込まれている。
しかし、その手が止まって数時間後、ポーフィリーが話しかけた。
「ジェーン様。もうそろそろ閉館時間ですが……」
「ああ、もうそんな時間」
言われて初めて窓の外を見た、もう既に夕闇が濃くなっている。
「大分お考えのようですね」
「ちょっと考えが煮詰まってね……。ねぇ、ポーフィリー。あなた、もしジェシガンがいなかったとしたらどうする?」
「ふむ……面白い仮説ですね。なぜその仮説に至ったのか、お尋ねして良いですか?」
そうねと少し、考える。
「私が気になったのは、実際にマードナル領とされていた場所に行った事があるからなの。その当時はジェシガンの名前は知らなくてね。ただの農村があるだけだったわ。……最初に資料で抱いた違和感がそれ。だっておかしいじゃない。なんでその地域の誰一人ジェシガンの事件を知らないの?」
「それは王国が箝口令を引いたからでは?」
「私も最初そうかと思って、違和感を振り払ったの……だけど、今まで資料を読み込んではっきりしたわ。ジェシガンが存在をした形跡が何処にもないの。正確にはジェシガンが叛乱を起こした証拠だけど……。
と、いうのも、まず親衛隊が出動したのにもかかわらず同時代の日記に誰も記していない。
当時の貴族は筆まめで、日記をつけるのが一つのブームだったけど、それが日記をつけていないというのは不自然。さらに当時の宮廷の予算、決算を照らし合わせた結果も不自然な増額、減額はない。……これっておかしくない。臨時部隊が編成されたにもかかわらず不自然さはないって。部隊運営費、激しい攻城戦が展開されたという話だから当然負傷者、死者が出る。それ等の恩給、見舞金……。普通に考えて緊急予算とその決算が出る事態よ。
最後にだめ押し。さっきも言ったけど、親衛隊の名簿を見たけど、その時代、大きく欠ける事態は起こっていない。自然増減だけ……。
これ等が指し示すのはただ一つ。ジェシガンが存在しないという事」
「では……ジェシガンの錬金術の資料は?」
「ジェシガンの記録の中にただ一人、家族の他に名前がある人物を知っている?」
「……ジェシガンを討伐したというドーン・F・フレデリック公爵……」
「そう。ドーン公。そしてドーン公自身かなりの錬金術師だった。そしてドーン公の専門分野は生命錬金術。……ジェシガンと同じなの」
「え……まさか……」
「ドーン公が架空のジェシガンという人物を作り出した。……これは今も限らないんだけど、生命錬金術は人体実験が不可欠なの。今の人体実験はある程度の安全を確保された上で報酬を払う志願制だけど……その当時の人体実験は犯罪者や捕虜を使うのが通例。だけどいくら優秀とは言え王族が堂々と人体実験をするのは外聞が悪い。しかも手に染めていたのは王族といえども違法な人体実験の数々……。
そこでドーン公はジェシガン・マードナルという人物を作り上げた。多分手に染めていた犯罪行為が露見しそうになったからと推測をするわね。詳細なカヴァーストーリーを作り上げ、違法の証拠である資料の全てをジェシガンに押しつけ、資料を全て禁書にして、合法的な錬金術を自らの成果とした……。もちろんこれらが王弟とは言え一人の人間が出来るとは思えないから、たぶんその時代の生命錬金術でドーン公のシンパが工作をしたと思うんだけど、これなら全てのつじつまは合うの。
事実、ドーン公の錬金術資料はあるけど、ジェシガンは所謂「禁書」以外の資料は見つかっていない。優秀な錬金術師なら今でも資料が伝わってもおかしくないのにね」
「なるほど。しかし、何に思い悩んでいたんですか?」
「ここまで思い至って、次に困ったの。それと今回の事件とどう関係があるんだろうって。多分無関係じゃないだろうけど、今回の事件との繋がりがいっこうに見えてこないって」
「今回の事件、ですか?」
ポーフィリーが首を傾げる。公文書館側としては「ジェシガンの資料の調査」という事になっているのだ。ジェーンは今まで起きた事を話す。そして神殿長選挙に関しても。
ポーフィリーはそれに対し真剣に聞いており、最後にぽつりとこぼした。
「なるほど。それで調査を行ったのですか。……それにしても妙な事がありますね。お話に伺ったそちらの副神殿長様とドーン公の姓が同じだなんて」
「え?」
「ご存じなかったのですか?ドーン公のセカンドネームはフンベルトですよ。当時の住人は個人名・母方姓・父親姓を名乗るのが一般的です。ドーン公のフルネームはドーン・フンベルト・フレデリック公爵になります。」
「ちょっと待って。では……」
ジェーンはそう告げると猛烈な勢いで机の上に山積みされていた資料を当たる。
「あった。ドーン公の母方の一族……ドーン公の母は名のある貴族の出身で、その貴族は宮廷と一緒に軍都に下った後……さらに南の都市同盟に亡命……亡命した都市は……ライン……!」
その瞬間、ジェーンの頭の中で全ての輪がつながった。
「分かった……今回の犯人が……ねぇ、ポーフィリー。今の刻限は!」
「はい、もう既に閉館時間を過ぎていますが……」
「やばい!ごめんなさい。私は大至急戻るわ。ここの後片付けお願い!!」
ジェーンはポーフィリーの返事を聞かずに外へ飛び出した。そのまま最速で転移装置の受付をし、ラインへと戻ってきた。