宋家と異種族
二人は商談が成立した証に握手をすると、ひとしきり世間話をしてマージは帰宅をしていった。
次の日の早朝、ジェーンの自宅に訪問者が訪れた。白髪に口ひげを蓄えた初老の紳士。朝早いというのにさっぱりとベストに組み合わせたスーツを着ており、ジェーンの顔を見ると折り目正しく頭を下げた。
「おはようございます、お嬢様」
彼はジェーン・ドゥの公的なスポンサー、宋家の執事、胡・哲文だ。胡は宋家の複数いる副執事の一人で、主に家族の面倒を担当している。
「胡さん、どうしたの?」
「はい、お嬢様。ナルミ=アイゼン司祭より連絡を受けまして、旦那様がお嬢様のお手伝いをしろとのことです」
胡はジェーンが中に入れると恭しく中に入り、そのままこちらが何も言わない内からダイニングにて紅茶を淹れる準備を始める。
「胡さん。お茶の準備なんてお客様がすることではないわ」
「いえいえ。紅茶の給仕は私の仕事ですので。むしろお嬢様のお手を煩わせるまでもありません。それより、ナルミ=アイゼン司祭様はジェーン様に話をする前に旦那様にご相談されておりまして、その話を聞いた旦那様はこの事件にただならぬ気配を感じたようです。それでジェーン様に依頼をするようにアドバイスをするとともに私めにお嬢様の手伝いをするようにと仰りました」
「そう……」
現在の宋家の当主の名前は宋・登竜である。宋家は文明世界が崩壊した直後に東方大陸よりきた一族で、サムライやニンジャ等東方大陸の文化がこの大陸に到達した時とほぼ時を同じくしている。
その頃より、宋家には一つの習慣があった。ある年齢になったら自らの子供を「捨てる」のである。
もちろん、そこ等の路地や野原に置き去りをするのではない。縁を切って他家に預けたり修行の旅に出させるのである。そして実力を発揮した子供を再度復縁し、その子供を家の長や重鎮等の幹部に据える。
実力を発揮できなかったらそれっきり。社会で十分揉まれた子供はますます家を栄えさせるというのが魂胆であった。
しかし、「子捨て」の習慣は代を経るにつれて形骸化し、今では名前を変えて他家に奉公修行に出させる程度になった。もちろん縁を切ったりしない。
宋家の長女、宋・徳美が形骸化した「子捨て」を自ら行うと宣言したのは15歳の誕生日であった。
誕生日の宴会の席で父である当主登竜に「自らの縁を切り、修行の旅に出せ」と主張をしたのだ。当然その発言は物議を醸し、幾夜にも渡って話し合いが行われた。
徳美にも発言を翻すように求められ、母による泣き落とし、父による詰問、兄による説得が行われた。が、彼女の意志を変える事が出来ず結局、徳美は名を「ジェーン・ドゥ」と変え、冒険者となって世界中を駆け巡った。
ちなみに「ジェーン・ドゥ」とは身元不明の女性の死体の事であり、その名を名乗った瞬間から「私は一旦死んだ物とする」という意志が込められていた。
10年間の長い旅で北は大陸北部、北方帝国のさらに北にある山岳部族が集う地域から、南は南部の大密林地帯へ。西は西部の神殿総本山から東は諸島群まで足を伸ばした。彼女は経験と見聞を深め、そこから得る情報を初めとした物を売買する事により行商としても名が高まったのだった、今では純粋に実力にて宋家より仕事を任されるようになってきつつある。
ここ二、三年ほどはラインを根拠地としているが、もうそろそろ宋家より復縁の話が持ち上がってきている。最も、仕事が楽しいジェーンはなかなか首を縦に振ってはいない。
それに、今更自分が戻っても既に兄は宋家の次期当主としての地位を確立しており、自分が復縁して周囲に波風を立たせる訳にはいかないという考えもあった。
「OK,じゃぁ胡さんにも手伝って貰いますか」
「何なりと」
「じゃぁ、まずジェシガンの事について調べてきて貰えるかしら。ジェシガンの公式な記録……生年月日から享年までの詳細な経歴、研究成果から人体実験の犠牲者、鎮圧に動員された部隊とその内容に至るまで。二、三日中に分かる事を詳しくお願い」
「分かりました。お嬢様はどう致しますか?」
「私はちょっと網をかけようと思うの」
「網、ですか?犯人をおびき寄せるおつもりですか?」
「うん。今回の事件はジェシガンの魔法薬を作るための事件だと思われている。つまり猟奇的犯行じゃない。という事は何らかの法則性に基づいている。今回狙われたのは有角族の少女だから同じ亜人に狙いを絞る。しかも最も足が付かない人身売買ね。知り合いの店に頼み込んで亜人の売買で怪しい客が来たら教えて貰う寸法」
「なるほど。確かに亜人の取引は珍しいですからな」
大陸には複数の人種が存在をする。人間、亜人、獣人、妖精族、機人、竜人、魚人。「ヒト」とはそれ等全てを総称した名称である。
人間は大陸で最も数が多く、繁栄している大陸の主である。
亜人は人間に似ているが、大きく三つに分かれる。大きな角がある有角族、翼がある有翼族、牙と爪が目立つ牙爪族がいる。
獣人は人間と動物の特徴を兼ね備えた存在である。兎のような長い耳と尻尾を持つ兎族、猫のような耳に髭と手を持つ猫族、犬のような耳に長い鼻、牙を持つ犬族が大陸各地に住んでいる。
妖精族は、半人半妖の存在である。受肉した妖精と称すべきか。森妖精、山妖精、草妖精に分かれている。森妖精は森に多く住み、森の賢者と称されるほど知恵が立つ。山妖精は背が小さい物の体力がずば抜けている。草妖精は人間の子供ぐらいの体躯しかないが、総じて陽気で、気まぐれなため一カ所に定住せず放浪生活を送る。機敏で、手先も器用だ。
機人は体躯が機械で出来た人間である。理性的、合理的だが感情的な思考が出来ない。機人は神が創ったのではなく、古代の文明世界において人の手より造られたという噂すらある。。
竜人は直立するトカゲという表現が正しい。分厚い鱗と体力にて天然の戦士なのだが、独特の社会構成にて他の人種と隔離されている。
魚人は魚に人間の手足が映えているような独特の形をしており、海や湖において最強を誇る。しかし他の人種とは敵対的で二度に渡り、全ての人種と相対するような歴史上の大きな戦を仕掛けている。
ラインの街で良く見かけるのが、当然ながら人間。次にほぼ人間と一緒に住んでいる獣人、次に亜人。亜人はあまり人間の街に住む事はなくそれぞれの同族の里で暮らしているのが殆どだが、様々な事情で人間の街に住む事もある。
また、当然ながら里で取れた特産物を売りに来たり、里ではどうしても手に入らない品物を買いに来たりと取引関係がある。妖精族は森妖精、山妖精が時折取引をしに街に現れる程度。草妖精は取引に関係なく放浪生活をしているためラインに限らず何処の街でもたいてい見かける。
機人、竜人は見かけるのは稀。それぞれの里や定住地に住んでおり、他の街に出る事はない。魚人に至っては歴史的に敵対をしているため、小競り合いした時の捕虜じゃない限り見かけない。
最も、冒険者はある意味別で、ギルドによったら亜人、獣人はもちろん妖精族、機人、竜人、下手したら魚人も一緒のギルドで和気藹々と冒険をしている事すらあるのだ。
「それから、ライジングドラグーンにつなぎをとって。彼らの武力が必要だわ」
「申し訳ありません。ライジングドラグーンはただいま北方帝国にある遺跡の探索中で不在でございます」
「ライジングドラグーン」とはここ、遺跡の街ラインを根拠地とする冒険者ギルドである。
彼らはラインの街でもトップクラスの実力派ギルドなのだが、時折しでかす間抜けなかつ笑える失敗談のせいでいまいち垢抜けないことで有名でもある。
「あら、そうなの?彼らがいれば頼りになるのに」
ジェーンはライジングドラグーンの一員ではないが、荒事が予想をされるとき彼らを頼ることが多い。
またライジングドラグーンもジェーンを交渉の代理人に指定したり、トレジャーハンターの腕を見込んで一緒に遺跡の探索話を持ちかけたりと友好なつきあいをしているのである。
「まぁ、いないのならしょうがないわ。ライジングドラグーンが戻ったら教えて。彼らに私の護衛を頼みたいから」
「かしこまりました。……それにしても、いたいけな少女が被害とは心が痛みますな」
胡が嘆息をこぼす。ジェーンは資料に目を落としながらその声に応じた。
「全くね……しかも、遺体はかなり損壊が酷いわ。儀式魔術のためか捜査を攪乱させるためにどうか判別は尽きがたいけど。だけどいくら選挙で警備に人手がとられるからと言ってこれで動かないなんてどうかしているわ。神殿は何を考えているのかしら」
「旦那様は何者かの圧力と考えているようです。それがどこの筋かは判明できませんが。だからこそフリーに動くことの出来る様ナルミ=アイゼン司祭にお嬢様に頼むことをアドバイスされたかと」
「でしょうね。マージはあれで心優しいから。無役になって一番歯がゆく思っているのは彼女でしょうね」
「早く現場に復帰してほしいものです」
「まったくね」
その後、胡とジェーンは細かい打ち合わせを済ませると胡は家を辞した。