序章
その日は、雲が低く垂れ込め、いつ降ってもおかしくない状況だった。周囲は昼間でも薄暗く肌寒かった。
「やれやれ……まったくこんな天気で殺人かぁ」
鎧姿の騎士が歩きながらぼやく。鎧の胸には神官を示す紋章が刻まれており、治安維持を示す腕章を腕に巻いている。
鎧の身に寒さは堪える。いくら中に綿入れを着込んでいるとはいえ鉄の冷気は体の温もりを奪っていくようだ。腰には騎士の象徴である剣ではなく魔術師を示す短杖が下げられている。
傍らに歩く同じ鎧を着た神官騎士がそのぼやきに応じた。なお、こちらの腰には剣が下げられているが。
「しょうがないですよ、リョー先輩。事件は天気を選んではくれませんから」
「むしろ選んで欲しいよ」
あまりに正直すぎる言葉を口に出して、廃墟の扉に到着をする。
扉にいる監視員に片手を上げ手挨拶をすると、前に張られた立ち入り禁止を示す黄色と黒の糸で編み込まれた立ち入り禁止を示すロープをくぐって中に入った。内部は荒んでおり、ところどころ見える窓の鎧戸が壊されている。そして漂ってくる血の臭い。相当な惨劇が予感させられた。
「で、被害者は?」
リョー先輩と呼ばれた神官は中に入ると先ほどまでのぼやいた口調とはうって変わって緊張感を帯びた顔つきになった。傍らに歩く神官に問いかける。
「はい。被害者は亜人、有角族の女性……と、思われます」
「と、思いますって?」
「……そこまで判別不能なほどに酷い有様です。かろうじて残っていた頭の角と下半身から有角族の女性ということが分かった次第で……ホームレスの通報で駆けつけた巡察の新入りはその光景を見て昼食と感動のご対面をしています」
「それは……酷いな」
いくら経験豊富な神官騎士とはいえ、それしかコメントが出来なかった。徐々に強まる血の臭いを嗅ぎながら、二人は被害現場の一室に着いた。そこの扉から中に入り、絶句した。
「足の踏み場もないな」
「全くです……」
ある程度予感と心構えはしていたとはいえ、壁と言わず床と言わず周囲は血で染まっており凄惨たる現場だった。
流石に踏まないと中に入り込めないので神への謝罪の言葉を口にすると意を決して中に入る。内部は既に幾人かの捜査担当の神官騎士が動き回っていた。
中央には損壊が酷い遺体。
「こりゃぁ酷い有様ですなぁ」
リョーは厳しい表情で現場を監督している騎士に声をかけた。
「おう、リョーか。すまないな。非番なのに」
「事件だからしょうがないっすよ。ただ、これはちょっと厳しいですがね」
「ああ。これほどの状況は俺でもついぞ見たことがない。……こんな状況では降霊術は使えないな。お前が壊れてしまう」
「ええ、こんな状況で降霊術なんてかましても被害者は大抵発狂して会話が成立しない上、術者に精神的ダメージを与えますからね。最悪術者も発狂しちゃいます。魔術師の俺としてはしたくないですね。ただ、それでも俺を呼んだって言うのは他に俺の使い道があると」
「ああ。俺としてはこれがただの猟奇殺人とは思えないんだよ」
「何か確証がありますので?」
「いいや。ただの勘だ。やってくれ」
「分かりました、部長。では魔術反応から調べますんで」
リョーは腰から短杖を引き抜くと、空間に普遍的に存在をする魔素を望む姿に誘導をするために空中に複雑な身振りを描くとともに呪文を唱え、形成された魔素を決定づける為の言葉、力ある言葉を唱える。そうすると遺体を中心に複雑な魔方陣が出現をした。
「これは……儀式魔術です。しかもかなり大がかりですね。部長!この魔方陣の記録をとってくださいね。この魔方陣を調べたら誰がつくったどんな魔術儀式か分かります!」
「ああ。今記録を急がしている。それまで魔方陣を固定しておいてくれよ!」
「魔方陣の固定は精神力が必要ですが……ぎりぎりまで粘りますよ!」
やがて魔方陣から今回の儀式魔法が北方王国中期の錬金術師、ジェシガンによる物と判明。しかしそれっきり捜査は頓挫した。困り果てた部長はある司祭に相談。それが今回の事件の始まりだった。