4話 脱出1
さて、と。
改めて時計で時間を確認する。
――午後9時35分。
就寝時間は、10時からだ。
実行は、午前3時。
まだ6時間近くある。
それにしても、この世界にも時計ってあるんだな。
それ以外にも、この建物も結構近代的なつくりになっているし、「ファンタジー風な世界=中世の文明レベル」なんて考えは捨てた方がいいかもしれない。
まあ、それはともかく。
時間がくれば、勝手に起こしてくれるんだろうし、眠っていてもいいだろう。
うとうとと、俺はまとろみはじめ――やがて完全に眠ってしまった。
「黒3号、出ろ!」
管理員の一人が、部屋の前で立ち止まると叫ぶようにして言った。
がちゃり、と鍵が開く音が聞こえる、ドアが勝手に開けられる。
……ん。
軽く伸びをし、首を上下左右に振る。
コーヒーでも飲むか、水でも顔にぶっかければもっと爽快に目覚める事ができるかもしれないが、あいにくこの部屋にそんな気のきいたものはなかった。
いくらか、焦りと疲れの見える仏頂面の表情の管理員の顔が見える。
「一体、何ですか? 起床時間はまだ先だと思いますが」
その管理員に、すっとぼけて聞く。
「非常事態が発生した! これから、一時的にお前達を避難させる」
あの、『声』の持ち主はうまくやったようだ。
その避難先に行く途中に、ばっくれる。
計画通りだ。
外に出ると、既に多くの囚人達が管理官に続くように並んでいた。
どの顔も寝ぼけ気味であり、無理矢理たたき起こされて迷惑そうな様子が、ありありと見える。
だが、この『管理員』に逆らうような事をするわけにはいかず、仏頂面のままだ。
どことなく、無理矢理、集会に参加させられる学生のようだった。
「黒4号、出ろ!」
「は、はいぃぃっ!」
中から、慌てたような高い声が聞こえる。
直立不動の構えで、部屋から少女が飛び出してくる。
「は、はい! 何があったのでしょうかっ」
黒髪のロングヘア―。
たぶん、俺とそう変わらない年齢。
黒一色の、質素な囚人服姿ではあるが、それなりのファッションをすれば見栄えのようさそうな少女だ。
「もしや、火事ですか! それとも台風ですか! もしや、竜巻!?」
妙にパニックになった様子で、聞かれてもいないのに次々と言葉が出てくる。
そんな少女を見て、管理員は怪訝そうに。
「……おい」
と訊ねた。
「は、はいぃ!? 何でしょうか!」
「なぜ、何があった、などと思った」
「え?」
「私はただお前を呼びに来ただけだ。にも拘わらず、お前が口を開いて最初に出てきた言葉が、何があったのでしょうか、だ。何の用なのか、と、聞くのならばともかく何があった、などと聞くなど明らかにおかしい」
管理員は疑いの色を濃くする。
「まるで、何かがあったと知っていたかのようではないか」
「え、ええと、その……」
明らかに狼狽した様子で、わたわたと少女は手を振る。
……あー、こいつはもしかして。
あの『声』の言っていた、俺と一緒に脱獄する予定の他に収容者なのだろうか。
だとしたら、ずいぶんなドジッ子を選んだものだ。
いや、選んだのではなく、たまたま魔力素質とやらが高かったというだけなのだろう。
それに、こんな状況だ。
焦っていても仕方がない。
「それに、お前の布団は畳まれたままおいてある。もしや、寝ていなかったのではないのか?」
「え? それは……」
そんな風に俺が考えている間にも、管理員の男はさらに疑いを濃くしたようだ。
視線が強くなる。
「あ、いえ、その……」
目も泳いでいる。
あ、これはまずい。
「あのー、管理員さん」
「……何だ?」
会話を遮られた為か、明らかに不機嫌そうな様子で管理員が訊ねる。
「多分だけど、その子、この騒ぎで起きちゃったんじゃないんですかねえ」
「何?」
「ほら、だいぶ騒がしくなっていますし、部屋にいても騒ぎは聞こえちゃいますよ、これじゃ」
思わぬ助け船を出された為か、少女が少し驚いたような表情をしている。
「む……」
管理員も俺の反論を受け、少し考え込む。
「それに、寝つきが悪い日だってありますよ。こんな時間に起きてたからって、別におかしくはないでしょう」
暫し、俺と少女を見比べていたがやがて、「まあいい」と次の部屋の前に立った。
「……次、黒5号!」
まあ、これは疑いを説いたというよりは、一刻を争うような事態でこれ以上余計な問答に時間をかけるべきではないと判断したようだな。
どちらにせよいい。
俺は――そしてこの少女も――しばらくすれば、この管理施設とおさらばする身なのだ。
「……あの」
と、そんな俺に少女が話しかけてきた。
「ありがとうございましたっ」
軽く頭を下げる。
「ああ」
俺は軽く返すだけにした。
本当は、「君ももしかして、脱獄する気?」とでも聞きたいが管理員はまだ近くにいるし、何も事情を知らない囚人達もいるのだ。
それに、どうもテンパっている様子のこの少女に下手に話を振れば藪蛇になりかねない。
「……黒20号!」
このエリアの最後の一人を部屋から出し、管理員は皆に向き合うように言った。
「いいか、この下の階で小火騒ぎが起きている。一時的にお前達を、他の場所に移す。黙ってついてこい。勝手な行動を取らずに従うようにっ」
返事など聞いていない、と言わんばかりに管理員は背を向けて走り出す。
囚人達は、互いに顔を見合わせていたがやがて管理員に続いた。
……えーと、確かこの施設を出て橋で移動するからそこで飛び込め、だったよな。
改めて、例の『声』を思い出す。
囚人達の最後尾には、もう一人別の管理員がついてきている。
……こんな状態でも、一応最低限の監視はしている、と。
大丈夫、なのだろうか。
いや、大丈夫だと考えるしかない。
あの『声』の主がどこまで考えて行動しているのかしらないが、今はどこの誰とも知らない『声』に期待をかける以外に、この閉鎖された空間から抜け出す術はない。