18話 恐怖と安堵
「ほう、やっぱり異人じゃったのか」
「はい、それで今はハナコさんっていう人のところでお世話になっているんですが……」
「そっちの青年の魔法の暴走ではぐれてしまったと、そういうわけじゃな」
「はい」
サラが、これまでの過程を犬――本人曰く聖獣で名前もジュネルというらしい――と話している。
前を歩くユタカとは少し距離がある。
ユタカに対する苦手意識から、無自覚のうちに彼と距離をとってしまっていたのだがサラは気づいていなかった。
「何とか、ハナコさんのところに戻らないと」
「まあ、まずかろうな」
ジュネルは落ち着いた声のまま言った。
「主ら、異人はどこにいっても『世界の敵』じゃ。安息の地は少ないからのう」
「……私達、世界の敵になる事なんてしてません」
ぎゅっ、と唇を噛みしめて強い口調で言う。
この世界に来てから、何度目になるか分からない。
理不尽だ、とサラは思う。
自分は元の世界で何も悪い事はしていないつもりだ。
警察の厄介になるような事は勿論、教師から問題児扱いされた事もない。誰もが認める聖人や善人だったなどというつもりはないが、こんな無茶苦茶な目にあわされて当然だと思うような悪人だったつもりもない。
「まあ、そう怒るでない」
ほっほっほ、と落ち着いた様子でジュネルは笑う。
それは、我儘を言って聞き分けの悪い孫を窘める祖父のようにも見える。
――見た目は犬だが。
「でも」
「泣き喚いたところで、現実は変わらん」
「……」
「とにかく、今やるべきはお前らの仲間のところに帰る事じゃな。数少ない仲間のところに。で、今はどこに向かっておるんじゃ?」
「とりあえずは、人のいる町だ」
これまで、無言で会話を黙って聞いていたユタカが歩きながら答える。
「水や食料も何とかする必要があるし、細かい現在地を知る為にも情報が必要だ」
「で、でも。確か、魔波とかいうのがあって、それが登録されている以上、どの町でも脱走者だってバレるんじゃ……」
ユタカに対し、すっかり苦手意識のついてしまったサラが恐る恐るといった様子で訊ねる。
「一応、考えはある」
その言葉を、信じていいものか悩む。
だが、頼れる人間は今この状況で彼しかいないのも確かだ。
いや、犬ならいるが。
「何じゃ、儂を見て」
「い、いえ。何でもありません……」
情けない、とサラは思う。
今のところ何かされたわけではない、無害そうな犬にしか見えないジュネルまで怯えてしまっている。
(仕方がないじゃない……)
この世界に来てから、敵だらけだ。
あの収容所の人達だってそうだし、数少ない同胞ともいえるユタカに対して恐怖も抱いてしまった。
ハナコやアレックスなどには、今のところ信頼はしているがこの場にはいない。
この異世界での経験はサラを恐ろしいほど疑り深く臆病な人間に変えてしまった。
「……」
「敵だらけに見えるか」
「! え、いえ……」
心でも読まれたのだろうか。
そう思えるほど絶妙なタイミングでのジュラルの言葉だ。
「そんな事はない、ですけど……」
「案外、主の思っているほど敵ばかりではないと思うぞ。人間共も、心の底からの異人嫌いな者はそこまで多くない。友好的な者もそれなりにおる。ただ、異人嫌いの連中の声が大きいだけで目立たんだけじゃ」
「そう、なんですか……?」
「主ら異人に好意的でないにせよ、周りの声にやむなく同調しておるだけで、中立寄りの者もかなりおるぞ」
「本当に……?」
「待った」
そんな会話を交わしていると、ユタカに遮られた。
「話の途中悪いが……」
「な、なんです、か!?」
苦手意識のあるユタカに話しかけられ、思わず驚いてしまい、目の前に見えるものを見てさらに驚いたような声をあげてしまった。
「お、鬼……」
サラの口から思わずそんな言葉が漏れる。
街道に集結するようにしている、数人の赤黒い皮膚の者達。
「いや、あれはゴブリンだな。資料で見た」
「時折、人里近くに降りてきて餌を探す連中じゃな」
ユタカが冷静に訂正を入れる。
さらにジュネルが補完した。
ゴブリン――ファンタジー系のゲームなどで出てくるモンスター。
当初鬼、といったように外見は人間に似てなくもないが、人間としてはありえない赤黒い皮膚、醜悪な顔と伸びた爪が恐怖感を駆り立てる。
「ひ、ひ……」
「そう怯えるな。そして構えるな」
ジュネルが冷静に言った。
ジュネルに言われてはじめて気がついたが、ユタカはこのゴブリン達と戦おうとしていたようだ。
そのユタカをジュネルが止めた。
「こいつらは、弱小種族のゴブリン。人を襲う事などめったにないわ。人里近くに来る事があっても、人間を襲う事などめったにない。他の魔物にやられた人の死体を食らう事はあるが、自分達から襲ったりはせん種族じゃ」
「で、でも……」
「ただ、死体が出るのを待ってそれを食らうだけの、弱く臆病な種族じゃ。じゃが、こちらから仕掛けた場合は別。その時は、決死の覚悟で立ち向かってくる。決して強い魔物ではないが、あの数はちと厄介じゃぞ」
「なら、無視して通り過ぎれば?」
「おそらく、何もしてこんな」
ユタカの問いに、ジュネルが答える。
「それを信じて良いのか?」
「ま、これでも聖獣じゃからな。知識は豊富じゃ。この儂を信じろ」
本当に任せていいものかどうか悩む。
聖獣などと言っているが、見た目は犬だし。
ジュネルがユタカの後に続く。
「なら、そうさせてもらう」
「え?」
ユタカは頷くと、ゴブリン達にさらに近づく。
近づく。
「だ、大丈夫なんですか?」
サラの言葉を無視するように、ユタカは歩き続ける。
距離が迫る。
そして、目前まで迫った。
「……」
しかし、ゴブリンは何もしてくる事はなかった。
「本当に大丈夫なんですか!?」
もう一度、問いかけるがユタカにはまた無視された。
続いて、ジュネルもゴブリンに近づいていく。
だが、何もされる事なく通れた。
「置いていくぞ」
「は、はいっ」
ユタカの言葉に、サラもはじけたように歩き出す。
醜悪な狂暴そうな面構えのゴブリンだ。
見た目だけならばあの収容所の人間よりも、はるかに恐ろしい。
「……」
ごくり、と生唾を飲み込む。
全身も震えているが、サラは必死に足を動かす。
(だ、大丈夫。ユタカさんは何もされてないし、ジュネルさんだって……)
ゴブリンが目の前に迫る。
「……っ!」
ゴブリンと目があった。
周りのゴブリンたちが威嚇するように、一歩近づく。
「ひっ」
「怯えるな」
ジュネルの言葉に、サラは怯えるように体が震える。
「敵意はない。こいつらは、外見こそゴツイが実際は臆病な性格の生き物なんじゃ。余計な事さえ、しなけりゃ襲ってこん」
「は、はい……」
事実、ゴブリンはこちらを睨みつけるようにしているが、それ以上は何もしてくる様子はない。
(大丈夫。大丈夫なんだ……)
足を動かす。
「……」
ゴブリンの前を通り過ぎる。
しかし、ゴブリンは何もしない。
一歩、二歩と歩き続ける。
やがて、ゴブリン達の姿が数十メートルは後へと消えていった。
「本当に、通れた……」
「じゃろ。敵じゃ敵じゃと思っておるから、敵でもない輩までもが敵に見えるんじゃ。確かに、この世界に主ら異人の敵は多いが全てが敵というわけではない」
「はい!」
少しだけ勇気づけられたサラは、そのまま歩き続けた。