子供嫌いのハロウィン
俺は子供が嫌いだ。
あの汚れた手でベタベタ触られるのが嫌だし、突然甲高い奇声を上げるのも嫌いだし、突拍子もない行動で周囲を困惑させるのが大嫌いだ。
俺はできるだけ子供に関わらないよう生活してきた。遊園地や動物園には近寄らず、アルバイトも居酒屋を選んだ。
なのに……なのに!!
「山岸くん、今年のお菓子係よろしくね」
10月30日――ハロウィン前日。店長は俺に死刑宣告を下した。
意味も分からず固まる俺に、店長はヘラヘラ笑いながら事情を説明しだす。
「実は今年からこの辺の店一帯と子供会で協力してハロウィンパーティーをやることになったんだよ。ああ、大丈夫大丈夫。君は外に立ってお菓子を配るだけで良いから。子供たちはみんな仮装してくるし、見てるだけでも楽しいぞ」
「そ、そんな……僕お店の方やりますよ。やっぱこういうのは女性がやった方が」
俺は知っている。
「子供が嫌い」と公に発言するとクズ扱いされることを。
だから直接理由は言わなかったのだが、それが良くなかったらしい。
「大丈夫大丈夫、やっぱり男手があった方が何かと良いだろうし。それにハロウィンの日って結構お店混むから新人の山岸くんにはちょっとキツイと思うんだよね」
「ぐぬぬぬ……」
確かに俺はまだ店に入って1ヶ月程度の新人バイトである。頑張ってはいるものの、やはりベテランバイトの先輩たちに比べると働きは悪い。ここで無理矢理店に入ったらきっとみんなに迷惑がかかる。
俺はやむなく、ふざけたカボチャ男の衣装を受け取った。
*********
ハロウィン当日。
キャンディーがしこたま入ったバスケットを手にした俺は、カボチャのお面をかぶり、死神のようなボロボロのローブを着て店先に立った。
日が暮れはじめると少しずつ仮装をした人が増え、奇妙な衣装に身を包んだ子供たちが汚い手を俺に差しのべてお菓子をせがんでくる。
その度に顔が引きつり、冷や汗が額から吹き出て、鳥肌が体中に立った。
「最悪だ、最悪だ」
喧騒とカボチャのお面で声がかき消されるのを良いことに、俺はそう呟き続けた。そうでもしないと発狂してしまいそうだ。
しかしそんなのは序の口だった。
日が完全に沈むと、仮装した子供たちは激増した。町中の子供たちが勢ぞろいしているのか、店の前は人でごった返している。
少子化なんて絶対ウソだ。ここはこんなにも子供に溢れているじゃないか。
心の中でそんな叫びをあげながら、俺は震える手でキャンディーを配り続けた。
そしてとうとう一番起こってほしくないことが起こってしまう。
「おーいカボチャ男!! キャンディーよこせオラ」
衝撃とともに幼いながらもクソ生意気な声が背後から聞こえてきた。
振り返ると、やけに襟足の長い金髪の子供を筆頭とした集団が俺の脚をガンガン蹴っている。年の頃は10歳程度だろうか。母親と思われる水商売臭のプンプンする金髪の女が遠くからその光景をスマートフォンのカメラでバシバシとっている。
俺は子供の次に常識のない大人が嫌いだ。大嫌いだ。常識のない親に育てられた子供はもっともっと嫌いだ!
俺は吐き気を催しながらも金髪クソガキにキャンディーをくれてやった。
だが今時のお子様はキャンディーなんかで満足できないのか、それとも俺を蹴ること自体が楽しくなってしまったのか――まぁ十中八九後者だろうが、クソガキは俺を蹴ることを止めない。
キャンディーをくれてやったのにそれはないだろう、闇金だって金を返せば取り立ては止むぞ。と思いはしたものの口が渇いてしまって声に出すことはできなかった。
それを良いことに、子供たちの暴力はエスカレートしていく。
「オラァ、キャンディーもっとよこせやぁ!!!」
なんて酷い。まるでチンピラだ。
ガンジーは非暴力不服従運動を行ったが、俺には彼のような立派な事はできない。今すぐにでも子供を殴りたいし、それができないのでキャンディーをしこたま子供に渡した。
しかしやはり子供の暴行は止まない。それどころか蹴ったらキャンディーがもらえると勘違いしたのか、それとも蹴ること自体が楽しそうに見えたのか――まぁ十中八九後者だろうが、他の子供まで暴行に参加し始めたのだ!
ああガンジーよ、貴方の言うことは正しかった……。
しかし嘆いていても暴行は止まない。俺の弁慶の泣き所は今や大号泣しているのだ。これ以上の暴行を許容するわけにはいかない。しかし保護者の前で子供を蹴り飛ばしてはお店に迷惑がかかる。
俺はどうするべきか。そんなの決まっている。
「逃げるが勝ちだッ!!」
俺は人ごみをかき分けながらダッシュで子供たちから逃れた。
しかし子供というのは本能のままに動いている。そして動くものを追うのは動物の本能である。子供たちは迷うことなく俺を追いかけた。集団が俺一人を執拗に追い掛け回すさまは、まるでゾンビ映画のワンシーンのよう。
もちろんちゃんと走れば子供たちなんて追いつけないくらいの速度を出せるが、ローブが足にまとわりついて走りにくいし、なにより長時間の緊張でヘロヘロだ。なびいているローブをいつ子供たちが掴んでくるか分からない。
俺はとっさにキャンディーを子どもたちに投げつけた。すると子どもたちはキャンディーを拾うのに夢中になってしばらく追跡を中止してくれる。
黄泉平坂で逃走劇を繰り広げるイザナギの気分だ。
俺は時に小判をまくねずみ小僧のように、時に節分の豆のようにフルスイングでキャンディーを投げ続ける。子どもたちから逃げるために、そして子どもたちに些細なダメージを与えるために。
しかし「キャンディー投げ投げ大作戦」は呆気なく終わりを迎えた。
バスケットのキャンディーが底をついたのだ。こうなってしまえばもはや勝ち目はない。運動不足の大学生とスタミナ無尽蔵の子どもたち……勝負は決まった。
彼らはローブを掴んで引きずり倒し、俺を無茶苦茶にした。上に乗って地団駄を踏み、髪を引っ張り、足を蹴り、そして何度も俺のデリケートな尻にカンチョーをぶち込んだ。助けを求める声は子どもたちのけたたましい笑い声にかき消された。
もうだめだ。俺の中の何かが壊れた。
「ふええええ……」
異変に気付いた子供の一人が俺を見て怯えた顔を見せる。
「な、なんか変な声出してるぞ」
「なんだなんだ?」
恐怖が周囲に伝染し、穴を空けたように俺の周囲から人が消えた。俺はゆっくりと体を起こす。もう訳がわからなくなっていた。俺は腹の底から絶叫した。
「なんでおれをいじめるのおおおおッッ!? うわあああああああたああ!」
これは後から聞いた話だが、子供から救出された直後、俺は幼児退行してしまっていたらしい。あまりに強いショックを受けると子供のような振舞いをするようになってしまうというアレだ。
ゾンビに襲われるとゾンビになってしまうし、吸血鬼に噛まれると吸血鬼になる。それと同じように子供に襲われると子供になってしまうというわけだ。
だから店長、もう二度と俺にあんな役はやらせないでくれ……そう思った矢先だった。
「山岸くーん、次はサンタ役頼むよ」