三題小説第十一弾『髪』『大河』『羊』
三題小説第十一弾です。
生贄とかが当たり前だった時代のお話です。
迷える子羊を導くのと溺れる子羊を助けるのはどっちが簡単なんだろうな? その答えは分からないけれど俺は溺れる子羊を助ける事にした。
俺達の村は南北に貫く大河のどこかにある漁村だ。詳しい事は知らん。川と言うのは山から始まり海に終わるのだそうだ。つまり俺の村は山と海の間のどこかにあるという事だ。
漁も一段落し、岸辺で休んでいた時のことだ。誰よりも早く俺が溺れる羊を発見した。溺れるというよりはただ流されているように見えた。対岸すらよく見えないこの大河にあっては岸辺寄りと言えるかもしれないが、俺の目にはとても遠く感じられた。
親方は「もう死んでるんだろう。構う体力があるなら網繕いでも手伝ってこい」と言った。
でも俺はある事に気付いたんだ。長い黒髪が羊に続いて川面に揺れていたのだ。考える間もなく俺の体は溺れる子羊を助けに動いていたってわけだ。
前日までの嵐の影響で川は若干勢いが強い。俺は村の中でも一二を争う泳ぎの名人だが、それでも中々前に進まない。一掻き一掻きが重く、俺の体を押し流そうとする。しかしそこは俺。少し流されはしたが羊の元へ辿り着いた。
それは羊の毛皮をかぶった女の子だった。頭からすっぽりと全身を覆っている。
意識を失っているし体も冷たくなっていた。死んでいるかもしれないが、そうだとも限らない。俺は羊娘を抱えて川岸に戻った。
待っていたのは親方の鉄拳だ。
「俺の言いつけを守れねえとはふてぇ野郎だ!」
村の人間には何度も殴られた事はあるが、俺が言いつけを守らなかったのは初めての事だ。
その拳は俺の意識を彼方にすっ飛ばさん威力だったが「羊じゃなくて女の子だったんです」と言う暇はあった。
目が覚めると同時に飛び起きた俺はあの娘の姿を探した。娘は羊の毛皮を脱いですぐ傍でへたり込んでいた。真っ蒼な顔で震えている。どこから流されてきたのか分からないが、ずっと流されていたんだろう事がよく分かる。
娘を取り囲んだ大人達は何やら話しこんでいる。
「どこから流されてきたんだ?」
「そりゃあ上流のどこかだろうな」
「羊の毛皮をかぶってたんだ。羊飼いの村に決まってるだろう」
「しかし羊飼いの村なんて上流には山ほどあるらしいぞ」
「そうそう。ここいらに漁村が山ほどあるのと同じでな」
「それにしてもどうするよ?」
「送り届けるのか?」
「そんな暇も義理もねぇだろう」
「何にせよ村長殿の決める事さ」
「嬢ちゃん立てるか?」
娘は座り込んだままだった。よく見ると髪がとても長い。初めは娘自身の影かと思っていたが、あの様子だと立っても地面を引きずりそうだ。
「とにかく休ませなくちゃ駄目だろ。俺ん家に連れていく」
俺はふらつく体でどうにか立ち上がった。大人達が一斉に振り返った。
「おう。カラクル。起きたか。親方も気絶させる事はねえのにな」
「仕方あるめえよ。事情が事情とはいえ親方に逆らったのは本当なんだ」
「連れてくったってお前は大丈夫なのか? ふらふらだぞ」
娘の隣に座り、顔を覗きこむ。
「大丈夫か?」
出来るだけ優しげに尋ねる。そこいらの大人よりは礼儀ってのを弁えてるんだ、俺は。
年の頃は十二、三歳くらいだろうか。円らな瞳を潤ませ、長いまつ毛から川の水か涙かを滴らせている。
「嬢ちゃんよう。そいつが助けてくれたんだぜ。礼くらい言ってやったらどうだい」
「いいよ。別に」と、俺はたしなめた。
全くこいつらは心配りってものができないのか。今助かったばかりの人間だというのに。
「助かっちゃ駄目なのに」
娘がぎりぎり俺に聞こえる声でそう言った。俺は聞こえなかったふりをした。
「とにかく俺の家に行こう。直ぐ近くなんだ。歩けるか? 背負おうか?」
「歩く」
娘は立ち上がると羊の毛皮を軽く絞った。水を吸ったままではさぞ重かろう。二人で乾燥した土の上をぺたぺたと歩いて行く。娘は髪と羊の毛皮を引きずるままにした。
とくに会話の無いまま村外れの家に着く。日干し煉瓦の掘立小屋だ。家族三人であれば多少狭いが俺一人では十分に広い。両親の遺してくれた財産は粗末な家と粗末な家具、食器くらいのものだ。村の息子として面倒を見てもらえなければとっくに飢え死にだっただろう。
娘は羊の毛皮を適当に脱ぎ捨てて、何も言わずに寝床に横になった。俺は目を瞑っている娘に問いかける。
「名前を聞いても良いか?」
少しの沈黙の後に答えた。
「メリノ」
「どこからやって来たんだ?」
メリノは直ぐには答えず、少し待っても答えなかった。気まずい沈黙は俺の望む所ではない。
「昨日までの嵐で流されたんだろ? 戻りたくないのか?」
「質問ばっかり」
「そりゃあ……。そうなるだろうさ。分からない事だらけなんだ」
「私だって」
「じゃあ何でも聞いてくれ。俺に答えられる事なら何だって答えてやるさ」
メリノは目を瞑ったまま少し考えた。
「ここはどこ?」
「サフォークって名の村だ。ただの漁村」
「何で私を助けたの?」
「何でって事は無いだろう。溺れる人がいたら手を伸ばすものだ」
「親は? 一人で暮らしてるの?」
「俺が小さい頃に死んだ。今は村の息子として面倒見てもらってる。そうだ。行くあてがないならメリノだってそうなるさ。村の娘になればいい。そしたら俺の妹だな」
「そうもいかねえなあ」
会話に割って入って来たのは村長その人だった。親方の次に恰幅が良い爺さんだ。勝手に家に入って来て勝手に床に座った。
「何でだよ。一人も二人も変わらねえだろ!?」
「そういう問題じゃねえさ。カラクルよ。お前の両親はこの村の一員だった。父親はここで生まれ、母親は他所から嫁いできた。でもその娘は違うだろう?」
「親がいないから面倒見てくれるんじゃないのか?」
「その通りだがそれだけじゃあねえ。誰しもがいつどこで死ぬか分かりゃしねえ。もしも自分達夫婦が死んだ時に自分の子供が村に見捨てられるとしたらどうだ。そんな村嫌だろう? みんな村から出て行っちまう。だからみんなお前の面倒を見てくれるんだ。それがこの村の掟だ。だが他所から来た子供となると話は別だ。それにこういう事をしてねえ村だってあるんだぜ?」
「子供を見捨てて心は痛まねえのかよ」
「痛むさ。だが子供が流れてくるたびに面倒見れるほど豊かな村じゃねえ。どこかで線引きするとすればここなんだ」
「どうしようもないのか?」
村長は腕を組み首を傾げた。
「どうしようもなくはないさ。お前ももう十五だろう。今ではお前の稼ぎだけで生活できているんだ。嫁か養女にでもすればいい。ようするに自分で養えって事だな」
「嫁か養女にって……。簡単に言うけど」
メリノの方を見ると目を開いてこっちを見ていた。
「嫁か娘なら嫁が良いわ」
俺とメリノの村での暮らしは思いのほか円滑に進んだ。俺が漁に出掛けている間、メリノは網繕いやら魚の加工やらを学んでいる。どうやらメリノは不器用なようだが、物覚えは良いらしく、仕事には何とかついていけているようだ。初めの方こそとっつきにくい印象だったが、よく笑いよく喋る村の女に感化されたのか明るい雰囲気になった。少しばかり口やかましくもなった。
半年ほど経ったある日、加工した魚を隣村に売りに二人で出掛けた帰りの事だ。昼を過ぎた頃、川べりの大きな木をメリノが見つけ、そこで休もうという事になった。
その辺りは浅瀬なのでメリノは髪をほどいて軽く洗った。あの長い髪は元いた村の風習らしく、普段は何重にも巻きつけるように纏めている。
二人で木のふもとに座って大河を眺めた。
「ここは俺の両親の死体が発見されたところだ」
黙っているつもりだったのに何故か口をついて出てしまった。
「そうなんだ……。ごめんなさい」
「いや、謝るような事じゃないさ。ただ、そうだったなあと思っただけだ」
あるいはメリノに知っていて欲しいと心のどこかで思っていたのかもしれない。
「聞いてもいい? ご両親の事」
「ああ。でもほとんど記憶にないんだ。顔も声も思い出せない。ただ親がいなくなった事で俺がずっと泣いていた記憶があるくらいで」
「少なくとも村の人たちにはよく思われていたんだよ。でなければカルクルの事だって見捨てると思う。私は逆だったんだわ。言ってなかったね。私も親がいなかった。でも村の娘でもなかった」
続く言葉を待ったけれど代わりに出てきたのは涙と嗚咽だった。メリノの、震える肩を抱き寄せた。
「無理に言わなくていい。もうその村とは関係ないんだからな」
「うん。ありがとう」
ふと見上げると西の果ての空に黒い雲が立ち込めていた。
「そろそろ帰ろう。もうすぐ嵐になる」
結局強烈な雨に叩かれ、風に吹かれた。辺りはすっかり暗くなっちまった。お互いの身を庇うようにしてようやく俺の家に辿り着いた時、村の様子がおかしい事に気付いた。
雨雲で星の光すらないのに村がぼうっと明るい。風雨松明を持った荒々しげな男達が家々の前や広場で村人と言い争っているようだ。
「私の村の人達だ。私を探しに来たんだ」
メリノの声は震え、明らかな恐怖をその表情に湛えていた。それはこの村に来たばかりの時の表情に似ている。
「話を聞いてくるから家の中にいろ。俺が帰るまで出てくるんじゃないぞ」
メリノを押し込むように家に入れ、奴らの頭らしき背の高い男の元に駆けつけた。
「おじさん。一体これは何の騒ぎだい?」
男は俺を見下ろして威嚇するように言う。
「半年ほど前にここに娘が来ただろう? それを探している」
「娘一人に何でこんなに必死なんだい? しかもこんな嵐の日に」
「それはこちらの事情だ。話す必要はない。それでお前は知っているのか? どいつもこいつも何も知らんの一点張りだが。我々も暴力的な手段には訴えたくない」
「いや、知らないね」
「ふむ。まあいい。ここにはいないと証を立てるまでは梃子でも動かんと村長に伝えておけ」
「あいよ」
男の元を離れ、家へ向かう。どうにかしないといけない。村の人達は今は黙ってくれているようだけど、いつまで持つかわからない。
家に戻ると羊が丸まって震えていた。あの羊の毛皮をメリノがかぶっていた。
「いったいどうしてあいつらはあんなに必死にメリノを探してるんだ?」
「私が生きてたからだよ」
「何でメリノが死ななきゃならないんだ」
メリノは一層縮こまってしまった。震えるか細い声でメリノは呟く。
「私、生贄だったの」
「生贄? 生贄ってのは子羊を捧げるものだろう? 人間じゃなくて」
「羊が生まれなくなったの。だから神の怒りだって。羊が生まれないから子羊を捧げる事も出来なくて。だから親が死んだ私を代わりに捧げようって、嵐の日に大河に放り込まれた。嵐も神の怒りだって」
その言葉で俺は覚悟を決めた。
「分かった。二人で村を出よう」
「そんな事出来るの……?」
「出来るとは言えない。出来ないかもしれない。でもここにいればメリノは殺されてしまう。俺はもう家族を失いたくないんだ」
羊の毛皮からメリノが顔を出した。
「私も。でもどうするの?」
「とにかく出来るだけ財産を持って見つからないように南に逃げてくれ。俺が囮になって北に逃げる。俺は泳ぎも上手けりゃ足も速いんだ」
「囮って……。誰もカルクルを追いかけたりしないよ」
「そこでこれの出番だ」
メリノの纏う羊の毛皮を脱がせた。それを纏って全身をすっぽりと覆い隠す。
「ばれない? 身長も違うし」
「そこはこの大雨に賭けるしかないな」
「そうだ。待ってて」
メリノはナイフを取り出して自らの美しい髪を切り落としてしまった。
「おいおい。なんて事を」
そして俺の髪に結び付け、羊の毛皮からはみ出させる。
「これで少しは私に見えるかも」
悪くない案だと言う事にしておこう。もう切ってしまったのだから何を言っても仕方ない。それにメリノの思いつめたような顔を見ると居たたまれなかった。
「それじゃあ行ってくる。後は頼んだぞ」
「待って。どこで待ち合わせるの?」
「そうだな。昼間休んだあの木で待ち合わせよう。俺は北に逃げて、一旦森に隠れて東から回り込むと思う」
「分かった。本当にありがとう。カルクルは私を二度も救ってくれる」
メリノは精一杯の笑顔を作って見せてくれた。
「俺だってメリノに救われたんだ。あの日親方に逆らった時、俺はようやく一人前になれたような気がしたものさ」
改めて毛皮で体を覆い、頭も隠し、家を出た。出来るだけ目に付くように村の中央を走り抜ける。
男達の怒声が雨音を突き抜けて後ろから轟いてきた。ちらとでも振り返る勇気は無いが十数人の男が追いかけてきているようだ。
村長の家を通り過ぎ、村から出る。心の中で村人たちに別れを告げた。
俺はひたすらに走り続ける。視界の悪い雨の中では大河のどよめきと男達の咆哮も方向を知る一助になった。
羊の毛皮は雨を吸って重くなる。地面は泥濘んで足を取る。だけど少しも諦める気にはならない。メリノが待っていると思うといくらでも力を振り絞れた。
しかし不味い事に気付く。どうやら馬がいたようだ。遠くの方から乗り手の掛け声が聞こえてくる。今は男達のさらに後方にいるようだがすぐに追いつかれるだろう。そして森はまだ見えもしない。
だが何も思いつかない。とにかく走るしかないんだ。男達とは更に距離を離せたようだが馬が迫る。そして俺を追い抜き立ちはだかった。
俺はほとんど何も考えずに方向転換し、荒ぶる大河に飛び込んでしまった。川の鳴動にも掻き消されないくらいの男達の喜ぶ声が聞こえた。
少なくともこれでメリノがつけ狙われる事は無いだろう。疲労する頭のぼやけた意識で俺はメリノが最後に見せた笑顔を思い返した。
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