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Peaceful Benet&Co.

 バートがベネー商会に入社して、しばらく経つ。会社の特殊さ故に慣れないことも多かったが、親しい同僚ができたこともあって、彼は何とか平穏な日々を過ごしていた。

 そんなある日の昼休みのことだ。バートはジェームズと共に、ベネー商会のオフィスにいた。昼食を食べた後ということもあって、ジェームズは自分の机の回転椅子に腰掛け、昼寝をしている。バートはジェームズがすーすーと静かに寝息を立てる様を見て、思わずため息をついた。

 何というか、あまりにも隙だらけだ。バートはそう感じざるを得なかった。もし万一こんな昼寝をしている時に敵でもやって来て、襲われたら一方的に殺されるのではないか。そんな気さえする。しかしそんなバートの気持ちなど知る様子もない様に、ジェームズは眠り続けている。それを見ていて、バートも少し、眠くなってきた。

 そんなときだった。ふと、ジェームズの顔を見ていてバートがあることを思ったのは。


 そういえば、ジェームズの本当の姿って、あるんだろうか――。


 バートはベネー商会に入ってから、自分なりに色々な悪魔や魔術に関する本を読むようになった。そこで抱いたのが、その“ジェームズの正体”についての疑問である。大体本に描かれる悪魔というのは、山羊みたいだったり、女性の上半身がついていたり、コウモリの羽根がついていたり、脚が馬だったりとかなりの“異形の姿”だ。しかし――このジェームズという男は、その能力はともかくとして、姿は人である。もしこいつが本当に悪魔なら、化け物らしい姿ぐらいあるんじゃないか。そんな思いを巡らせていた。

「あ、バート」

 直後、バートの後ろから声がかかる。彼がよく知った声にそちらをパッと振り向けば、そこには一人の青年がいた。真っ黒な髪と、深い緑色の瞳が印象的な――バートと同じぐらいの背丈のその青年を見て、バートは嬉しそうに手を振って。

「やぁ、クリス」

 バートはその青年――クリス・レイクスに小さく笑いかけた。

 彼、クリスはバートがベネー商会に勤めてから、(ジェームズを除いて)初めて親しくなった同僚だ。何かと信じられない事の起きるこの職場の中で、クリスは極めて常識的な青年だった。クリスが23歳であり、バートが20代半ば程度であることもあって、ジェームズが『同年代だし話も合うからいいんじゃないか』と判断し、ジェームズがバートの育成に携わらない日は、クリスが代わりにその仕事を請け負っている。……まぁ、正確に言えば、ジェームズがクリスに一方的に押し付けた訳だが。

「珍しいね。今日の昼間ここにいるなんて」

 クリスの言葉にバートは別段気にすることもなく、肩を竦めて笑ってみせた。

「そう? ……大体ジェームズと行動してるせいかも」

「ジェームズがオフィスにいるのも珍しいよね」

「そりゃ確かに。……でも、昼寝するのは珍しくないかも」

 バートは声を小さくして、口元に人差し指を当てた。その表情を見たクリスはバートの肩越しに見えるジェームズの寝姿を見て、小さく笑った。流石に起こしてしまうのはまずい。そうクリスも思ったのだろう。

 二人はジェームズから少し離れてから、会話を続ける事にした。

「何かしてた?」

「いや、特に」

 クリスの問いに、バートは首を横に振る。

「僕もあと数分してたら、昼寝してたかもしれないけど」

 そこまで付け加えてから、バートはふと、先程まで考えていたことを思い出した。そして、新たに思った。

 確か、クリスはジェームズと付き合いが長かった筈だ。ひょっとしたら、彼はジェームズの正体を知っているんじゃなかろうか。そう考えたのだ。

「……あのさ、クリス」

 僅かに迷ってから、ポツリと一言。その時のバートの表情は深刻に見えたのだろうか。クリスは不思議そうに目を見開き、こちらを見ていた。

「君、ジェームズの悪魔としての本当の姿、見たことある?」

 静かに問われた、バートの言葉。クリスはしばらく沈黙した後、目をぱちくりと瞬かせてから、首を捻った。

「……本当の姿?」

「うん。……ほら、山羊の頭みたいな……ああいうの」

 山羊の頭。バートのその言葉を聞いてクリスはああと頷くと、笑ってみせた。

「そういうのは俺、見たことないな」

「化け物みたいなのだけど?」

「いや、俺の知る限りだと、いっつも普通の人間の姿だったよ」

 そこまで聞いて、バートは思わず眉根を寄せた。流石にそう簡単には異形の姿を見せないのだろうか。

「なんだ。やっぱいつも人間なのか」

「『なんだ』って……」

 バートの言葉に、クリスは思わず苦笑い。しかしバートは大真面目に眉根を寄せたまま、口を開いた。

「いや、だってさ。何かの拍子に変身が解けて、山羊の頭になりそうじゃないか? 例えばくしゃみとか」


 ――はっくしょん。


 そんな大きなくしゃみの瞬間、ジェームズの頭だけが白山羊になる映像を、クリスは思い浮かべてしまったのだろうか。バートのその真面目な疑問に、クリスは笑いを堪えていた。

 しかし、バートは本気である。クリスに笑われて、バートは僅かに目を見開いた。

「何かの拍子に、はともかくとして……くしゃみでそうなったのは見たことないな」

「そうか……」

 クリスが見たことがないならば、恐らく、普通の手段で見ることは叶わないのだろう。まぁ、普段は普通の人間に紛れて生きているのだ。そう簡単に本当の姿を現すわけがない。

「まぁ、僕もそこまでして見たいわけじゃないしな……」

 バートがぼそりと呟いた時、クリスの肩の辺りから、甲高い声が聞こえた。

「何を見たいって言ったの?」

 これまたよく知ったその声に、バートはそちらに視線を向ける。クリスの肩の上。そこに大きさ数センチメートルの、本当に“小さな少女”が、腰掛けていた。親指姫が現実にいたらこのぐらいのサイズなのだろう。ふわふわとした薄茶色のロングヘアーのその小さな少女の背中には、ウスバカゲロウの様な透き通った羽根が生えている。

「ライラ……いつの間に」

 そのフェアリーの少女――ライラに乗っかられたクリスが、驚きと呆れが混じった声で呟く。しかしライラは特に気にすることもなく、ちょこんと彼の肩に腰掛けたままバートの方をエメラルドグリーンのその瞳で見ていた。バートもフェアリーであるライラの姿を初めて見たとき、腰を抜かすレベルで驚いたのだが、毎日彼女と会っていることもあって、何だか慣れてしまった。

「いや、特に大したことじゃないよ」

 さらり、と別段何もなかったかの様に返すバートの言葉に、ライラは羽根を羽ばたかせて宙に浮き、そして頬を膨らませた。

「嘘でしょ? 何か楽しそうに話してたじゃない!」

 その小さな身体の何処から出てくるのだろうと思えるほどの高い声に、バートとクリスが同時に顔をしかめる。このままでは鼓膜がやられてしまいそうだと感じたバートは、顔をくしゃりとさせたまま、呟く様に言った。

「ジェームズ、くしゃみしたら悪魔らしく頭だけ山羊になるのかな、って」

 嘘は言っていない。ついさっき確かにそういう話題だったのだ。それだけ聞けば満足するだろうとバートは判断して言ったものの――しかし、次の瞬間、自分は過ちを犯したのだなと思うことになった。

「あら何? そんなこと? じゃあ試してみればいいじゃない」

 そうライラは言って、机の上まで飛ぶと、そこにあった羽箒を持ち上げてジェームズの所に向かったのである。クリスとバートが同時に悲鳴を上げた。

「ライラ! ストップ!!」

 慌ててクリスがライラを止める。止められた当の彼女は羽箒を抱えたまま、抗議の視線をクリスに向けていた。

「何よ。やってみたいと思わないの?」

「またジェームズにハングドマンされても知らないぞー……」

「……吊るされた男(ハングドマン)?」

 クリスの言った聞き慣れぬ言葉に、バートは首を傾げた。クリスは小さくため息をつき、肩を落とす。

「……前にライラがジェームズにイタズラしてさ、ジェームズ、怒っちゃって。あのいつもの黒い手でライラをぶら下げたんだよ。それがタロットの吊るされた男みたいだったから、いつの間にか皆でハングドマンって言ってて」

 クリスの説明に、バートは再び顔にシワを寄せた。ライラをあの手でぶら下げるジェームズもジェームズだが、それだけされて未だに反省していないライラもライラな気がする。いや、それ以前に、一体全体ジェームズを怒らせたイタズラとはどんなイタズラだったのか。

「わたし、別にジェームズのあの手なんて怖くないわよ。何なら今日は風で吹き飛ばして返り討ちにしてやるわ」

 しかもライラはそれを思い出して、逆に戦闘意欲を燃やしている。バートはクリスと共に深いため息をついた。

 ――そんなときのこと。

「どうした? 随分賑やかじゃないか」

 突然聞こえたこれまたよく知る声に、クリスとバートは同時に凍り付いた。ゆっくりと後ろを振り向けば、そこには一人の中年男性が。

 銀白色の髪に、これまた薄い灰色の眼。190cmはある、その痩せ型で鷲鼻で眼鏡の男の姿を見ても、二人の表情は解れることはなかった。

「ねぇシド! ちょっと聞いて!!」

 ライラが羽箒を持ったまま、その色の薄い痩せ型の男――シドことシドニーの元へと向かった。

「わたし、ジェームズの悪魔の姿見たくて、くしゃみさせてやろうと思ったのに、二人が止めるのよ!?」


 ――言っちゃった。

 クリスとバートは頭を抱え、今回何度目かわからぬため息をついた。この男、会社でも指折りの魔術師である。そんな奴にそんな事を言ったら、問題の収拾が着かなくなる。

 一方話し掛けられたシドニーはと言えば、ライラの言葉を聞き、朗らかに笑った。

 何がそんなにおかしいのか、彼はしばらく笑った後、笑顔のまま静かにライラに語りかけた。

「ライラ、馬鹿やっちゃいかんよ」

 返って来たのは、意外とマトモな返答。バートとクリスは目を見開いた。

「悪魔がくしゃみごときで正体を現す訳がないだろう。そんなことをしたら、またジェームズにお仕置きを食らうぞ?」

「……何よ。シドまで」

 シドニーの言葉に、ライラは再び頬を膨らませる。その一方、バートとクリスは胸を撫で下ろしていた。これならライラがジェームズにイタズラをすることはなさそうだ。しかし、彼等がそう感じたのも束の間。シドニーが笑顔を浮かべたまま言った言葉に、二人は再び凍り付くことになった。

「やるんだったらもっと徹底させなきゃならんよ。ジェームズの本当の姿を見たいんだったな? ならまず鏡が欲しい所だ」

 そう言うなり、シドニーは鞄を探りだし、手鏡を取り出した。

「……ふむ。少し小さい。まぁ大きすぎるのも魔力の面で困るしな……」

 ライラを止めるどころか、事態が予想外の方向に向かおうとしている。シドニーが鏡の大きさか何かで格闘している様を見てバートとクリスは唖然とした。

「……ちょっと、ロートスさん。何しているんですか……?」

 バートが勇気を振り絞ってシドニーに話し掛けると、シドニーはハッとしてからこちらを振り向いた。

「ああ。済まない。つい没頭していた。今、ジェームズの姿を映せる様な大きさの鏡を探していた所だったんだ。鏡を媒介に、魔術で悪魔の本当の姿を映すんだ。大体姿を見るには悪魔の真名が必要なんだがな、鏡を媒介にすると、その真名を使わずとも姿を見られる。だが問題もあってな……この魔術で消費する魔力は鏡の面積に比例する。まぁだから、鏡の一辺の長さが二倍になれば消費する魔力はその二乗の四倍になってな……面積を取るか、魔力を取るか、兼ね合いが難しい所なんだ」

「ああ、いや――そうじゃなくて」

 何でそこまでやる気満々なんですか? そう聞こうと思ったバートを遮り、シドニーは言葉を続けた。

「あぁ。バート。君は魔術の為に必要な魔力を気にする必要はない。この際だ。ジェームズを使って実験しよう。それなら普通の姿見用の鏡を使って見てみてもいいと私は思っていた所さ」

「いや……僕そこまでしてジェームズの正体を見たいって思ってなかったし……」

「バート。遠慮は不要だ。謙遜は決して美徳じゃない」

「遠慮なんて一切していませんよ!?」

 自分の思わぬ方向に、話が進もうとしている。――いや、実際に進んでいる。シドニーは最もらしい顔をして真面目そうに話しているが、目だけが『いい実験台を見つけた』という喜びで輝いている。

 一体、この男をどうして止めればいいのか。バートがそう思ったときのこと。

「おいおい。担ぐのはそれぐらいにしておけよ」

 後ろから声が聞こえた。とっさにバートがそちらを振り向けば、そこには既に目を覚ましたジェームズが。バートは目を見開いたのち、シドニーへと視線を戻す。シドニーは特に驚く様子もなく、笑っていた。

 ――いや、それよりも。

「担ぐ、って………やっぱり?」

 クリスが呆れをにじませて、ため息をつきながら口を開く。シドニーはやはり、特に気にする様子はなかった。

「当たり前だろ? ジェームズぐらいの悪魔が、鏡使った魔術ごときで本当の姿なんて現わさんよ」

「えーっ!?」

 今度はライラが困惑の声をあげる。それを聞いても、シドニーははははと笑って特に相手をしようとしなかった。

 ――その一方で。

「……いつから起きていたんだよ」

「ん? ライラがここに来たとき辺りからかな?」

 バートの問いに、ジェームズがけろりと答える。どうやら、この男はバートたちが話していたことをほとんど聞いていたらしい。それを知って、バートは何だか力が抜けてしまった。

「……ってことは、何? ライラが君の事くしゃみさせようとしたのも――」

「ああ、知ってる」

 バートの問いに頷いたジェームズは、指をぱちんと一回弾く。その瞬間、きゃあとライラの甲高い声が聞こえて、バートは目を見開いた。驚いてそちらを見てみれば――そこには、いつもの黒い手で掴まれ、ぶらんぶらんと逆さ吊りになっているライラの姿が。あれが、クリスの言っていたハングドマンなのか。バートは呆れた様子でその二人のやり取りを見ているしかできなかった。

「ちょっとー!! 何するのよ!!」

 ライラがいつもの調子でジェームズにかみつくが、彼は特に気にする様子もなく笑う。

「……ライラ、未遂とは言えこれはイタズラだ。お仕置きは受けてもらうことにした」

「何よそれー!!」

 そしてジェームズは机の上にあったエッグタイマーを拾うと、適当にボタンを押してもう一本の黒い手にそれを渡した。

「今回は大目に見て2分にしておいてやる。……鳴ったらライラを解放しろよ? いいな?」

 あの黒い手は、人の言語を理解できるのだろうか。バートの眼には、ジェームズの言葉に同意するかのように腕が頷いたように見えた。

 そして、ジェームズはバートの腕をつかむと、にっこりと。

「さて、バート。そろそろ昼休みは終わりだ。昼イチからクライアントが待っている。行くぞ」

「え……? えっ!?」

 ライラをあのまま、放置しておくつもりだろうか。この男は。バートはそのジェームズの行動に困惑した。さすがに2分はやりすぎだろう。

「ちょっとー!! 何よー!! はーなーしーなーさいよー!! きぃーーーーーっ!!」

「ちょっと、ライラああやって騒いでるけど、放っ」

「いいんだよ。じゃああとクリス、よろしく」

 ジェームズはバートの言葉を遮り、しかもクリスに後始末を頼み。更に後始末を頼まれたクリスも、その言葉に驚くしかなかった。

「え!? 俺!?」

「じゃ、ばいばーい。また5時間後にでもねー」

 ジェームズが困惑するクリスに手を振り、困惑するバートを引き連れて、外へ出ようとする。……5時間後、会社に帰ってきたら、ライラとジェームズの本気のバトルが始まるのだろうか。ライラの黄色い怒り声が響く中、バートはそんなことしか、考えられなかった。


 ちょっと変わった会社ですが、今日も、ベネー商会は平和です。


【終わり】

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