骨董屋の話
人魚の珠から解放されてしばらく後。
店に戻っても相変わらずやいのやいのと騒がしい篠原たちを少し離れた所で眺めていたネムは、後ろから小突かれたことでその顔を眉の寄った店主へと向けた。
「あまりやんちゃはするもんじゃないよ、ネム」
「ネムは巻き込まれただけですよう先生。怒るなら篠原に怒って下さいまし」
「こらネム! 俺を生け贄に差し出すな!」
急に話を振られ、遠くで篠原が慌てて自分の無罪を主張する。小さく握られた店主の拳は、ネムにとっては戯れでも他にとってはただの凶器だ。
「だいたい、小銭のかわりに金が詰まってる袋も元からおかしいが、なにがあってあんなモノまで入り込んでたんだ? 異形の世界じゃああれが通貨だとかいうおふざけはいらんぞ」
「どうせ混ざりがネムに言われて、そこいらにあったもんを纏めてつっこんだだけだろうねェ。狸憑き、あいつのズボラさを並のもんだなんて思っちゃあいけないよ?」
白色の言葉に、篠原が実に神妙な顔で頷く。それをとんでもない笑顔で店主が見ているのに気付いた黒色は、そそくさと二人から離れてネムの後ろへ逃げ込んだ。
「でも先生、昼祭よりずうっと楽しかったですよう?」
「ネム、お前さんなぁ……」
今すぐにでもそこで話し込む男二人に一撃入れようとしていた店主は、巻き込まれた当のネムから放たれた言葉でがくりと頭を下げた。
店主の奇行にも、呆れ顔で自分を見ている黒色の残念そうな瞳にも、ネムは相変わらずの眠たげな顔で首を傾げるだけだ。
その頬が随分と色を増し、嬉しそうに緩んでいるのを見て、店主はため息と共に握っていた手を解いてその頭に乗せる。
「そりゃあ良かったがね。あまり無茶をするんじゃあないよ。お前は私の呪いがあっても、まだ只人なんだからねぇ」
「そうさねネム。いっくら狸が狸憑きでも、狸だって人だよ? わっちらがいつもいられる訳でもなし」
知らずに店主の制裁から逃れた白色が、少しだけ目をつり上げて怒ると、ネムは首をすくめて小さく笑った。
「あい。申し訳ありません。これからはもうちょっと控えましょうとも」
「笑いながら言っても説得力がないよ、ネムや。まあ今は許そうかね」
頭を撫でる手を下ろさず、店主は滅多にない静かな微笑みをその口元に浮かべる。
しかし、それに頷いたネムから視線が外れた途端、その顔は般若より恐ろしい無表情に戻っていた。
「ネムまで巻き込んだ罰はきちんとするからね。お前たち」
油断していた三人は、その修羅の顔に睨まれて、思い切り顔をひきつらせて首を縦に振るしかない。その恐ろしい姿に、彼らは互いを見つめて揃って明日の朝日が見られるかどうかとがっくりうなだれた。
言うだけ言って満足したのか、機嫌の良いネムに喜んだのか、店主はくるりと戸口を振り返り、こん、とひとつその扉を叩いた。
「今からじゃあ宵祭にも間に合わないだろうが、最後のあれぐらいは見られるだろうよ」
「ひゃあ! ほんにございますか!」
眠たげな顔が一変、きらきらと子供のように輝きはじめたネムは、普段の鈍い動作もどこへやら。一目散に扉を目指し、白黒と篠原を呼ぶ。
「急にどうしたんだネムのやつ……」
「まま、見りゃあ分かるよ」
「狸、ほら突っ立ってないでわっちの隣においでな」
いきなり豹変した友人に戸惑う篠原だったが、白黒に強引に引きずり出された戸口の外を見れば、それも当然と目を丸くした。
普段は薄暗い路地しかないそこに、先程まで歩いていた社の境内が広がっている。
どうやら屋台もない少し外れのようだが、そこかしこにおかしな色の提灯を掲げた異形たちがひしめき合って騒いでいた。
揺れる灯りを切り裂いて、ぽっかりと空いた道の中央を巨大な光が通っていく。
見上げてもまだ足りないほど巨大な青虫が二匹、ゆったりと篠原の目の前を通り過ぎた。
「凄えな……なんだこれ」
「宵祭のお開きに毎年やる神事さ。美しいネェ」
「何度見ても良いもんだなぁ」
一足進むごとに、青虫の体の横にある模様が複雑に光を灯し、ちらちらと揺れては観客に色とりどりの影を映す。
異形達の提灯と混じり合ったそれは、飽きる暇も無く怒涛のように水玉模様の海をそこかしこに作り上げていく。
息をのんで見入っていた篠原は、ちらりと横のネムを見て、思わず笑いをこぼした。
まるで憧れの人を見る幼子のようなその無邪気な顔で、小さく歓声すら上げているネムは、年相応のどこにでもいる子供のようだった。
「狸、どうしたい?」
「ネムのせいだよ黒いの」
急に笑いだした篠原を黒色が訝しげに見たが、いつもの手ぬぐいの下に見えたネムの顔に、納得して同じように顔を緩める。
「先生! 先生! いつかは共にお社に行ってあの隣を歩きましょうね!」
「ネム、嬉しいのは分かったから、揺らさないでおくれ……」
興奮が最高潮に達したのか、隣に立つ店主の襟元を掴んだネムは普段からは想像もできない力でがくがくとその身体を揺さぶった。
咄嗟に対応できなかった店主はされるがまま揺さぶられて苦しげな声を上げるが、ネムはおろか白黒も篠原も弾け散る光の舞台に夢中で気付いていない。
「ほら先生! 最後ですよう!」
「ネム、だから、揺するのは」
青虫が行き着いた先は、小高い丘の上にある社の本殿。荘厳な鳥居をくぐり抜けると同時に、その丸い体の上が裂け、巨大な羽が中から現れる。
姿を見せたのは、孔雀の尾羽の目玉模様と、美しい花模様の対の蛾と蝶だった。
巨大な羽が羽ばたくたび淡く光る鱗粉が周囲を昼のように照らし、月明かりに透き通る羽の模様から宝石のように光が散る。
「いつ見ても、寒気がするほど美しいねぇ。眼福、眼福」
「白いの、感心してないでネムを正気に戻してくれねぇかね!」
「なんだい人がせっかく浸ってるってぇ時に。……あれまァ混ざり、どうしたんだい?」
しばらくの間、観客の目を楽しませるようにその場で音の無い舞踏を繰り広げ、一際強い光をはなってもつれ合うように天へと消えていく対の虫を見送った白色が振り返れば、見慣れた店の中はおかしな事になっていた。
ぐったりと萎れた店主の横で、ネムがあわあわとその目から涙を零している。
必死でネムを慰める篠原と、珍しく混ざりに渡すらしい湯呑みを握ってこちらを睨む黒色。どうやら途中で黒色か篠原が異変に気付き、ネムを止めたらしい。
「わた、私が興奮し過ぎてしまったんです……! 先生、死なないで下さいまし!」
「死なない。これぐらいで店主は死なないから泣きやめネム。な? お前に泣かれるともれなく後が怖すぎて、いっそ俺が死にそうだ」
真っ青になった篠原が萎れる店主をちらちらと伺えば、仕方がないと言った風情でかの異形は一息に水を飲みほすと、その美しい顔を蕩けるような微笑みに変えて泣きじゃくるネムの頭を撫でた。
やんちゃを叱る親のような、似合わない穏やかな表情に鳥肌を立てた篠原だったが、その目が全く雰囲気にそぐわない強い光を放っていることに気付いてしまったために更にびくりと体を震わせる。
その瞳は慈愛に満ちた保護者のそれではなく、獲物を飲み込もうと舌なめずりをする蛇のようだった。
涙を零すネムを飲み込むのをなんとか踏みとどまっているようなその顔に、篠原の全身から血の気が引く。
一体彼らの出会いがいつで、どうしてこんな関係になったのかも篠原は知らないが、ネムに対する店主の執着は、今までに出会った異形よりも、骨董屋に助けを求めた依頼人たちよりもずっと深く、重く、淀んだものだということだけは感じていた。
ぎらつく瞳に晒されたネムはしかし、それに怯えるでもなくそのまま店主に身を預けだまま。どうしても違和感の拭えないその光景に、篠原の眉は知らずきつく顰められる。
「雑ざりはね、ネムのことが大切すぎるんだよ」
「黒、やっぱりネムは」
声をかける事も引き剥がすことも出来ない雰囲気に、二人から静かに離れた篠原に向かってそうっと寄ってきた黒色が頷く。灯りに照らされている筈のその表情は、篠原には分からない。
何とも言えない顔をして言葉を詰まらせた篠原の隣に降り立ち、俯く黒色の頭をかいぐりながら白色も肩を竦める。
「守護憑きほど甘くも、憑りついているほど悲惨でもないんだろうけどネ。そうさねぇ……雑ざりの事だ、そのうちその中に取りこんじまうかもしれないねェ。ネムも分かってるようだけどサ」
指を振ってにたりと嗤う白色に、篠原は静かに後ろを振り返った。
ひとしきり慰められて気が晴れたのか、楽しそうに店主に懐くネムは幸せそうで、対する店主も皮肉そうな顔ではなく、どこか安堵したような顔で口元を少し緩めてネムを見ている。
まるでついさっき絡まり合って空へ消えた蝶と蛾のように、ぴたりと型に嵌り、お互い以外に隣に並ぶものは無いように見える二人の姿に、篠原は細く息を吐いた。
「あの二人はもう、恐らく辿り着く先が決まっちまってる。今ならまだ、もしかしたら知らなかったことにできるかもしれんが……」
少しだけ悲しげな黒色に、篠原は静かに首を振る。ほとんどたった独りと言っていい理解者であるネムを、ここまで来て見捨てていける程、篠原のネムに対する感情は温い物ではない。
もしかしたらこれも一種の執着なのかもしれないという事は、ネムのためにも自身のためにも見ないふりをして、篠原は人懐っこい笑顔を浮かべた。
「はじめに言ったろ? しょうがないから最後までついてってやるよ、って」
「おやまァ。地獄の底までお供しそうな顔だこと。ほんに、良い男だよ、狸憑きは」
篠原の言う最後は、きっと人としての終わりを超えた所に彼を引き摺って行った、その先だ。それを分かっていて尚、受け入れようとするお人よしでいじらしい姿に、目を糸のように細めた白色が喉の奥で笑いながらその肩を叩く。
「とうとうお前さんも、絡め取られちまったね。まぁ、俺の言う事じゃあないが、さ」
困ったように眉を下げた黒色は、言い辛そうに相変わらず異形にあるまじき優しい言葉を篠原に投げた。どうしたらいいのか分からないとった風情の黒色も、自らこちら側へ繋がれに来たようなものだった事を思い出して、篠原は何も言わずに緩く首を振る。
「いいじゃないか。こんな形も、世の中にゃァあるんだよ、黒いの」
「そういうもんかねぇ」
にたにた笑う白色に、腕を組んで訝しげな黒色。そして、この空間を日常にしてしまった自分。
先に狂いかけのネムと店主を足して、五人。結局、ここにいるのは皆どこか道からずれた者ばかりなのだと、何故か凪いだ気分の篠原はちいさく笑って色つきの光が散る天井を見上げた。
「白様、黒様、篠原も。そんなところで車座になって、どうしたのです? 夕餉に致しましょう? 先生がお祭のご馳走を用意して下さいましたよ!」
弾むネムの声に、輪になっていた三人は揃ってそちらに返事を返す。
いつも通りに騒がしく階段を上がる彼らは、はた目からどう見えても、実に幸せそうで。
蠢くなにか達も明るい彼らの声につられるように体をくねらせ、愉快そうな鳴き声を上げた。
店内が独りでに暗闇に沈み、代わりに二階に灯がともる。
こぼれ落ちてくるのは楽しげな声と、穏やかな気配。
賑やかな空気とともに、優しい炎はいつまでも、どこか外れた世界で幸福に生きる彼らを煌々と照らしていた。
骨董屋のやつらは、みんなもう気が狂ってるよ、ということでおしまい。




