08.叫喚(きょうかん)(1/4)
我は嚇怒と涙滴の落とし子。
物語の外に生れしモノ。
世界が終る時に目覚めさせたまえ。
七月二十二日
-Side A-
――昔の夢を見た――
少年が一人の眉目秀麗な、若武者と対峙していた。
この武者が他の者とは違う事は、少年は何と無しに分かった。
警戒と言う言葉が脳裏を踊る。
だが、それでも少年に怖れはない。ただ一人、暗闇の山で山獣と戯れていた者。
人とは異にする意思。
相手の若武者は、額に巻いた白い布で長い黒髪は収められ、粗暴な武士とは違う、統一された雅な節が獣の眼からでも見て取れる。他の武士と比べて、明らかに小躯でありながら、その闘気は群を抜いている。
少年の手には大きな斧。鉞を肩に担いで、少年は武者と対峙する。少年の血塗れた粗衣は赤く滴っている。
ざあざあと傍で飛沫を巻く滝は水気で潤わせるが、少年の心はこの上なく乾いていた……
「――様、ご自重くだされ。ここは老い先短い儂にお任せください」
その後ろからぬっと長大なアカイ色の槍を持った老人が出てくる。
少年は脅威を感じた。
何故なら今の今まで『そこに』居る事に気付かなかったからだ。獣の感覚を騙したのだ。
「坂田、我が部下の半数が手打ちを受けて……、私が黙っていると思うか?」
少年は再び聞いた若武者の涼やかな声を、はばたく直前の小鳥か何かようだと思った。
「――様、相変わらず戯れが過ぎますぞ」
「坂田、戯れぬ人の世など詰まらないぞ」
溜息と同時に老人は頭を振って下がると、若武者は地面に転がっていた木の枝を蹴って真上に上げ、それを持って構えた。刀と同じ構え。
少年は牙を剥く。棒切れで我が身に対峙する蛮行に怒りを撒き散らす。
「お前はいい獲物だ、誰にも渡さないぞ」
若武者の微笑に合わせて、何処からか赤い花弁が一片、風に流れる。
武者と重なった花弁は口に引く紅のようで、若武者を女性ではないかと思わせた。
自身と得物が風を纏い、二人は重なった――
「……暑ぃ~」
寝苦しさと暑苦しさ、その二つで私は夢のようなモノから覚醒した。
ちなみに言うと『暑い』の『つ』は『つ』でなく『ぢ』である。
本当ならクーラーをガンガン掛けて寝汗をひかせたいところだが、どうにも電気代が掛かって仕方がない。食費は元より、魔女を続けるには色々とお金が掛かるのだ。協会指定で正規の『違法ルート』から色々な魔薬を仕入れたり、希少品の無料サンプルを取り寄せたりしなければならない(無料サンプルなのに配送料が掛かるあたり、協会は詐欺だ)。
「うーん、アゾート剣もそろそろ欲しいからなぁ。色々と節約しなくちゃ」
吹き抜けの階下では私がいつも使う踏み台を使って国定は朝御飯を作っていた。
階段を下り切った段階で国定はエプロンで手を軽く拭くと、テーブルに手際よく配膳していく。
「おはよう、在姫。今日は炒り卵に佃煮、キャベツに黒酢を掛けてみたぞ。味噌汁はワカメだ。加えて、御飯は新しく炊いておいたから炊きたてだ」
テーブル横の、自宅で常時付ける冷房器具、扇風機がこちらに首を振って垂涎物の匂いを運ぶ。
あまりの手際の良さに閉口してしまう。いや、実際はあんぐり開いているのだが。
こいつぁ、すげぇい。
「在姫? どうした?」
「国定、うちにずっと居て」
そこ、しゃもじを落さない。
「き、君は何を言っているんだ」
よく知らない者同士でイキナリ同棲とは時代も変わった、貴族の悪習の復古か? とブツブツ呟きながら動揺している。いや、そう言うことじゃなくてね。
「いや、便利だから小間使いとか執事代わりに居て欲しいなぁ、って」
その言葉と同時に目をお馴染みの『ー』の形にして眉根を寄せる。
「在姫、俺を奴隷か何かと勘違いしているだろう?」
「まさか~、都合のいい飯使い(誤字に非ず)ぐらいだとは思っているけど?」
「くっ、不覚。親切心も過ぎれば蛇足か、俺がそんなに苛めたいか、そんなにキライか」
「いや、私は国定は好きだけど?」
今度は茶碗を落した、って今私はなんて言った?!
「ち、違う、違う違う違う! 私国定料理好き」
私まで手をブンブン横に振って動揺してしまう。「私は国定の料理が好きだ」って言い直したいだけなのに!? 助詞が助詞が助詞名詞も名詞が動詞同士が……
「あぅあぅ」
そんな様子を見て逆に国定はキョトンとすると、したり顔と言った笑みを浮かべた。
「食え」
「食う」
ぶっきらぼうに、そしてその言葉に乗せられるように口を尖らしながら「いただきます」と自らに向かって宣うと、目を合わせずに御飯をがっついた。御飯と同じ暖かさの頬が、やけに悔しい気持ちにさせた。
しばらくして、味噌汁を飲み込んだところで、起きたばかりでの部屋の様子を思い出した。
「ねぇ、私の部屋にあった洗濯物は?」
「洗ったぞ? リビングの床に放りっ放しで気になったからな。ちなみに言うが、下着は回収してないし、見てもいないぞ? まさか、昨日から同じのを穿いたまブッ!」
「昨日帰った時に穿き替えたつーの!」
煙を上げる拳とクソガキの額をを無視しつつ、ある可能性について考える。
もしかして……見られた?
「もー、なんで勝手に人の部屋に入るのさ!?」
「君は自己管理を必要最低限とりあえず出来るが、それでも面倒になると後回しにする気があるからな。そう言うのは個人的に非常に気になる故、整理させてもらった」
「いや、だからって、そんなに気になるなら勝手に入らないで一言声を掛けてよね! 仮にも女性よ、私!」
「何だ? 見られては気になる『モノ』でも部屋に置いてあるのか?」
その『モノ』があるから言ってんでしょーがッ!! あるから!! そんな「何かあるの?」って小動物が不思議なものを見つけたような顔をするでない!
まずい。『アレ』を見られるとマズイ。非常にマズイ。いくら劣等感があったとしても『アレ』はやりすぎたと思う。
おそらく、『アレ』の存在を知るのは『もしかしても』師父くらいのものだ。
「全ッ然、そんな『モノ』は微塵としてないよ」
朝から暑すぎるせいか、汗が止まらない。汗のワリにやけに冷たいが。
沈黙すること十秒。
「そうか、別に今の状況を困難にするような『モノ』でないなら止しとしよう」
そうそう、物分りがいいじゃない、と小さく息を吐く。
「ところで」
思わず、箸を取りこぼす。落ち着け、私――!!
「ななななななな何?」
「DJのスクラッチングではないのだから……、在姫は普段はキチンと自分から『カジ』をしているのか気になったのさ」
「カジ? うちは陰陽道じゃないからそう言う呪いを扱ったことはないけど?」
「馬鹿者。それは『ち』に点々の『加持』だ。俺が言っているのは家の雑事である方の『家事』だ」
あぁ、なるほどと納得しながら、テーブルの下に落ちた箸を拾い、テッシュで拭く。
「それぐらいはしてるよ。失礼な奴だな。第一、これまで料理、洗濯、掃除、他全部を自分一人でやっていたんだからね」
ない胸(多少自覚はある)を反らしてみるが、相手は納得していないようだ。
「でも君がキチンと家事ができるまで監督をした人物がいるはずだろ? 魔女の家に一般人のお手伝いがいるように俺は見えないがな?」
「あ、そう言うこと。それは師父に教えてもらったけど? 料理以外をね」
「料理以外?」
「あの人、脳みそと全身に砂糖が行き渡れば生きていける人間だから」
あぁ、と国定も、あの殺人的な甘さの、色だけが珈琲の名残を見せた飲み物を思い出す。
食べる御飯の度に大学芋やら南瓜の煮物やら、何らかの甘い物が入っていて最後にデザートすら入るのだ。いや、量の配分から言ったらデザートが主食かもしれない。
ちなみに私も女の子だから甘い物は好きだが、毎食キログラム単位で糖分の入った師父の食事は御免被りたい。私は若くして糖尿病で死ぬつもりは無い。
「おかげで、私は日常でお菓子は誰かがくれない限りあまり食べないし、師父の料理は参考にならないから殆ど独学だよ」
とは言っても、パティシエ並とは言わないが、さりげなくお菓子つくりが上手いのはナイショである。
「なるほど。ところで在姫、お椀を差し出されても無い御飯は無いことを分かっているか?」
…………そうですか。仕方なく、私は渋々と茶碗を片付けた。
準備のために部屋に戻ると、『アレによる例の日課』をしていない事に気付いた。ここ数日は忙しかったため、ろくに日課をしていなかったからね。
「さて」
ゴソゴソと、口うるさい魔人にバレないように『アレ』を部屋の魔術結界を施した隠し収納から取り出し、壁にぴったりと据え置く。
喉が、ゴクリとなった。こんな事をするのも久しぶりだ。気になるのだからしょうがない、自分の価値観を位置付けるのに必要なことなのだ。
私はそれにしっかりと身を寄せると、静かに『ソレの一部』を動かして、合わした。
「在姫、入るぞ」
……………………………………………………エッ?
私の横では金属製の、一般的な目覚まし時計が規則的に歯車を動かし、秒針を進めている。外、私の庭先の木陰では小鳥が囀っている。
陽光はますます角度を鈍角から直角に近づけ、天頂へと昇りつめていた。
さて、そんな室内の様子は、白い壁に、白い天井。本棚には数々の言語から翻訳された魔導書が積まれ、テーブルには一般人にしてみれば、明らかに身体に悪そうな色合いの霊薬の実験道具が重なっている。
こちらを見ているのは超絶的な戦闘技術と身体能力を持っていながら高所恐怖症の魔人、国定 錬仁。
こちらを見られているのは昨日自分の戦闘経験と戦歴に、華麗なる勝利を初めて記した将来有望な伝統的美少女魔女(仮)、九貫 在姫。
両者を比較すれば分かるとおり、私には『欠点はあっても弱点はない』人間だった。簡単に言えば、『弱みのない人間だった』のだ。
私と国定は睨み合っている。いや、睨んでいるのは私だけで国定の視線は私が背にする『ソレ』を『信じられない』と言うように眺めていた。
使用方法を考えれば、それこそ刹那の間に理解は出来たはずだ。が、『ソレ』は一般家庭にあるにしては、魔女の屋敷にあるにしても、てか、一般人が持っているにしてもおかしかった。似たような使用方法のモノなら他の家庭にあっても不思議とは思えないモノだが、それにしては『ソレはあまりにも場違いすぎたのだ』。
「なんで、家に『身長測定器』?」
なんだか……泣きたかった……
身長も変わっていなくて、もっと泣きたくなった……
「許してくれ、在姫」
いつも通り、高校まで至る神南駅まで揺れる電車には魔道書を読み込む『私』しかいない。
私の座る横から何やら喚く存在がいるようだが、私には見えないし、聞こえないし、答える必要も無い。
その存在は何やら答えを求めているようだったが、別に私は怒っていないし、謝罪を受けて彼自身が赦免を受ける必要はないのだ。
ただ、
「君が身長を著しく気にして居る事は誰にも喋らな……」
私は清清しく、その誰かの居る方向に向かって笑顔を向けた。誰も居ないはずのその場所を錯覚なのか? 血の引くような音がした。
「……話題にすら挙げません。俺は何も見てません」
「宜しい、では高校に着くまで減らず口をジップロックみたいに固めておきなさい? 分かった? 了解?」
「りょ、了解」
「ふん」
朝っぱらから泣き過ぎて痛くなった目を軽く擦った。……バカ。
坤高校は今日も至って平和そうな様相である。殺し合いのあった屋上では遠目でも分かる巨人の二人組がボォッと雲を眺めているし、突撃兵の破壊したグラウンドは陸上部の男子がタイヤを曳きながら犬とランニングしても大丈夫なほど整備され、矢の刺さっていたサッカーゴールは毎日サッカーの練習に勤しむバスケ部員が使用しても分からないほど綺麗に元通りになっている。
そしてチラリと見た弓道場、その空気が捩れて壊れていた。
「な、何?」
このおぞましいまでの殺気は?
思わずたじろぐ私。
殺気は殺気でも、むしろこれは人外などとも相対が出来る退魔師の『覇気』だろうか? いや、これはどちらかと言うと研ぎ澄まされた、刃物のような『剣気』だろうか? どちらにせよ。『見当は付く』にしろ、一般人のいる場所に似つかわしくない雰囲気だ。
「と、ともかく、行ってみろ、在姫」
同じく、それに気付いただろう国定が促し、私はその場所へと向かった。
「あ、あぁぁ」
『やっぱり』、私はそれしか声が出せなかった。いや、私以外の他の弓道部員や、殺気に巻き込まれた通行人は、その声すら出してないのだから……
具体的に言えばこうだ。
『袴着た魔女がキレてらっしゃる……』
道場の前、板張りのゲタ箱前には一張りの弓があり、そこに仁王立ちをしながら、弓道着に弓の『弦』が当たらないようにする皮の胸当てをつけ、腕を組んだ私とは遜色の無いような小柄な女性が立っている。いや、仁王立っている。
さて、私の学校には私の知る限り三人、本当に魔女かどうかはともかく、魔女と呼ばれている人物がいる。
予言視の魔女、二年 千塚屋 御彫と、
可能性の魔女、一年 黒伏 魅九と、
そして、今、弓道場の目の前で『ブチ切れ』てらっしゃる 弓道部の魔女、二年 葉桜 弓狩先輩である。
怖れ知らずと言ったモノか? 私は『昨日の件』と関係があることを考慮して私は恐る恐る声を掛けた。
「あの葉桜先輩?」
「あ?」
な、なんか『あ』の横に点々のついた声だよぉ……。
私はそれに気圧されながらも持ち直した。
「な、何かあったんですか?」
「……あぁ、いや、君か。最近、国定に国内フェザー級王者も真っ青なガゼルパンチみたいなボディブローした後輩の……、九貫 在姫だったかな?」
ジロリと横から「そうなのか?」と訴えかける視線を四方から(特に真後ろの肩辺りから)感じるが完全に流した。
「いや、あれは凶猛で被害妄想趣味な『副会長』との『口喧嘩』で国定先輩が詰め寄っただけなので、そんなの事実無根、清廉潔白ありえませんよ。幻痛ですよ」
「そうか。傷が痛むと言うので僕が診たのだが、指先で脇腹、その反対を拳で貫かれた傷痕があったが、あれはなんだろうな?」
チッ、流したかったのに。しつこい人は嫌われますよ、先輩? と言うわけでその『口撃』にカウンターを合わせる。
「葉桜先輩って『服の下まで』見せ合うほど、国定先輩と仲がよろしいんですね?」
うっ、と『痛い』ところを突かれた魔女は顔を少し、自らの苗字通りの桜色に染めながら動揺する。よし、ペースはこっちが握った。
「……ところで、そんなに怖ーい雰囲気なんか出してどうしちゃったんですか?」
話題が変わった事を暗黙の了解と取って、葉桜先輩は著しく真顔に戻ると、目の前の弓を人差し指で指した。
見たところ、弓道の心得のない私の見る限り、弓を握る部分を含めて全体がやたら太い事と、下の方に『弓狩』と名前以外は彫られて居る事以外は気付かない。いや、もう一つ気付くなら、『弦の部分がやけに血の飛沫いたように赤いこと』ぐらいだろう。
「あ」
何だか、小さな声が私の横から聞こえたが、幸い私以外には聞こえず、同時に私以外には何を小さな声が意味するか分からない。
これは使う弓を誤った国定を責めるべきか? それとも証拠隠滅を取りこぼした師父を責めるべきか?
本当は師父を責めたいのだが、この場に居るのは国定だけなので、後で国定を罵倒しよう(言い掛かりとも言う)。
「誰かは分からないが、僕の弓を『ユガケ』を使わずに引いたらしいな、勝手に」
やたら語尾を強調して、弓を睨む葉桜先輩。ところで。
「『ユガケ』って何ですか?」
「あぁ、普通は弓を引くとき、矢の刺さる方、矢尻の反対には筈と呼ばれる溝があって、そこに弦をかませてからさらに弦を直角方向に捻って矢を固定させるんだ。その時、親指の付け根に弦の力が一点に掛かる。その力を安定させ、なおかつ技巧的に弦から【離れ】を得るために『弓』偏に『葉』と書いた皮の手袋、『ユガケ』と言う道具を使うのだが、私の弓を引いた人物はその『ユガケ』を使わずに引いたみたいなんだ」
どうなるのか、弓の引いたことのあるジョウチョーならいざ知らず、私はあまり想像がつかない。
「その道具を使わずに引いたらどうなるんですか?」
「さぁ? 女子が引くような弓、13~15kgでも親指の一点、しかも柔らかい掌の側の一点に弦が食い込むからね。掌の皮が厚くても鬱血しちゃうし、僕のは普通の男子の引く弓の重さの三倍、いわゆる三人がかりで弓に弦を張る『三人引き』だからね。たぶん、血が滴るほど皮とかが切れたと思うよ?」
女子高生がそんな冗談みたいな弓を引くのも驚くが、それを素手で引く斜め後ろの魔人も驚嘆する。
「クンクン」
そして、その血の匂いを嗅ぐ魔女。……実はこの人は犬属性と言う奴だろうか?
「……しかもこの血、人間のモノじゃない」
その言葉で、心臓が凍った。
先輩、あなたは本当に犬ですか?
「なんだろう? とにかく、人間には似ているけど嗅いだ事のない匂いなんだ、よ……?」
弓道部の魔女は私を見ると、スッとまるで瞬間移動のように私の前に移動して、私の前に立つ。背丈もそれほど変わらないはずだが、その気合のせいか、幾分か大きいように思える。
「クンクン」
匂いを嗅ぎ始めた。それと同時に先ほどまで近くにあった、ここ数日間でやっと感じられるようになった国定の微妙な気配がススッと離れる。
それが正解だ、と私は心の中で嘆息して、殺気の薄れて動けるようになった人たちは退散し、後から来た登校中の学生の痛い視線を感じつつ身を任せる。
ぐはぁ、目立ちたくないのに……
てか、年頃の女の子がこんな風にやたら近すぎるのは道徳上良くないです。首筋に埋めるように嗅ぐ姿は在らぬ誤解を一身に受けそうな恐怖なのです。
「クン……気のせいか? 君から似たような匂いがしたのだが……」
「たぶん昨日は血も滴るようなレアのステーキを食べたからですよ」
かなり苦しい言い訳だった。
「嘘をつくな。昨日は親子丼だっただろ? 九貫、嘘は感心しないな?」
コンマ二秒で看破すると、ニヤリとコワイ笑みを浮かべる魔女と呼ばれる女性。心臓は早鐘が堤防の決壊間近のように打ち鳴らすが、本当の魔女ならば、これにもカウンターを合わせるのである。今は本当は打ちたくないけど。
仕方無しに、なけなしのカウンターを打つ。
「そんなふうに匂いを嗅げるなら、夜中に出歩く【怪人】の匂いでも追ってみたらどうですか?」
「なっ?!」
私はニッコリと笑う。相手は顔を先ほど以上に明色に染め、それでも柳眉を立ててこちらを睨む。
再び、殺気の嵐が吹き荒れる。
しまったぁ――。今のはブラフだったか。でも、売られた喧嘩は買わなければならない。
九貫家家訓 その三
『売られた喧嘩五倍買い、復唱。売られた喧嘩五倍買い by 愛媛』
通行人が凍る殺気で次々と金縛りに掛かる中、
「喧嘩しちゃダメだよー」
のっそりと、あるいはのっしりとでも擬音で形容すべき巨大な影が真横から、その暴風の間を割るように現れた。
独特の間延びする口語表現に、目の下の黒い『クマ』、やたら広い肩幅、白衣のような服を着込んだのは坤の有名人である。
「善通寺?」「会長?」
「二人ともー、仲良くしようよー」
生徒会会長だけあって、戦闘意欲を効果的に削ぐ声の調子は神業的であり、作為的に感じる。または人徳とでも言うのだろうか?
その声に乗せられて、周りで硬直した人々が邪眼から解けたように一目散に校舎へと逃げていった。
ふん、観戦も出来ない根性無しどもめ。見なさいよ。あそこの私と同じクラスの藤城君なんて……、未だ恐怖に身が竦んで動けないみたいね……
「他ならぬ、善通寺が言うのであれば僕は退こう」
「依存はありません。葉桜先輩ゴメンなさい」
ん、と短い返答。
――だが、彼女の敵意は薄れたはずなのに、今だ空間は捻れていた。
――殺意を向ける、奴がいる。
「会長、次の和木市自治連合会の会合事前会議までのお時間がありません。そのような下級闘争程度には割く時間の無い事を重々ご存知でしょうか?」
と、その真横からの冷徹な声は副会長の『アノ』女である。
冷徹さを強調する縁無しの眼鏡。凶暴さを隠すように可愛さをムリヤリ形作ろうとしているお下げ髪。私よりも、僅かに、『 僅 か に 』高い小柄な体格と、それに反してやたらとドデカイ態度。それでも、てんで可笑しい事に私と同じ一年だと主張する胸元の名札。左手にはカッコつけているのか知らないが黒い手袋を嵌めている。切れ長の吊り上がった獣、ケダモノのような瞳。その奥には金色に見えるような――殺意。
その視線と、胸の内の牙が噛み合って、ギシリと本格的に、空間が暖めた千歳飴のように捻れた。
グニグニと熱湯と冷水を混ぜた水槽のように二人の間の景色が歪む。
「あら、『小さ過ぎて気付きませんでした』。ご機嫌よう、九貫 在姫さん、今度は葉桜先輩を巻き込んで、あろうことか会長の目前で『校内テロ』の準備中ですか?」
フフッ、先制攻撃ですか?
「ご機嫌よう、島田 燕副会長、あなたのような政権簒奪を目論む、いきり立った上昇志向の禿鷹為政者と朝っぱらから顔を付き合わせるなんて終わり無い悪夢の欠片にも思いませんでしたわ」
地響きが何処ぞから響き、流れるような清清しい朝陽が校庭を照らし、その場で固まったままの藤城君は、今度は泡を吹きながら痙攣して倒れている。
乙女とアバズレの視線の間では文句無しに、容赦無く青天の霹靂もかく言う火花が散々と咲く。
この女は、私には合わない。そう、体が拒否反応を起こしている。本能とかそう言うものではなく、魂が嫌悪を抱いているのだ。
この女、島田 燕は私に合わない。戦場で背中を見つけたら敵だろうが、味方だろうが、一般人だろうが真っ先に撃ち殺したくなるタイプの嫌な女だ。有名無実な、死神が殺すために使うと言われる死のノートがあったら、六十ページ以上を改行無しに死に様を埋め尽くしても飽き足りないだろう。
「喧嘩は止めよーよー」って声がどこからか聞こえるが、そんな事で収まるならいざ知らずと言ったところだ。『濡れ衣』を以前から着せられているのだ。誇り高い魔女が校内テロなどと言う暴挙に手を染めるはずが無い。
「平行線でも『歪んだ』平面上なら交わるって知ってますか?」
私の言葉に的を射たようにニヤリと口の端をこころもち上げる大敵。三枝先生の授業を受けているだけはある、どうやら話は通じるようだ。
「ガウスの非ユークリッド幾何学ですよね? それが何か?」
「さぁ? 平行線の決着をつけるには時に『歪んだ』状態も必要なんですよ?」
チリチリと髪の毛の芯に響く音。魔女の心臓に鼓動が始まる。無意識の内に人払いの魔術にも似た雰囲気でも出していたためか? その場には話題が急に変わって付いて行けずに何処となくいじけている葉桜先輩と慌てふためく善通寺会長、憎き宿敵と少し離れたところに「好きにやってろ」って感じの国定(と完全に気絶中の藤城君)しか周りに居ない。
ここで、化けの皮を被った獣を仕留める!
腰の発射台に拳を据え、体重をやや後ろに掛けた空手構えは坤高校副会長の遣り手、いや今だけは『槍手』の島田 燕。
対して顎に拳をそろえて体重を前に掛けた、師父直伝の『紳士と淑女』の古イギリス式ボクシングスタイルは私。
ちなみに、古イギリス式ボクシングと言うのはつまり喧嘩殺法の事である。突き、蹴り、投げ倒し、頭突き、噛み付き。ヴァーリトードで紳士淑女な世界だ。
どちらも拳の届く範囲内だが、度重ねる踏み込みと視線のフェイントは中々決着をつけようとしない。
それはバズーカを互いの目の前で、引き金に指を掛けながら勝機を見る行動。
しかし時は重ねる。雨だれから水滴が零れるように、善通寺会長が「もう止めようよー」と七十七回目に言った時、自然に同時に踏み込んだ。
「燕ちゃん、喧嘩はダメ」
「在姫、そこまでにしろ」
私と島田 燕、二人の拳は何時の間にか割り込んだジョウチョーの掌によって完璧に、力を吸い取られたかのように止められ、それでも捌き切れなかった島田 燕の踏み込みを、背後から疾風、いや迅雷のごとく駆けて、後ろから抱き止めた女性によって止められた。
「えいねるお姉さまッ!」
「ちっ、いいところだったのに」
これまた『前回』と、国定先輩が巻き込まれたのと同じ状況である。唯一違いがあるとしたら、『誰も怪我人が出なかった』事だけだ。
助けた側にも関わらず、やたら会長に頭を下げている、普通、だけど変な先輩は頼島 えいねると言うようだ。
平平凡凡、並盛、普通定期。そんな言葉しか浮かばない、やたら外見の印象の乏しい女性の先輩。島田燕と比較するなら、悪逆非道な肉食動物に対して略取とか悲恋とか常に不幸を全うする草食動物のような、そんな女性だ。
どうも島田 燕の『ロサ・何とか』様、つまり憧れのお姉さまのようだ。島田 燕は豹のように鋭かった瞳から、借りてきた猫のように大人しくなってやがる。
なんつぅ変わり身の早さだ。やっぱり嫌な女だ。いつか化けの皮を三枚に下ろして剥いでやる。
「善通寺さん、遠吠、じゃなかった、えっと……携帯で、とにかく連絡していただいてありがとうございます」
「気にすることないよー、いつもありがとねー、えいねるさん」
確か、携帯は校則で禁止だった気がするが、島田 燕の弱みを握るために、ココはグッと黙っておこう。私って……策士だ。
「いぇ…… で、燕ちゃん。また、お友達の在姫ちゃんと喧嘩したの?」
「お、お姉さま。私、我を忘れてしまい、お手数を掛けてしまいました、……が一言言わせてもらうと断じて、二度も言いますが、目の前の女は断じてお友達などでも、知り合いでもありません」
「え? そんな、だって、私と燕ちゃんみたいな仲良しでしょ」
「まさか!? それこそ天変地異が起こって、黙示録が実現して、アンゴルモアの大王が十四連続に繰り下げで落ちて、牛野屋の牛丼のネギだくが解禁になってもありえないことです。それに…… お姉さまと私は友達というより……」
頬を桜色に染め、視線を僅かに逸らしながら頼島先輩をチラチラと見ている凶猛な、いや知ってはいけない世界に『狂盲な』島田 燕。
頼島先輩は困って……、泣いていた。
こ、これも……、弱みか……?
どちらにしろ、とりあえず、場もまったり和んで来たので、
「……んじゃ、HR行こうか」
退散することにした。
「待て、実行犯その二」
グワッシと私の後頭部を鷲掴むジョウチョーの手。それは地面を掃く私の健脚を持ってしても一向に進まない握力、微妙に私を浮かしている筋力。あなたは花山組長さんですか?
「善通寺会長並びに関係者に朝から面倒を掛けた非礼を詫びたまえ、特に痙攣を起こし始めて保健室に運ばれた藤城君にもな」
「善通寺会長、葉桜先輩、頼島先輩、そしてひきつけを起こし始めた藤城君、ごめんなさい」
「――貴様、私に非礼を詫びぬつもりか」
やたら鋭く見える犬歯を噛み鳴らす獣の如き女。
謝る気など期待していたのだろうか? はっ、バカな女。
「元はと言えば貴女の方から牽制を仕掛けていたのに、責任転嫁甚だしいですね。失礼、転嫁なんて全国にいる健全な『花嫁』さんに対して失礼でした、ホホホホッ」
唇を噛み締めて、憧れのお姉さまの前であるがために何も出来ない島田 燕。
私の斜め上辺りでは今日で何回目になるのか分からない『憑き人』の溜息が聞こえる。
さて駄目押しに「頼島先輩に迷惑だからとっとと離れて、神南高校に転校したら?」と最後に『色々な含み』を込めて言ってみよう。
まぁ、微妙に言い過ぎかもしれないけど。
そう言い放とうとした私の肩を、眼鏡を光らせながら、ジョウチョーはそれに続くはずだった言葉を止めた。
「在姫、そこまでにしておくんだ! これ以上の諍いは御免被る。我々は学校と言う教育機関に来るために何故にこのような争いと諍いをするのか? 人類皆平等は未成年の幻想の中『だけ』の特権と産物だ。だから謳歌しようぞ、この小さな世界を。これ以上何を争う理由があるというのだ。否、断じて否。良いか、巨視的に見れば、そう、大宇宙の大いなる中点からすれば我々などちっぽけな、塵芥に等しい生命体に過ぎん。我々からすれば微生物など小さな存在だが、刮目せよ。この大いなる大地に立つ大地が如何にちっぽけか。天空にある恒星よりも、それが認識すら出来ないほどこの大地が如何にちっぽけなのか。その天空の巨星を巨大な蒼穹とそれに続く宙が如何に比べてちっぽけか。ちっぽけだ。あぁ、なんとちっぽけなことか? 天と比べれば、点にしかならないほど矮小すぎて呆れるほどの五分の魂だ。だが、我々がちっぽけな中でも更にちっぽけな小人なのだ。それ故に、全てが覆る。未成年だけでなく特権的に、普遍的に、広義的に、例外なく持ちゆるのは『意志』だ。その意志を何故わざわざ非建設的な騒乱行為、残虐的な行為へと何故に斯き立てる。それは悪なのか? 私達の内部構造にそれは存在するのだろうか? 人の本質たるモノ、根幹、起源は『悪』なのだろうか? 美点は何処に消えた? 我々に持ちゆる意志は崩壊と摩擦と拡散を繰り返すのか? 熱量力学第二則が精神界すら侵蝕するのか! 馬鹿な! ならば、我々は何故ここに立つ。そうだ!! ここで覆るのだ! 我々は! 長き積み重ねた歴史が破壊と言う『悪』を否定する! 積み上げた歴史が悪を凌駕、悪を駆逐する。散逸理論ではない! 君も、私も、貴女も、僕も、全てはここに立つと言う事実だけで全てが成り立つのだ。私が存在すると言うだけで悪と言う前提が覆される! 積み上げてきた歴史が破壊と言う悪そのものを、私達の存在自身に因って軽々と否定するのだ。だが、それを読み取る認識はどうだ? 誤解を何故に続けるのか? 我々の脳は正しく見ているのか? 脳が、箱の中の鏡である脳が現実と認識した出来事、いや、全てのモノゴトは正しいのだろうか? 私の見ている色は本当にその色をしているのか? 聞こえている音は空耳ではないのか? 何処までも続く草原はただの夢で、その香りは偽りなのか? 唇に残る感触と舌に感じた相手の味は何だったのだろうか? 指先で撫でた自らの肌は牛肉のパックと成分と更に何処がどう違うのか? 正視、正聴、正嗅、正味、正触、五戒を持って偽りより解き放ったれよ。第三の眼を持って正しき世界を認識せよ! そうだ、思い出した。それはデカルトと仏法の八識が簡潔な答弁をする。そうだな、デカルト曰く、『我思う、ゆえに我あり』と定義した。『当然だ』と誤認をそこでするな、思考しろ、研鑚しろ。あらゆるモノを仮定と論理で筋立てろ。深淵な推察をするだけなら、あらゆる証明と、あらゆる過程と、あらゆる方法で『自分と言う存在』が本当にあるかを確かめ、それが証明出来なくとも、『疑う事を続ける自分はある』と言う事だ。深淵の縁で迷いかけた時にそれだけが真に正しいのかもしれない。つまり、『疑う事を出来る自分は真実だと当てた』のだ。更に付け加えるなら仏法を要約した般若心経から『空即是色』と……」
「在姫、どうしたらいいんだ?」
そう幾分か、潜めている時より大きな声で私に語る国定。
周りには、私と国定と演説スイッチがピタゴラス的に入ったのトリップジョウチョー以外、誰も居ない。
「……行こうか」
何処か、違う世界に飛んでしまったジョウチョーを『私たち』は放って置いて、そのまま訳の分からない段階に達した演説は誰にも聞かれる事なく、そのまま四十分ほど続いたそうな……、当然、遅刻だった。
ちなみに、普通は怒るはずだが当の本人は全然気にせず、何か言い切れた事が嬉しいのか? 晴れ晴れとした顔でジョウチョーは二時間目に重役出勤してきた。
昼休みの屋上。階下に見える弓道場からは魔に属するモノなら分かる霊気装甲の弾ける音。それと共に一般人でも分かる、鉄塊がコンクリートを打ち付ける異様な旋律が支配している。
おそらく、自分の弓を勝手に魔人に使われて怒った魔女が、射に熱を燃やしているに違いない。ちなみに、私が弓道用語に詳しいのは、新入生の当初に仲良くなったジョウチョーが体験入部したからである。三年生からの熱烈なアプローチ(例の魔女以外)を受けながら、それを蹴って正統な部活動の『文芸部』ではなく、あの坤歴代変人の一人 戸上 七歩、もとい大師の息子、私の義兄にあたるらしい人が作った『同好会』の『文学部』に入っている。ちなみに私は大師の死の直前までは戸上 在姫と言う性だったが、生羅師父が引き取る頃に元に戻したのだ。ちなみに、あの頃の大師の家での事は…… 色んな意味で、思い出すのを躊躇われる。
……話しを戻すと、ちなみに文学部員、もとい『文学部』は二名。一年の『自称非体育会系文士』斐川 常寵と、何故か金髪なのに髪型がちょんまげで語尾が『ござる』の英国帰国子女、ただ今色々な事で傷心旅行中の『自称蒼い瞳と硯の何故か似合うの部長』 三年 黒未 吾翻だけで、目下壊滅中である。いや、その部長すら居ないのだから、もう瓦解したかも。
と、これを言うと珍しくジョウチョーが不機嫌になるので止めておく。あの二人は仲が良いけどやっぱり恋仲なのかなぁ?
何だかどうでもいい事を思い出しながら、屋上に職員室から失敬して作った合鍵を掛ける。前々から取っておいてある私の髪の毛を結んで、さらにそれを編み込んだ縄で屋上をグルリと囲み、私が幾つか知るうちの『魔術』、『人払い』と『普遍』の結界を掛ける。
結界とはその名の通り、場を区切る『結ばれた、閉じた世界』、つまり『異界』である。『人払い』は文字の通り、人を寄せ付けない『異界』を作り出し、『普遍』は私が以前幽霊の大群に囲まれた時に使ったようなもので、結界内の『異常』を外に知らせない結界を作り出すモノだ。
「あ、在姫? 本当にやるのか?」
こんな大掛かりな事をするのは訳がある。
――五分前――
たった二人、昨日の戦闘を踏まえた屋上での魔人との一幕。
片手には国定が早起きして作った純和風のお弁当。
しかし、その穏やかな日常を、製作者本人がぶち壊した。
「在姫」
「何?」
「昨日の行動を見る限り、君は本当に魔女なのか?」
「……上等」
以下、モノローグ終了。いつもながら直情的かつ、短絡思考なのは否めない。が、挑戦を受けた以上はそれに答えるしかない。
母が『アノ場所』に行く前に教えてくれた数少ない教え。
無論、九貫家家訓 その三である。
あぁ、そんな言葉を残され、あの大師に教育され、そして期待に応えてしまった私を誰か罵ってください……
「挑発にあっさりのる君は馬鹿か?」
「見てろよ。コノヤロウ。あっ、と驚くんだから!」
もう、どうでも良くなって来ました……
私の召喚術は通常は刻まれる陣を使う必要はない。自らの血、九貫の代重ねをした血脈自体が既に身体の中に巨大な『魔方陣』として形成、圧縮され、血の『魔方陣』と『純度の高い血の霊気装甲』が瞬間契約を作成させる事が出来る。魔法使いには出来ない、血脈を重ねた魔女だから使えるトリックだ。
だが、今回の召喚は以前に行なった、風霊種に属するヒッポグリフの簡易召喚とはワケが違う。
召喚とは魔道の奥義の一つであり、素人が迂闊に手を出してはイケナイものの一つである。
召喚は前述の通り、ムリヤリアポをとって、在り得ざる者どもを使役する乱暴な術なのだ。乱暴な言い方だけど、科学も似たようなものだ。何処か、ここで納得しろ、と言った線引きがしてあるのだ。それが世間の常識か、怪異の常識かの違いだ。
むろん失敗すれば、魔方陣によって作られた『門』に『私』と言う概念が『あちら』に持っていかれたり、召喚されたのが気に入らない種による『報復行動』や、魂魄と流素の結合失敗の逆転作用、まんま『大爆発』をしたりだってありえる。
そのため、十分な霊気装甲と『異界に飲み込まれない強固な意思』が必要な召喚術は一回でも使えるだけで魔法使い合格だろう。
しかし、私は魔女であり、それに特化した『召喚士』である。召喚を専門とする手前、『合格点だけでは満足できない』。
「Highest lords are glorious asterisk. Sway of moment, twist of air, see gramsight, imagine the truth, then nameless entity arrive on the real――(至高神群は燦然たる星辰。時の揺らぎ、空の歪み、異を持って視、理を偽り、そして名も亡き名によって汝らが身を現せ――))
魔女の心臓の鼓動、右心房、右心室、左心房、左心室の流れとは違う、力のうねり。血管を焦がすような感覚が全身を支配する。この間の戦闘のようにただ流すだけでなく、その流れを律する。熱とも流れともつかない力、それを自分でアルメデアゥと呼ばれる特殊な儀式用、製法は乙女の秘密、の粉で描いた四万三千九百五十六のエノク語の魔法陣に直接、血液として落す。
門を開ける近い世界で、単体の魔女だけで開けられる門の異界は五つが確認されている。
ノーデンスの名によって治められる 炎界 火
イタクァ の名によって治められる 風界 風
クトゥルフの名によって治められる 深界 水
ニグラス の名によって治められる 孕界 土
そして、それらの上位に属する最高の異界、無境を治める万界の王、アザトースの空を持って四界一境を持って完成されるのが五大素式霊素置換法術式、召喚術なのだ。
これ以外にも『世界』は確認されているが、それはよほど極端なまでに専門化しているか、その世界を知らない限りは契約を取り付けるまでが難しい。特に何とかと言う異界の、人を食う『騎士団』。彼らを例え偶然でも召喚できたら私は尊敬どころか五体倒地して、その後にバニー姿でリンボーしたって良い(行動に大した意味はない)。
頭の端でしていた下らない想像を打ち消して、最後の一節を詠う。
「――I summon thee from another universe in Azathoth' name. Derive and repeat, whole five those!(――我はアザトースの名に於いて無境より素を呼ぶ。出で、そして再来せよ、四躯一心群!)」
唱え終わる瞬間に、指先を指した針からルビーの粒のような血液が指先から零れ、
それが撃鉄となり、
不思議な光を放つ魔法陣の上に落ちた。
それが引き金となった。
魔法陣から通じて私の魔力が奪われる。等価交換の原則によって、身体の火照りが冷水を浴びせられたように失せて、見えない門が開く。
門と言っても視認できるものではなく、ただ『なんとなくそれが開いたかも』と言う憶測にも似た感覚だけだ。
でも、それと同時に人体の自然反応によって目が閉じられる。流素と『門』から呼び出された『霊素』が融合する励起光が超新星の爆発のように放ち、あまりの巨大な質量の出現によって、『轟』と風が唸りを挙げる。同じ霊である魔人の国定はどう見えるのか気になったが、どうせ「普通だ」としか答えないような気もした。
そして、眼を開けると、そこには一人の女の子が居た。
「な、なんと……!」
ちなみに、これは国定の声。
黒絹の髪、白い肌に、桜色の唇。坤のセーラー服。
後ろでまとめた髪の毛を揺らし、
「「どうよ」」
ついでに言うと声もタイミングも同じで、まさしく私に『そっくりだった』。
「「大禁呪一歩手前の秘儀、自己召喚もどきよ」」
口調も被っていた。
「なんて……、まさかドッペルゲンガーとは……」
恐れ戦き、同時に感心するように眼を開いたまま、腕を組んでコクコクと頷いている男の子。
「「自分と同形質の存在を呼び出して、感覚同調、流素で固着させ、使役しているのよ。まぁ、感覚も思考も共有しているから単体としての私を作成しているわけじゃないけどね。異界から自分と同じ存在を引き出す秘儀なんて師父も知らないだろう、私のオリジナルの魔法よ」」
フンとない胸を反らしてみる私。
「魔法使いは自らの魔法は明かさないのではないのか」
「いいのよ、この際、あんたを納得させられれば」
呆れるかと思った国定は、「あれ?」と突然一言言うと『もう一人の私』に近づいた。
「「な、なに?」」
同調した感覚越しに見える国定。
フニ
指先が、禁断の領域を侵蝕していた。
「やはり。うわべの服装だけで中身、もとい『パット』などまでは再現出来ていなかったようだ……な?」
――私はどうやら、唇の形から笑っている事が分かった――
素敵な英国式殺人術の時間。
爪先、拳、拳、肘、膝、投げ、さらに踵!!
次の瞬間、『前後』からの連続攻撃が国定を屠殺した。
好奇心などと持ったが故の蛮行と行為者の抹殺。
胸とか、特に気にしていたのに……このッ、バカッ!
「うーん、今日も天気がいいな……ぁ?」
そんな不可思議空間の中、突然の闖入者。
晴れ渡る夏晴れ、真綿のような入道雲は空高く、日差しはそれでも強い。
その空の下、頭から致死量並みの血を流している少年と、まったく同じ格好と顔の女の子が息をハァハァ言わせながら二人……
私もこの人の名を覚えている。学校にいる、私の知る予言視の魔女の友人。
坤高校の二年生 少し長めのツインテールの可愛い先輩。眞木 愛彩。
「ど」
私の完璧の結界を当然のごとく破って、何を言い出すのかと思えば七音階の最初だ……、って現実逃避している場合ではない。
「「あの?」」
とりあえず、エコーとかユニゾンしながら二人の魔女とそのドッペルちゃん(仮称)で近づく。
すると愛彩先輩は、フッ、と悟ったように、「なんでこんなのばっかりなのかなぁ?」みたいな顔をすると、静かに、無言で戸を閉め、すごい音をたてながら階段を下りていった。
「ど、ドッペルゲンガ――――――――ッ!!」
しかも叫び付き。
あぁ、何だか、二人分泣きたくなってきた。
実際、泣いていた。
* * *
-Side B-
結局、何処をどのように逃げたのか? 先ほど目撃された少女は見つける事が出来なかったようだ。
在姫は「やっぢまったー」とやたら動揺しているが、俺個人としては一人くらいの目撃なら闇から一般社会への支障は少ないかと思われる。
実際、日本には戸上とか言う、あの奇特な作家が恐怖新聞だか、何だかみたいな、人外との交流を事実の体験記として書いているようだが、現状では書籍の売上以上の社会的影響は特捜室では確認してない。まぁ、個人的には、あのような『真実を書き過ぎた作品』は時として『幻想を壊す』。
適度に話を捻じ曲げて美化した方が民話や神話同様に信じられ易く、それらしく映る。
例え、それが話を描かれた本人の意思と、事実とは違っていても……
「……はぁ、もういいや。落ち込むのは止め。ほら、ツィンタワーに着いたよ」
バスから降りて、暗い空気を吐き出した少女はいつもどおりに俺に澄んだ瞳と笑顔を向けた。そうだな、君らしくしていた方が俺も精神的な負担が少ない。
人込みも多いからブツブツと独り言も嫌だ、とごねるので霊体から実体化している俺。むろん、バスから降りた後である。料金が払うのがそんなに嫌なのか?
そして、その手を掴んで、制服の少女が喜び勇んで引っ張る。
本来は制服のままのお遊びはイケナイと俺は個人的に思うが、目前の彼女の格言では無いが、この際どうでもいい事である。
ちなみに今日は黄色いタンクトップの上に、チェックの半袖のTシャツ、バミューダパンツ、バスケットシューズと夏らしく、適当にお子様がお遊びをしていても違和感のない格好にしてみた。
おそらく、この体格からすれば弟か、……まぁ恋人と言う線も有り得るかもしれない。
彼女を見つめる視線の先、夕暮れのビジネス街を統一色の人間が交差する密林の中、その建物はあった。
一歩離れた、田舎の風情からはトコトン離れた工学的な、圧倒的な金属構造体。
正式名称、季堂総合文化ビル、通称は季堂ツィンタワー。六十階建ての地下には関東の都内まで直通の、超電導磁気浮上式リニアモーターカーの実験施設兼、十年後に完成目処の駅。その上の地下六階から十階までは地元の総合デパート『ニャスコ』と対抗する総合店舗群『バットモール』、二十階の途中から二つに分かれて、三十五階までが総合ビジネスビルディングで、三十五階から四十階は大吹き抜けとなり、イベントホールとなっている。四十一階から五十五階までがホテル『黒羊』で、それより上は季堂総合商社、いや、季堂財閥の関係の専用階層となっており、一般人は入る事は叶わない。
「ほら、いつまでエレベーターのボタンを見て、ボーっとしているのさ」
まさかガラス張りのエレベーターとは聞かなかったからだ。そこに意識を集中するしかなかったのだよ。
四階ほどの高さまで吹き抜けのスロープとその横に広がる展示場、その上には豪奢なシャンデリアが吊られている。スロープの途中には大道芸をするピエロやら、バナナの叩き売りなどをしていて訳の分からない状況だし、シャンデリアが落ちてきたら大変だろうな、なんて下らない戯言を考えながら壁際を伝いつつ、俺は在姫の手に曳かれている。
「今は五時だから待ち合わせの時間までは余裕があるな。で、何処を見たいんだ?」
エレベーターの横に備え付けられた無料のパンフレット。それを片手に、立ち止まって眺め始めた在姫は悩んでいた。
本当は護衛をする立場上、目立つ所への外出は避けたかったがこの際は仕方がない。いや、むしろ、人目があるのは好都合かもしれない。魔術師など、この世の理の外に身を置く者達はその性質上、その姿を世間に見せたがらない。世間から、いや、より多くの人々の常識から駆逐されないために、隠遁と沈黙と言う殻を被るのだ。いくら、魔女の心臓を求めて派手に動くと言っても、人目がある以上、派手な動きはしないだろう。
「そうだねぇ。植物ブースはさっきチラリと見たけど、目ぼしそうなのはなかったから……」
目ぼしい、って、『天然記念物を買うつもりだった』のか? 何を考えているんだ、この魔女は……
「あ、日本の歴史展でも見に行かない? 交霊武装の参考になるかも知れないし、ね?」
結局は本職(魔女)と一緒くたになるのだな、と口の先で止めておいて同意した。
「在姫、やっぱり……、止めにしないか?」
「えっ、何で? さっきまで喜び勇んでいたのにどうしたの?」
訝しがるように眉根を潜める在姫に、俺は「別に喜び勇んではいないが……」と淡々と続けた。
「事情が変わったんだ」
今回の展示物の内容は『――歴史の影に隠れた民、日本の鬼・展――』と掲げられている。
「 ? なーに、もしかして鬼が怖いの? 高所恐怖症で、さらに鬼恐怖症なんて冴えない男ねー」
誰の物真似かは知らないが眼を『ー』の形にしているのはやたら腹が立つ。
「別に鬼が怖い訳ではない。率直に言って『嫌い』なだけだ。一言言っておくが対鬼戦闘は俺の特技の一つだぞ」
人から離れた存在、それでありながら意思を持ち、身体を持ち、人と拮抗しようとしていた者達。鬼。
社会不適合者でありながら同類で群れる者ども。孤立しながらの集合体。
彼らだけの持つ楽園。そう、『 楽園 』。
俺の全てが、『 それ 』を、否定する。
脳ですら忘れた記憶でも、身体への拒否感として残っているのだろうか?
楽園なんて……
「嫌いなだけだったら、別に見てもいいでしょ?」
どうやら我侭魔女はどうしても行きたいらしい。
「分ぁった。分ぁった。そこまで言うならお供しますよ。いざ、鬼ヶ島に……」
両手を掲げて、降参ポーズの俺を再び、魔女は引っ張って行く。乱暴だ。
……それにしても、男性経験の無いと自称する在姫の小さな手を俺みたいな穢れた【魔人】が、触って良いものか。
俺は真剣に、悩んだ……
* * *
-Side C-
ツィンタワー地下二階 駐車場。そこには一台の、サイドドアが羽の如く上に向かって広がるガルウィングで有名な、黒のランボルギーニ・ディアブロGTが鎮座していた。八十台限定のはずの高級車だが、そんな事よりも中に乗っている面子の顔ぶれは、その違和感よりも遥かに異常だった。
助手席には全身を、口、鼻をを含めた頭部すらも黒タイツのようなモノで包んでいる、痩せ過ぎの男が座っていた。タイツのように見えるが、絹のそれよりも遥かに頑丈な繊維で出来ている事は不気味な光沢から想起される。ゴーグル状のサングラスはピタリと、眼球を密閉するかのように嵌め込まれている。男はそのタイツ越しの口辺りから、葉巻の紫煙を吸い上げ、肺に満たし、首を横に一定のリズムで気味悪く動かしている。年齢は不詳としか言い様が無い。ノッペリとして顔の無い状態にほぼ近い、低い鼻から紫煙が首に揺られて出るのは中々シュールである。
その肝心の運転席には、持ち主であるにも関わらず、その席に窮屈そうに押し込む三十代の男がいた。地味な長袖のTシャツにジーパンはLL、いやそれ以上のサイズである服のはずだが、その殆どが収めるのに苦労しそうな程の肉体である。男は、頬を揺らしながら、美味しそうにドロップをしゃぶっている。百七十cmほどだが、体重は百kgなどとっくのとうに越しているだろう。その証拠に車が横斜めに異様に傾いていたし、腹筋に力を入れたらハンドルが潰れてクラクションが鳴ってしまい、下手すればエアバックが作動しそうだ。
「……時間では、ないだろうか?」
その風体からは想像も出来ないような張りのあるバリトンヴォイスが運転席の男に渡される。明瞭な音は感極まって舞台男優か、堂々とした識者とも思われる。男はそのどちらにもなれたが、今はどちらでもなる事はなく、ただのイカれた魔術師である。
「そ、そ、そうですね」
オドオドとその身を揺らすのは何とも頼り無さげな男だ。が、誰も魔術師だと言っても信じなさそうなのも、ある意味美点かもしれない。
「本当に……、するんですか?」
豊満な男の気弱な声に、痩せた男はギラリと、先ほどの穏やかな調子とは一変させて睨んだ。その瞬間に「ひぃ」と声を上げてドロップをゴクリと喉に滑り込ませて、男の身体が折りたたまれる。その様子は窮屈さすら通り越して、圧殺されながらもシートに無理やり沈みこんでいた。ビビり過ぎである。
「オイ、デブ。私が貴様に価値を見出したのはその『技術』についてだ。分かるな? その為にも休養中の亡霊などと言う『非科学的な者』まで連れてきたのだ。それは絶対的な、勝利の確信があって初めて出来た覚悟なのだ。貴様の染みっ垂れた『周りに迷惑を掛けないなどと言う』道徳なんぞは私の真理探究の道にはないんだよ? いいかね? 理解したかね? 君の脳に刷り込まれたかね? Do you understand ?」
「い、いぇす」
鼻から抜けるような弱い声。
自分への同意に満足のいった男は『二重人格』のように穏やかな、タイツ越しから分かる笑みを浮かべ直した。
「では、時刻が来たら予定通りに私の『手持ちの駒』と『亡霊』で事を運ぶ。では、君は、今から、君の事を成すために行くんだ」
『手持ちの駒』と言ったところで、その隣の明らかに不審な白いワゴンを見る。
そのワゴンには遮光フィルムが貼られ、車内の様子は分からないが、複数の人間が、否、生物が蠢いて居るのが見て取れた。
「…………」
「納得が行かないようだな? 君が上手くいけば、『妹さん』と鉢合わせする事もないはずだが、魔女狩りを、失敗したいのかね?」
ん? と自らの意見の正当性を主張するかのように言の葉を連ねる。
ランボルギーニの扉が羽のように開くと、車体を大きく揺らしながら運転席の男が身体を引きずり出して出る。
男は申し訳なさそうにランボルギーニを愛でていると、フロントガラス側から助手席の男がエレベーターに向かって指を差した。
男は頷いて、その身体を揺らしながらエレベーターに向かう。
男は途中、チラリと後方を振り返ったが、痩せすぎた男が助手席のダッシュボードをドンドンと叩いて促す。
男は溜息をついた口に新しいドロップを含む。
コロリと舌と歯に挟まれるドロップ。
ちょうどよく着たエレベーターに乗り込むと、絞首台に立った死刑囚のように顔を伏せた。
ドアが閉まった……
* * *
>>-Side A- 在姫視点へ続く。