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03.黒縄 (こくじょう)

 月が夜闇にただ一つ。


 そして、小さな魔女は魔人と出遭う。


 今、イカれた夜が再び降りる……

 七月 二十日


 遠くで奏でる鐘の音。それは終わりを明確に示しながら、私からは程遠いところに位置していた。

 鐘の音の終わりと同時に、今度は体の微震。誰かは分からないが私の身体を揺さぶっているみたいだ。

 もう少し、この心地よい体感を続けていたいのだから、暫くそのままにして欲しい。

 一昨日よりイギリスから帰省した師父(マスター)によって新しい理論に関する講義が続いている。そのせいか普段の睡眠時間をゴッソリ削られて、こっちは何とも言えないほど、眠いのだ。眠りは至福だ。天の恵みだ。天の国は来た。ただどうでもいい事だが、寝る子は育つと言うのは最近になって嘘だと言うのが分かった。とにかく幾ら寝ても、大きくならないものは大きくならないのだ! 何しろ【実体験】に基づいているのだから。そうか、子供だけが入れるから天国なのかしら? 悟りが開けそうだ。


「……きろ、……くぬき。そろそろ起きたまえ、ありひめ。九貫 在姫(くぬき ありひめ)。目覚めの時が来た」

「――煩い、私、寝てる」


 その私の天国を奪うのは目の前にいる、高校の学友である斐川 常寵(ひかわ じょうちょう)と言う女性だ。彼女は私の拒否権を無視して容赦無く揺さぶり続ける。まったく、私から眠りを取り上げるなど、拷問による虚偽の自白を通り越して、それどころか陪審員買収による無実無根の有罪判決だ。私刑を通り越して虐殺だ。民族浄化運動だ。地球破壊活動だ。やばっ、人類滅亡の危機? 銀河系が交差する?

 いくらジョウチョーが綺麗だからって許される罪ではない。その罪に、ささやかな反逆をする。

「私、もっと寝る」

 拒否権再発動。自由市民の力を思い知れ。そして世界は救われた。

「……ふむ、垂涎の上、君が学び舎で惰眠を貪る事は私は一向に構わないが……、既に用務員の方が施錠する時刻だ。直ちに下校をして、残りの睡眠時間は快適な自宅で存分に浪費したまえ」

「なぬ?」


 ――その言の葉で重たい瞼を開けてみれば、夕暮れが教室を薄い橙色に染めていた。橙色より赤に近づいていく教室だが、冷房の効いていない、外の初夏の気温を考えると思わずゾッとしてしまう。また今夜も寝苦しくてもっと寝れなくなるのかなぁと思うと、少々鬱になりそうだ。最近、変な夢も見ているし、疲れているのかな?

 顎が外れそうで外れない欠伸と縦方向への伸び、パキパキと胸椎の関節が鳴る音が妙な心地よさを引き起こす。同時に、ところてんだった脳みそが皺を取り戻して本来の思考回路を呼び戻した。机に座って突っ伏したまま寝るとは、最近疲れがドッと押し寄せているのだろう。

 私の机の隣りに片膝を立てて(勿論下着は見えていない角度で)、机の上で本を読む長髪眼鏡の文学美少女。その美少女、ジョウチョーの長く、黒い髪は腰まで伸びている。指を髪に差し入れ、その流れに沿えば、きっとその白い肌と相余って清流のように感じるであろう。銀縁眼鏡越しの切れ長の灰色にも見える瞳は、ただ真っ直ぐと何かを見透かすようでいて、初対面のそう言ったものに慣れない人は畏怖に似た感情を抱かせるだろう。この年頃の女性としては平均的な身長のはずだが、手足が外人か何かのように日本人の平均よりも長いため、スラリと高い印象を受ける。しかし、こう表現をすると彼女の場合はかわいいと言うより凛々しいと感じるだろう。実際、容貌の雰囲気は美男子に程近いが(その豊満な胸囲、いや、脅威を除いて)、それでも女性らしい繊細さと愛らしさも同居している。だから、笑うと可愛いのだ、本当に、ズルイくらいに。

 ちなみに私の場合は、身長が平均よりも大幅に低い上に童顔である。胸もあるかないかと言われれば、……まぁ、まったく無いに等しいだろう。唯一、彼女に対抗出来るとしたら同じ位の長さを持つ黒髪くらいのものだ。おかげでジョウチョーと比較して、私を眺める男子は物珍しさのお陰だろうか? やたら多いのが悩みだ。あぁ、もっと背が高くなりたいです……

「で、何で私を早く起こさなかったのさ」

 自分でも驚くほど、ムスッとした声色だった。

 でもそれも当然だ。今日は本当ならば早く家に帰って、家政婦も雇いたくなるくらい無駄に広い自宅を掃除したりしなくてはいけなかったのだ。しかも加えて洗濯と食事と買い物などなど、平均の高校生に比べれば遥かに忙しい中で、更に一人暮らしで色々と事情のある私はトビっきり忙しいのだ。はぁ、何処かに掃除洗濯食膳をロハでやってくれるような奇特な人間はいないのかなぁ……?

 とにかく、スティック状のスナック菓子、ポッチーのストロベリー味をパクつきながら、理不尽にも私の眠りを覚まさせたジョウチョーに文句を言い立てた。本から眼を離さないところが余計に苛立ちを煽る。

「――本の中には、それを読んで学ぶためでなく、著者が何かを知っていたと言う事を我々に知らせるために書かれたと思われるような本がある。ふむ、格言と反省より」

 革のブックカバー付きの本を閉じて、しばらく浸るように眼を閉じ、それからこちらを見据えた。まるで面白いものを見るかのように。

「……有無、やっと元の口調に戻ったな。先ほどの問いに対する回答は至極簡単だ。君が下校時刻ギリギリまで起きなかったという客観的事実だけだ。以上、証明終了」

「ムッ」

 色々と一言言いたいが黙っておこう。これ以上事態を拗れさせるのもなんだし。

「で、ジョウチョーはこんなところで何をしていたのさ」

「眠り姫の目覚めを待ちながらの読書だ。なぁに、詩文を愛でていれば、他愛も無く時間は消費されていくものだ」

 白魚のような手とはよく言ったもの、生きたビスクドールが交配して出来たような白皙の片手にはゲーテの作品、それも原文のヴァージョンが収められている。つまり、日本語ではなくドイツ語だ。彼女曰く、戸上と言う、あの作家だかフリーライターだかすら分からないあのインチキ文芸男を真似て多言語に精通しようとしているとの事だ。私個人としては、あの男はただの嘘吐きだけにしか思えないけど……

「で、まさかゲーテ(愛の詩人)だから愛でているんですか?」

「まさか、私は詩文を等しく愛する人間だよ。この世で面白くない本など無いからね。加えて君の可愛らしい寝顔を肴にすればページも中々運びが良い、ふふっ」

 もしかして最近、長編伝奇モノでも読んだのだろうか? それよりも、自分より絵面的に格下の女の子を褒めるのはとても良くない事だと思う。ひどい屈辱だ。

「まったく、校内の運動テスト二位が薄暗い文学じゃぁ、体育課の先生方が挙って泣くのは当然だよね。教室で根暗に本読んでないで、若者らしく外を爽やかに笑いながら走って青春でもしなさいな」

 目の前の彼女は見た目どおりのの知性の高さに比類して、運動能力も極めて高い。太極拳とか、八極拳とか、そう言う中国拳法の類を親類から習っているらしい。ちなみに実力の程は言うと、


 街角で転んで何処かの誰かが頭突きを『その身長』故に、たまたま道の反対を歩いていたチンピラの一人の下腹部、の更に下に食らわして、弁解に対して逆ギレさせてしまったチンピラ五人組の内三人を、『頭突きをしてしまった方の連れだから』と言う理由と暇つぶしの戯れで正当防衛の範囲でボコボコにするくらいは強い。

 ちなみに残りの二人は頭部に変なものを押し付けた罪務超過の返上なので左ハイキックと右ストレートで本人が責任を持って始末したらしい(本人談)。


「君、突然笑いながら外を走りだしたら、しばらくは白い部屋での生活を余儀なくされそうな気がするが……。ところで、私は文学部と言う団体に属して君の望むところの『青春的に』時間を有意義に消化しているが、帰宅部の、先日の期末考査が一位だった君はどう思うかね?」

「帰宅部で有る事に別に問題はないでしょ? 私は私で勉強したり、趣味の範囲何だりで有意義に過ごしているし」

 すると顎に手を当ててジョウチョーは「なるほど、個人の満足の問題か」と素直に頷いた。うーん、この女にはこう言うカッコイイ動作が似合う。可愛いだけじゃない女っていいですねぇ。でも、その煙草に見立てたようなスナック菓子がピンクのストロベリーじゃなくて黒の『ビター』だったら及第点なんだけどな……。

「ところで君も食べるかね?」

 またしても煙草のように、箱から振って差し出す一本のピンク色のポッチー。

「あー、ゴメン。あたし、甘いのは一ヶ月に一度で良いわ」

「あぁ、君は確かそう言う習慣だったな。……さて、ところで君は帰宅するのかな? それとも一泊して我が(ひつじさる)高校の『八不思議』でも体験するかね?」

 机から飛び降りて、意地悪そうに口の端を歪めながらジョウチョーは言った。その笑みだけで長編悪漢小説の主役を十分張れるだけの度量を見せつけられる、と私が困る。

「……結構よ。それって確か、卒業生のトガミって人とサナキって先輩が全部見たって話しでしょ?」

「らしいな。だが、一見の価値ある摩訶不思議体験だと思うぞ?」

「結構よ。不思議体験なんてしたくないから。人生でそれなりの体験するには、人にはそれ相応の力が必要なの」

 私は通学鞄に机から教科書と写本を詰めながら手をヒラヒラと振って返す。

 それに、それなりの経験は自分の分で十分間に合っているし。

「そうだろうか? 恐怖の一夜が明けた後、その安堵と共に湧き出る陽光との迎合。それは意味があると思うのだがな」

「はぁ、私は三連休を昼夜問わずに暫く、グッスリ寝て過ごしたいな」

「怠惰だな。結構結構。発展の絶頂は堕落と同義。君は感覚の頂点を極めて至極であろうね」

「アー、ゴメン。意味が全然分かんない」

「当然だ。瞬弁の戯言ごときで神域たる心象表現と情景描写が周知となるのは文壇の偉人、文学界のテスラと呼ばれる七歩御大(おんたい)の至芸のみ、私などは足元にも及ばない、まったく」

 助長過ぎたか、クッ、と己を食い入るように早口言葉のような台詞を吐くジョウチョーさん。まぁ、堕落の頂点を極めたのだろうと邪推しているのは何と無く分かるが流した。てか、テスラって偉人というより変人だったような気がするのだけど……

「あー、はいはい。もぅ適当に文学していて」

「雅に欠けるな」

「 ウ ル サ イ 」

(たわごと)を真に受けるでない」

 欠伸と伸びを再び同時に行って、ジョウチョーが栞と本、そして独日辞書をしまうのを待って、短い歩幅で帰路に着く。

 斐川 常寵は学校での私にとって唯一、友人とも言える人間だ。思慮深く、無遠慮でありながら引き際を得ている。他人との深い係わり合いをゴメン被りたい。若干人との関わりを拒絶気味な私としては理想の友人である。別に彼女とは深く関わっても問題ないのだが『安全面を考慮すると』この学校だけに留まった関係は非常に都合がいいのだ。彼女もそれを感じ取っているのか? 私との距離を理性的に感じ取ってそこから先に踏み込もうとはしない。学校での行動を共にしたり、休日に買い物を連れたり、連れられたりはしても、互いの家族関係や普段は何をしているのかなどは自分から話さない限りは聞く事はない。そして、未だ聞いたことも話したこともない。

「つかぬ事を伺うが、君は文学に興味は無いのか?」

 何事も無く、その夕日を背に影の長さを比べるように二人で歩いていると、ふと思い出すようにジョウチョーは言った。

「んー、特には無いかな?」

 私は自分の性格上、実用的、あるいは即物的とも言える『意味のある文章』以外はあまり読まない。学校の勉強の成果もその自分の主義と目的を進んで学んだ上での、結果的な副産物みたいなものである。

「だが、君は確か、聖王小鍵典(レメゲトン)やら死霊祭記(ネクロノミコン)緑黄石碑(エメラルドタブレット)に類する、出自の如何わしい文書や月刊レムリアのようなオカルト系カストリ雑誌を愛読していたのを記憶しているのだが?」

 カストリ雑誌……って、一体何時の時代の話をしているのよ?

 ちなみにカストリは、戦後に流行った安物焼酎の別称、カストリのように早く酔う、早く堕ちる酒。つまり早く廃刊になりそうな雑誌を指す。んー、何だかかんだであぁ言うのも意外に愛読者は多いんだけどなぁ……

「そうかな? 変わってる?」

「あぁ。私の知る限り、実用主義の君とは思えないような行動だと感じる。二年の先輩にあたる『 魔女 』と呼ばれる千塚屋某。彼女とよく似通った趣味だな。私も、それが書店などで買えるような邦訳を施されたコピーモノであるのなら趣味の範疇と思えるがな。しかし、時代掛かった革張りの絶版本などは、本好きの私から見ればこれから本気で『魔術』を習得するようにしか見えないな」

 射抜くようにも見える、鋭い視線。まるで魂の内から見透かされるような、眼鏡のガラスが照り返す白銀色……

「…………そんな風に、見えるかな?」

 私は軽口を叩くように張り詰めた首筋を緩めながら年相応らしく微笑んだ。だが少し納得はいかないように、私は眉根を潜めていたかもしれない。何故なら彼女は私の分野からすれば素人らしい、致命的な間違いを犯したからだ。

「私の目にはな」

「そうかな? 私からは節穴のように見えるね」

「節があるなら竹か。私を二級品扱いとは良い度胸だな」

 何を言っているのやら……、あぁ、そうか。

「松竹梅のこと? でも松の眼って目にやたらとごみとか『やに』が付きそうで見た目上不衛生だけど?」

「察しの通りだ。私も竹よりむしろ可憐な梅の方が好ましい。ところで、君は信じてないようだが、私は本気を出すと咲き乱れる梅の花より凄いぞ?」

「眼鏡を取るとステータスアップとか?」

 眼鏡を取ると美少女。いや、もう十分なのでこれ以上のヴィジュアルのヴァージョンアップは止めてください、ホントに。

「……君は、本当に勘がいいな。概ねその通りだ。有無、……それでは、私はここまでだ」

 彼女は学校の近所に住んでいるため、電車通いの私とはこの五つの道の重なる五十字路での別れる事となる。


「――ところで帰り道は気をつけたまえ」

「何を?」

 ジョウチョーは対戦後の格闘ゲームの勝ち手のように背中を見せながら、こちらに顔を向けている。あんた、カッコ良過ぎ。

「最近通り魔が横行しているとの事だ。我が町の新聞の地方欄では全身を細切れに切られ、『心臓の抉られた』死体が昨日を持って四人目、だそうだ。人間とは思えない怪力で巨大な剣を振るっていた甲冑の剣士と巨大な槍を持った背の高い男を見かけたなど、色々な噂や憶測も飛び交っている」

 気をつけ給え、と食事中に塩を掛けるぐらいの気軽さで、至極物騒な一言の後に添える。

「最近は不可解な事が多い。猫を頭に乗せた自称美少女吸血鬼や、ツィンタワーを這う蜘蛛女とビルを這う黒服の男の話、『本気狩る(マジカル)』などとほざく奇怪面妖な輩は序の口だ。断層とは関係の無いところでの地震騒ぎや、ゾンビの集団、幽霊の群体。街中にチーターが出て人を襲い、それをパンダが取り押さえるとか……、とにかくこの町は不思議な事が多いのだ」

「……ふーん、まぁ、ジョウチョーも怪異には気をつけて」

「ふっ、腕にだけ覚えならある程度はあるし、分別もある。それでは、また明日に」

 背中向きのまま、シュタッと、片手を上げ、夕日を背景に艶やかな腰までの髪を揺らしながら彼女は赤に消えていく。


 彼女は襲われる心配は無い……。襲われた四人、四人は四人とも『魔女』だったのだ。

私あてにも別途、魔女協会、通称サバトからも既に厳戒令が通達されている。



 遅くなったが、九貫 在姫は【魔女】である。



 アブラカダブラだろうが、テクマクマヤコンだか、チチンプイプイだか、パイポィポイプゥワプゥワプゥだか、エロイムエッサイムだろうが、とにかく【呪文】を唱え、己の力で自己の内面を変革して行使する術を持つ者を【魔法使い】と呼ぶ。その中でも、代々その血脈を伝えている存在を古来より【魔女】と呼ぶのだ。

 【霊気装甲】と呼ばれる、体内に含まれる微妙なソレを血管に通して体内中に流し、呪文と共にイメージと結びつけて神秘を起こす術を、私たち魔女の間では【魔法】と呼び、魔法を使うために専用に濾過した力を【魔力】と呼ぶ。【魔法】は【魔術】とはまったく別の類別とされるのだ。


 プラットホーム、とも言えないほど寂れた風景をバックに、私は駅のベンチに腰を掛け特殊な象形文字を組み合わせた本を読み耽始める。

 一見アラビア文字にしか見えないミミズののたくったような曲線の羅列は、協会の所属者のみに伝わる魔法継承の為の呪文集でありエノク語で表記されている。まぁ、教会の御人達は頑なに神の言語と信じられているけど、これはどちらかと言う『この世界以外の神』から伝えられたものなのだ。ちなみにイメージとしてはサンスクリット語とギリシャ語とアラビア語をごった煮にしたような感じである。

 むろん、書いてある呪文全てを私は使えるワケではない。私の魔力と能力の許容量を満たし、尚且つ『身体に刻まれた』術しか使う事は出来ないのだ。

 身体に刻まれたと言うのは『記憶』よりも明確な段階を示す指標に過ぎない、私たち魔女は呪文としての言葉の記憶よりも確かに、そこに『魔法』が『ある』ことを体が知っているのだ。

 そう、魔法を覚えるのには何よりも反復反射、神経単位、脳でなく、体が憶える段階まで到達させるのが『魔法を使う』と言う行為なのだ。

 まれに言葉の意味を理解するだけで【言霊】の位相世界から認識空間を操る魔法使いも存在する。だが、手馴れた使い手は協会には所属せず、十年ほど前に亡くなったらしい。協会の調べでは最近、私の学校にその孫が転校生として一人来たらしい。だが一つの魔法と魔術的結界作用、エリクサーの作成程度しか出来ないと言う体たらくのため、私の中では『並以下』の魔女として記憶されている。ちなみにそれは先ほど出た千塚屋と言う者の名である。むろん、それが本当の実力かどうかはあてにはならないけれど。

 ちなみに私は慧埜句(エノク)語から直接呪文を使う事が出来ないので、私はエノク語に遠くて、それでも私の知る中で一番近い英語に意識上の変換をして使用している。本当は大陸セム系の言語を使った方がもっと効率がいいのだけど、梵字をそらで言えたり、ギリシャ語をペラペラに喋ったり、アラビア語の交渉が出来るようぐらいがないとそれは難しい。バスク語も裸足で逃げ出す言語が修得出来そうなのは……、知っている限りでは小説家でとりあえず一人だけ居るが、あまり会いたくない知り合いだ。つまるところ、私は慧埜句語は修得していないのだ。と言うか、言い回しが難しすぎるので、慧埜句語のネイティブは世界でも名前をフルネームで覚えられるくらいしか使用者はいないはずだ。


 まぁ、とにかく……

 歯で指先を食い破り、そこから一滴血を落とし、体の奥底から、呼び出すように唱歌する。


「I summon one from blaze universe in Nodence' name……Derive(我はノーデンスの名に於いて炎界より素を呼ぶ……出でよ)」

 誰も居ない駅。帰り道、長い電車待ちを潰すのに、魔法を覚えるのにはこの場所はちょうどいい具合なのだ、個人的には。

 無論、自分の周囲には結界魔術が敷いてある。この本が開いている間、私の姿を見ていようと、『本を読んでいる』と言う行為しか認識されないため、普通の人は見過ごしてしまう。まれに先天的、または後天的に【魔眼】と呼ばれるモノを生得、会得した者は『看破』することもあるが、とりあえず、自分の結界を魔眼で破られて、視線に曝されれば、流石に私には分かる。


 人にはそれぞれ得意な分野と言うものがある。それは四大霊素と空霊素のような【要素】を単体で直接干渉することが得意だとか、何かを混合するのが得意だとか、予言が得意とか言った【傾向】がある。だが【全要素保持者(オールキャリバー)】と呼ばれる全要素、火、水、風、土、空を網羅しているのであれば、普通なら自分と関係する要素にしか気付きにくい外界の、体外の魔力の揺らぎすら単純な業くらいなら感知できる。ちなみに私はその全保持者、それなのだが、何でも出来ると言う事は何でも手を伸ばして、全体的に底上げしなければならないと言う事で……。つまり才能あふれる器用富豪の気があるのだ。ついでに言うとやたら高い呪術的物品を取引する普通の魔女より大幅に金銭的に余裕がない。……本当は、本来の意味ではない器用貧乏ではないか、と思うのはただの愚痴である。

 とにかく、才能のある人間はただでさえ学ぶ範囲が多いのだ。日常生活を言い訳に足踏みしているなどは、魔女として言い訳にもならないのだ。

 ただでさえ、直接攻撃の苦手な私は火の要素を高めないと私の身体、の霊気装甲を狙う盟約無視の外国人ヘンタイ吸血鬼やらの敵対者を撃退するのが難しくなるのだ。ちなみ、どこぞのゲームでは無いが、火には神秘としての側面で、浄化、浄火の力があるために、物体を破壊したりするような力に長けているのである。面倒だからいつかはメラとかファイガとか言うだけで発動させたい。


「Derive……Efreeti、Psalamander(出でよ……火素霊、火竜)」

 目の前では、私のイメージの、焔の鋳型を備えて形作られた流素(エーテル)がある。そして開かれた見えない【異界門】から出た【火素霊】が反応して、魂がその鋳型に個着し、私の血を元に現世に固着。つまりイメージとおりに形作られる。もちろん、それは水素と酸素の反応と同じくらいの短い単位での瞬間の出来事だ。

 その瞬間は爆発にも似た生命の発露。言わば、爆誕。圧倒するような七色にして極彩色の奔流が視界を埋める。

 まぁ、流素なんて常人の視力じゃ感知できないから、情報量の過多による視力の破壊を防ぐために肉体が自然と目を瞑ってしまう。だから、僅かに見える色は自分の(まぶた)越しだけど。

 爆誕後、目の前には魔眼のあるモノで私の結界を突破できるのであれば、見えるであろう、巨大な火竜がいた。

「Gruhhhhhhhh……」

 やはり、火素霊の上級幻獣、火竜だけあってその攻撃的な存在は圧巻かつ圧倒的である。その地の底から湧き出るような、厳しい鳴声を挙げている。

 ……って、私は何をやっているのだ。真夏に火素霊を呼び出しても暑苦しいだけじゃない!

「Return(回帰)!」

「Gruhh……」

 気紛れで呼び出された事に対する不服を下がり調子で主張しつつ、さらさらと光の粒子となって自らの幻素界に帰っていく火竜。


 と、このように自らの霊気装甲を応用する事で出来るのが、一定の呪文からのイメージによって何かの結果を呼び出す魔法である。他にも体内と体外の霊気装甲を組み合わせて超常的な体術を為す【気功法】やら、触媒と儀式装置の共感作用によって行なう【呪術】、愛と勇気と乙女の貞操を自覚する思い込みで起動させる【本気狩る(マジカル)】なんて冗談みたいな方式やらがある。一体そんな方法を考えたのは何処の天才一歩手前(大馬鹿者)だろうか? とにかく、一般的に神秘との関わりの無い人からは想像も及ばないほど、神秘を起こす体系は無数に存在するのだ。

 ちなみに私の魔法である、歴史や想念を備えた概念の側面から事象を呼び込む魔法を召喚術などと霊気工学と呼ばれる体系で専門的に言う。

 もっと簡単に、そして乱暴に言うと、その世界の神様にムリヤリ「こっちに元になる身体(流素)(魔力)も、来るための()も用意したから部下(素霊)を送ってー」と異界に向かってアポ(呪文)を取って呼び寄せるものなのだ。そしてイメージ通りの部下、もとい素霊、魔獣やら聖獣やら神獣などを送ってもらうのだ。無論、キチンとした長いアポ、もとい呪文や儀式であれば成功率は高まるし、省略すれば失敗しやすくなる。それでも上手い人だと火竜のような(マイナードラゴン)でなく、人並みの意思を持った(グレートドラゴン)やら、麒麟のような幻想動物、そしてあの魔人をも容易く一言で呼んでしまうらしい。その辺りまでいくとキャリアの差だから、私が後プラス十年くらいの年月が必要なはずだ。

 それでも『召喚術士(サモナー)』の在姫は、私の通り名のようなものだ。他にも協会では竜巻百殺だの、矮躯撲殺天使とか、マイ・シスなんとかなど、怖気や怒りを覚えるような不名誉なあだ名もあるが、早急に忘れたい。


 ところで、先ほどジョウチョーの間違えた【魔法】と【魔術】は根本的に違う。

 魔法は体内の霊気装甲を使う、つまり一定の才能が必要なモノだが、魔術は『体外』、自然の『石』や『樹木』などの霊気装甲を正しく、理論的に使えば誰でも出来るものなのだ。言わば、才能を扱う芸術家と積み上げた技術を使う職人みたいな差なのだろう。

 そして死を賭してまで魔女、いや、この世で神秘を探求する全ての者が求めるは唯一絶対の神秘獲得。つまり、極端の極端、異端の異端、【大禁呪】を身に刻むためである。

 【大禁呪】は不老不死だったり、世界を思うがままに操ったり、巨大な惑星の軌道をズラしたり、何百年も前に死んだ人間を生き返らせたり、神や一つの宇宙を創り出したりするような、同じ神秘の範疇でもスケールがトコトン違う世界なのだ。それでも無論、そんなチートは霊気装甲が力を使い果たして空になるまでと言う制約はあるのだけれど。

 とにかく勉学。その実、つまり魔法使いは神秘と言う観点に立っただけの、普通の科学者や研究者と変わらないのだ。つまり、私は探求者なのである。

 よく学び、よく遊べ、いや、よく魔法を使え、だったか?


 私を育てた義理の母。

 今は亡き、一代限りの魔法使いでありながら、今まで代々の協会長の魔女である待崎家を含めて五人だけが連ねた、魔女の最極位、大元級(イプシシマスクラス)にあったアノ人。

 大師(グレートマスター)アーキ・オリアクス・ゲヘン・ユキ・バシレイオス、人型核地雷、古い隠者、黒い魔法使いなどと呼ばれた人の格言だった気がする。


 と、一人で基礎的な事柄などを一秒弱で頭の中で反芻し、視線を本に戻した瞬間、それは聞こえた。



 列車の警笛。

 駅の時計は四時五分……

 ……おかしい、この時間に止まる列車は存在しないはずだ。いや、正確には存在してはイケナイのだ。

 いや、もっとおかしいのは時間だ。私は下校時間に学校を出たはずだ。なら、全ての時の刻みは『七時以降』になっていなければいけないはずなのだ。まるで、時を戻した、いや、その時間に止めていたような列車。


 神南町七不思議。

 地獄へ続く霊界の列車。そう、四時五分に止まる、いや四時五分に『時間を止める』列車はそう呼ばれている。


 列車は至って普通の列車と変わらない。違うとすれば、何処からともなくこの静寂を持ち込み、暑さすら忘れ、周囲に冷気を帯びさせる異様な雰囲気だ。

 てか、学校じゃなくて、町の七不思議に出会ってしまう私は我なが異才を放つようだ。


[怪異と怪異は恋するように惹かれ遇う。いやぁ、す・て・き(星マーク) by 大師 ユキちゃん]

 そんな嫌な格言も思い出した。


 そして、気付けば、辺りは人だらけだった。

 自らの取れた首を持った男性。青白い顔をした眼窩の奥のない少女。全身を刻まれ、今だ血を垂れ流す女性。切断された下半身を右手で掴み、左手で白線まで這いずる少年、他にも、他にも、他にも、他にも、他にも、他にも、他にも、他にも……

 否、気付けば、辺りは幽霊だらけだった。

 魔女であるからには降霊儀式で幽霊の一つや二つを呼び出した事は何度かある。だが、これほどまで局地的に霊体が集中するのはおかしい。異常だ。まるで思念、いや死人が集める無念の屍念のようなものだ。

 故に、私は一歩も動く事は出来なかった。

 一つ思う事が、魔術結界が霊体にも有効でよかったと、安堵にも似た感情。そう思ったことだけだった。あんな死んで虚ろなで濁った眼で見られた日には食欲が減退して、夕食の御飯のおかわりが四杯から三杯に減ってしまう。

 霊たちは私に構う事なく、それぞれが思い思いに移動、あるいは転がったりしながら車両のドアから乗っていく。通り抜けたりはしない所は意外とおちゃめだと感じてしまう。

 そして幽霊が乗り終わり、警笛が再び鳴ると同時に、ドアからソイツは出てきた。

「え……?」

 頭から多量の紅を流しつづける黒髪、短髪の巨体の青年。顔までベッタリと真っ赤に染めながら私の前まで来ると、

「……か……り?」

 と何かを私から見つけるように、見ながらそう言って、そのままうつぶせに倒れた。

 ドアは彼の倒れると同時に再び警笛を鳴らして閉まった。

 そのまま線路の半ばで霞みの如く霧散していく列車……

 沈黙の統治は青年の呻き声で崩れた。

「ちょっ!」

 何々? 何々?! どうすれば良いの!? って、落ち着けって! あぁ、しまった! 空中に一人で突っ込んでる。

 深呼吸。今度は魔女として、研究者の如く、冷静に観察する。

 頭部の側面に裂傷、頭皮が打ち破れ、耳が裂け掛けている。

 鋭い刃物ではなく鈍器のようなモノがぶつかったように見える。頭蓋骨も割れて、ちょっと暫くは鍋物、特に白子とか食べたく無くなるようなモノがちょっと見えている。

 傍から見れば死んでいるようにしか見えないが、それでも彼は、荒く、不規則にも呼吸を繰り返していた。

 それにしても……

「デクノ坊だよね、コレ」

 百四十五ちょい……、以下の私が、二人で縦に並んでも大きいのでは無いかと思うほどのデカイ体だ。

 それに加えて、肉食獣の幼年期のように獰猛さと愛着性を発揮した不思議な顔だ。

 ジョウチョーが以前言っていた、燕頷虎頸の風貌とでも言った感じだ(説明を聞いてもまったくどんな風貌かは見当もつかなかったが)。

「失礼しまーす」

 脳の異常を確かめるのには瞳孔を見るのが簡単なのだ。と言うわけで、瞼をグイッと押し上げる。言い方が何処かの風俗嬢みたいだと思ったが、一ナノ秒で思考から打ち消した。



  ――世界が終わった。

 壊れる。全てが壊れる。しかも壊れて、また歪に改築される。壊れる。無限の円環。円環の理、狂え、繰る絵、それを見て、観て、ひたすら狂え――



 ……あれ? 今、私は何を見ていたのだろう。一瞬だけ、何か捕らわれてはイケナイモノに捕らわれかけた。

 だが、魔女の意地って奴か? 「そんなワケの分からないものに負けて溜まるか」って深呼吸、もとい気合を掛けた途端に元に戻った。

 ……、瞳孔は光の加減でしっかり収縮している。では、輸送と治療手段だ。まさか、こんな所に怪我人を置いておいて死なれても寝目覚めが悪い。

何よりも私は思った。こんな時に怪異で、倒れている人を助けず、ましてや魔女として必要な力を持っていて使えなくてどうするのかと。


 浅慮な判断だったかも知れない。でも、魔女である以前に、私は人間だ。私は、そんな薄情には生きたくはない。そう、あの人のように……


 私は先ほどと同じ様に地面に一滴の血を垂らし、一瞬にして、

「I summon one from blow universe in Ithaqua' name. Derive Sylph, Hippogriff(我はイタクァの名に於いて風界より素を呼ぶ。出でよ、風霊素、ヒッポグリフ)!」

 前の詠唱より早く、素早い呪文の唱歌と共に、現実に異生物を呼ぶ。

 爆発と放射光。傍から見ると核爆発に毎回出くわしているように見えるかも知れない、なんてどうでもいい考えが浮かんだ。

 目の前に現れた、体高が私の視線よりもいくらか上にある生物は、胴体がヒッポ(ペガサス)で、頭と前足がグリフ()。その飛行速度は随一とも言われているギリシャの魔獣は、私に甘えるように目を瞑りながら擦り寄った。

「ヨシヨシ、じゃあ行くよ?」

 私の合図と同時に、爪の付いた前足で男を優しく掴み、私を背に乗せて暗色の彼方に飛び立つ。


 目指すは私の師父のお店、『ディープ・スタンド』。

 魔女、双珂院 生羅(ソウカイン セイラ)、もとい治療術の大家ならこの男を直せるはずだ。



5分後、――和木市上空二百メートル



 結界で目眩しをしていなければ、誰もが顔を挙げる幻想的な光景があった。

 夕暮れに染まりつつある空を背景に、神話から出てきた魔獣が大男と美少女を運んでいた……

 ……やっぱり美少女は却下。幽霊列車やら血だらけの男やらで頭の回路が焼き切れたに違いない。

 神南町駅から十分弱、街中のビルとビルの間にひっそりと、いや、『四方を囲まれて』城砦のように立つ魔女のお店。

『Deep Stand』。

 深海の奥底に立つような隠匿性にも関わらず、実は女子高生に本当に使える魔具のお店として大人気だったりする。最近は恋敵一撃呪殺クリスタルのキーホルダーとか有名らしい。何だ一撃呪殺って。てか女子高生が殺し愛すんな。

 ビルの合間に降り立ち、男を静かに横たわらせると同時にヒッポグリフの魔力供給を瞬時に解除。鷲羽と馬の掛け合わせの忠実な動物は、働けた事に満足するように傅きながら仮の肉体を失って虚空に光の粒となって霧散する。

「師父! さっきから監視しているのは分かっていますよ! 早く助けてください!」

 その声に合わせて、店のドアから静かに出て来たのは私の現在の師父、協会の番付で第七位、小達人級アデプタス・マイナークラス双珂院 生羅。

 私の担いだ怪我人に引けも取らないような威圧するような体格にファンシーな店のロゴの入った桃色の妙に可愛いエプロンをつけている男。神秘的な、真理を悟ったような静かな眼差し。痩躯でありながら華奢とは言えないような頑強な体。それらの威圧感を隠しこむように笑みを浮かべている。その清清しく端正な容貌は、黙っていれば女の子を自動的に吸い寄せるだろう。



「騒がなくても大丈夫だ。 マ イ ・ シ ス タ ー ・ プ リ ン セ ス 」

「 黙 れ 、良いから何とかしろ、てかマイプリ(略)止めろ」


「ふむ、『私の』女弟子、つまるところは妹と変わらない存在、その上名の通り在姫であるから『 マイ・シスター・プリンセス 』、これは世界の真理ドブゴっ!! ……師の顎を問答無用で殴るのは魔女としての関係上どうかと思うが?」

 殴ってません。ただのムエカッチャー式の回転『肘』打ちです。

「うるさい。あんた、死んでみるか?」

「やれやれ、感情が昂ぶると助詞諸々を抜くのは母上殿と同じか」

 と言いながら、師父は私の抱えてきた男の頭部を見る。

「ふむ……、唾をつければ、直るのではないか?」

「良いから直せ、このボケ木偶の坊」

「やれやれ、では『チチンプイプ、ィゴフッ!』 古今東西最高の治療呪文の詠唱を止めるとは何事だ!」

「 ア ン タ の 脳 が 何事だ! 真面目に直さないと……怒るよ」

 私がチラリと冷たい魔女の目で睨む。

 私が彼に、格上であるはずの師に対して手を上げられるのには魔女としての実力が格段なまでに段違いだからだ。治療術と治癒魔法では魔女随一と呼ばれ、治癒力では満月の吸血鬼と渡り会える程の男でも、――私、魔女協会認定の第二位、大魔導師級(メイガスクラス)の最年少取得者―― 魔女の階級から言えば、上から二番目の私を魔法戦に限って言えば相手をしたいとは思わないだろう。

 しかし、私の才能があり過ぎるのもあるが、それでも彼自身はかの地、英国の倫敦の時計塔で正統に学んだ【魔法使い】である。そして本当に稀な事に魔法使いの最高位大元級(イプシシマスクラス)で戦闘能力も極位の、最初で最後の自称『大魔法使い』 ――弟子を取るのがメンドクサイので、その場で毎回シバキ倒してしまって無かったことにしてしまうエピソードで有名なアノ人―― の数少ない直弟子なのだ。それに治癒魔法にはトンと鈍い私にはそれなりに頼りになる存在でもあるのだ。ついでに16歳と言う清純な、法的に見ても年齢上は魔女としても人間としても、未だ幼……、もとい若さもある。

 ちなみに、男性でも血脈を伝える『魔法使い』は『魔女』である。魔男なんて語呂が悪いモノのはない。

「ほぅ、魔法使いの存在を知られる事を知りながら助けたようだが……、まぁ、良かろう。後は君の好きなように記憶を消すなり好きにしてくれ。隠匿は発見者の君に任せるとしよう。それと先ほどのは冗句だ。久しぶりの再会に興が乗じただけだ」

 嫌な性格だ。てか、昨日今日離れたくらいで恋しくなるのかよ。

「で、容態はどうなの?」

「ふむ、出血は何故か既に止まり、さほど酷くは無いが。……脳への表層からは読み取れない障害があるかも知れん。一度、どの程度の記憶の損傷があるか調べてみないとな」

 口を開きかけた私を手で制すると、さすが男児だけあって片手で、しかも一挙動で気を失っていた男を持ち上げ、肩に乗せる。

「施術を始める。君は店内でも見ながら1時間ほど待っていなさい」

 個々の魔法、特に独自の体系で練り上げたモノはその個人を示す特別なモノであり、加えて協会で公開されている基本魔法を除いて他人には積極的に見せる事はない。それは師弟の場合でも論外ではないのだ。

「うん、分かった」

 師父が店の地下工房に向かうのを見届けると周辺に目を転じる。

 見慣れた店内には魔法使いが魔法や魔術、錬金術の触媒として使うアイテムが所狭しと並べられている。そう並べられているのだ。

 実際に使える呪具、魔具、それが、『一般人の手の触れる場所』にある。

 『ディープ・スタンド』、この魔女のお店は一般人にすら開放されている非現実の領域なのだ。

 でも、ほとんどのアイテムは正式な手順で無い限り発動しないし、霊気装甲がある程度ないと意味すらない。本当ならば、万が一と言う事を考えれば見過ごせるモノではない。

「置くならインチキなモノにしなさいよねぇ」とブツブツ言いながら道具を見渡す。


 地下からはまだ人は出てきていない。 


 ゲッ、『栄光の手』や『インプの小瓶』なんて本当にヤバイじゃない。あっ、でも欲しいかもとブツブツと言い続ける。

 彼自身の魔法使いとしての地位は大したものではない。しかし、その代わりとも言ってはなんだが、彼の治療術と治癒魔法。そして、魔法やら魔術を付け加えた道具である呪具などの保管と鑑定に関しては魔女協会(先ほども言ったが、隠語でサバトと呼ばれる)でも一目置かれている。それは大元級の魔法使いの弟子と言う名誉だけでなく、実力そのものを表しているのだろう。

 壁の一面には儀式用である剣が縦に凄然と騎兵のように整列している。う~ん。

「あ、【儀礼剣(アゾート)】だ。うーん、そろそろ、自分用の【交霊武装】でも持とうかなぁ」

 自分の指先で一つ一つ手に触れながら、魔力の通りの良いものを確認していく。だが、私の眼鏡に叶うようなモノは中々ない。ある程度の物で無いと私の強力な魔力で砕けてしまうかもしれない。それでもココにある装備が一級品であるのは明白で、私自身が九貫の名に恥じずに特級品であるが上での悩みなのだ。


 地下からはまだ人は出てきていない。


 交霊武装とはその名の通り、万物の不可視深部、魂と深く交流する霊と感応する為の道具だ。

 概念の蓄積によって作られた武装は時に神の武器として認識され、神霊武装なんてモノになったりする(中には神様そのものから貰ったりなんて話もあるとか)。まぁ、攻撃力云々で言ったら死神の鎌の方がよっぽど強い気がするけど……

 だが、とにかく、通常は武器としてのみ認識される交霊武装は魔女に取っては都合のいい道具にすらなる。霊と感応しやすい武装で触れながら魔法を行なえば、通常以上の効率の良さを期待できる。

 そして、その武装に魂を通わせる契約さえすれば、その効率は何倍にも上がるのだ。

 【儀礼剣】は一定の規格によって大量生産される剣状の交霊武装の総称である。

 私は今までその効率に頼りすぎてしまう、甘えの可能性もあるので自制してきた。一人前の魔女として専用の儀式剣を持つのはある種の魔女のステータスであり、そろそろ私も自分を象徴する礼装を持たなくてはいけないお年頃だろう。

「……それに、今日みたいに、治癒魔法が使えないからって言って、師父に毎回頼るわけにはイカナイもんね」


 何故かは知らないが、私の治癒魔法の系統は大師から今の生羅師父に移る頃に「君はこの方面の才能は諦めた方がいいかもね」と、自分の師でもある男、しかも治癒魔法のエキスパートに駄目だしされているのだ。儀礼剣で対象との関係性が高まればもしかしたら成功率が上がるかもしれない。

 とにかく、そろそろ、私も独り立ちをする事だ。そうでもしないと天国、いや『地獄の』母に申し訳が立たないだろう。

 と、思考の円環で誤魔化してきたが、私としては彼の事がずっと心配だった。


 地下からはまだ人は出てきていない。


 先ほどから何度確認したのか分からないが、私に出来る限りの事はしたまでだ。これで死んだりしたら……、気が沈むかも知れない。でも、それなら絶対に忘れてはいけない。私の通過した出来事、それを通り抜けた責任、そしてそれらを成し遂げた誇りを持たなければならないのだ。何かで誤魔化したり、自分を偽ったりなんて、私は出来ない。それが、私なのだから……


 窓から出てきて、さらに天井を飛ぶ魔法の鳩時計が既に二回も鳴っている。時刻は、師父の予測の二倍をも掛かっている。

 不吉な予感。

 それでも、無為に過ごしていても時は立つ。

 『座ると尻のデカくなる椅子』とやらに試しに座ってみたが、特に効果はなかった。不発か……。あぁ、凹凸のない体が悩ましい。ここまで来ると自分の体はスレンダーとか洗濯板とか、そう言う問題ではない気がする。

 居ても立ってもいられずにその椅子に何度も立ったり座ったり、店内を見廻したりと落ち着かない。


 ギシリと鳴った、階段の鍵盤に弾かれたように、その方向を見る。

 階段の前には生羅師父がいた。

「……施術は成功した」

 成功にも関わらず、普段は優しげな面持ちを微妙な苦渋に満たしている。

「何か、障害でもあったの?」

 私の震える声に答えるように、彼は、後ろに居る『彼』を見せた。

 身長は私よりも僅かに低い。140cmかそこら、野性的と言えばそう言えるが、逞しいと言うより可愛らしいと言った印象の方が強い、黒髪、短髪の男の子だ。ぶっちゃけて言えば、哺乳動物の幼少期に似ている。具体的に言えば、ライオンとか虎、熊の子供って感じ。

「……えっ、誰?」

 これは、私の放った言葉。


 そして、彼の放った言葉。

「……俺、誰だ?」

 私は、ただ混乱をするしかなかった……


 五分後、目の前では目が大きくクリクリとした少年が、椅子に座りながら届かない足をぶらつかせ、私と師父をじっと見ている。雰囲気は肉食動物の子供に似ているが、その形容通り、侮ると引っ掻かれるくらいの手厳しさも窺い知れる。

 着ている服は、私が昔、スカートが嫌いだったからと言う理由で着ていた、少し大きいサイズの青いパーカーに白い短パン。靴も私の昔のスニーカーを履いている。

 ちょっと待て。この服は一体何処から出したんだ。

 私は私で、色々と状況を理解しようと睨むように少年を見る事に努めたが、途中で溜息を吐くと再び睨むように、隣りで余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)と大量の砂糖をいれたミルクコーヒーを作っている変態男を見据える。

「どう言うこと?」

 私の問いに軽くコーヒーを飲んで「苦っ」(まだ苦いと言うのか)と吐き出すように言うと、こちらを柔らかく見つめた。

「この通りの状況だよ」


 大男の身体が治療中に縮んでしまった、と言う訳?


「裸だと君も困るだろ」

「いや、そっちじゃなくて……」

 笑みを浮かべた生羅師父が少年の頭を撫でようとしたが、手はあっさりと少年に空かされた。ジトリと、その手に向かって少年は不快そうな視線を向ける。

 私の読みとしては、少年は警戒しているが、状況理解ためにこの場から動かないと言う選択肢をとったように見えた。

「とにかく、何も無しに身体が縮むような、そんな事があるわけ……」


     「……君達は魔女だな?」


 師父はその柔和な顔に似合わず、軽く、そして不敵に笑う。

 私は不覚ながら、少年の、いや元は大人の、そのタイミングを謀ったような言葉に背筋がピクリと震えた。

「……あぁ、気にしないでくれ、俺も『怪異』に属する側だ。言っておくが、敵対派閥ではない。これは信用して欲しい」

 少年の、いや男だった少年の眼は、予想以上の理性の輝きに満ちている。身体は子供、頭脳は大人、ってやつ?

「先ほど『俺は誰だ』と言ったが思い出してくれたかな?」

 少年にミルクコーヒーを差し出すが、手をつける気配は零。無理やり、少年の手の届くような場所に予め置いた。無論、そんな甘ったるいのは女の私でも却下だ。

「あぁ、先ほどから記憶の混乱は続いているが、いくらかは回復した。俺の名は国定 錬仁(くにさだ れんじん)と言う、見た目通りと……、見た目に反して大人の男性だ」

「私は双珂院 生羅、魔法使いだ」

「私は九貫 在姫、魔女です」

 自己紹介。一度、国定は驚くようにこちらを一瞬見て、しばらく硬直。

「で、それから?」

 私の促すような言葉に、国定と自己紹介した少年(元は大人)は我にかえると思案するように目を細めた。

「いや、君達に公開して良い情報とそうでないモノを懸案している。まず、その理由から話そう。その前に、達人(アデプタス)、この工房の結界はどれ程度のものだろうか?」

 少年は一目で、師父の魔法使いとしての技量を大まかに見極め、工房の結界の度合いを聞いた。この分野でも得手なのだろうか? 魔のなんたるかを知ると言う事はやっぱり同業者(魔法使い)だろうか? でも体が縮む呪文なんて聞いたことないよ、バロー。

「消音結界、封鎖結界、外界に向けた攻性の防御結界、これの種類は明かせない。そして地下には無限牢獄。とりあえず、小規模だが龍脈と接続して店全体を聖域化してもある」

「なるほど、先ほどから体の具合の良いのは聖域のお陰か」


 例え、師弟の間でも自分の工房に張られている結界の種類は伝える事はあまり無い。結界とは特定の領域と隔絶する、魔法を使って一つの空間を創り出す『魔法結界』か、自然界の、外界の霊気装甲を利用した『魔術結界』である。『場』に掛ける術のため、よほど卓越したものでなければ霊気装甲をもつ人間からはプロテクトされてしまう。

 しかし、先ほど彼の言った、封鎖結界や無限牢獄は私の位階でも解呪の難しい代物だ。

 それにしても、聖域化は呪術に掛かり難くするように装甲の通りを良くして心は清浄にするが、身体まで具合が良くなるようにはならないはずだ。まるで人間ではないような、そんな物言いだ。

「なるほど、小規模のワリに大した防備だな。魔法、魔術による両方からの盗聴の心配はないな」

「もちろん、『私の城』としての防御力もありますよ」

 城とはその名の通りだ。術者を守るための防御陣地。だが、防御と言うのは個々の攻撃意思を必要としない無差別魔法攻撃、と言う恐ろしい意味もある。

 彼はチラリと目の前の魔法使いを警戒するような目で見た。

 ん、……ってちょっと待て。

「なんでさっきから私には全ッ然ッ反応していないの!」

 ?を頭上に浮かべた、国定と言う少年はまるで「こいつ何言っているんだ?」と言う呆れ顔だ。

「当然だ。『未熟者』には無駄な注意を払う必要性は見出せない。認識の無駄だ」

 返す刀で言われた台詞にかなりムカッ、と薄っぺらい胸に何かが来たが、極力気にはしない。

「ははっ、君もそう思うかい? でも弟子としては誇るべき存在だ。私のかわいいマイ・シスっガボラ!!」

 スカートなんか気にせずに放ったドロップキックが師父の顔面に入ったが色んな意味で気にしない(もちろんスパッツは穿いてある)。

 私はその反動で椅子に座りなおすと寿司の横に添える茗荷のごとく、自然に笑顔を作った。隣りには首がおかしな角度で曲がって不規則な痙攣を繰り返す師父。まぁ、治療術の得手だし、放っとけば勝手に自己再生するでしょう。

「続けてください」

 何か檻の中の動物からケダモノの本性を嗅ぎ取ったかのような目で見ているが、私は笑顔を続ける。

 気圧されたか、興味が無いのか? 咳払いをした後の国定の視線から察するに今までの事は無かった事にしたようだ。

「……あぁ、まず、俺の身分から話そう。俺の身分はWBO、国連特捜室 東アジア担当の者だ」

 その言葉が、和やかに流れていた空気を払拭した。


「ノーライフキングス?!」


 国連特捜室、世界天秤機構。WBO。国際的な超法規的武装諜報組織。国ごとの『闇』の固有戦力を把握、調査し、危険な固有国家戦力を排除、各国家間での闇の戦争を調停する最強の……ボランティア機関。

 別名、命知らず団体『ノーライフキングス』。たった一人で、生身ながら神域クラスに通用する人間達、超人の集団。

 いわば、人外テロリスト殲滅組織の国際機関ヴァージョンである。

 何でも資金は各国の政府、非営利団体からの寄付で賄われているが、まったくもって全然足りてない、というのはどうでもいい話だ。私的には何と無く、足りない気持ちが分かる気がする。


「今回、当局から一つの指令が来た。それは日本国冥府からの依頼で、ある組織と和木市内での魔女での二日間連続での斬殺事件の関係を調査しろというものだった。だが前日、その関係者と交戦し、一度は迎撃した。しかし自らの不手際で負傷し、現在も一部の記憶を失っていると言う渋い状況だ」

「ちょっと、諜報機関がそんなに情報を漏らしてもいいの?!」

「問題ない。これは魔女らの沽券に関わる問題であり、本来は魔女のみで解決すべき問題だ。だが、肝心の魔女は『敵方』との相性が悪いためか、にっちもさっちもイカナイ状況だ。そこで冥府は特捜から俺と、魔女協会が独自にイレギュラーで一人、敵方に対するプロを一人雇った。魔女が解決出来ない問題を肩代わりしているんだ。ここは当事者と解決者として、双方が必要部分の情報交換をすべきところだろ?」

 冥府、ということは、日本の裏側。政治と関わるところまで首を突っ込む自体なんだ。

 それにしても、なるほど、確かに適宜プロに対応させることは的を射ている。しかし、その気になれば、魔女は【魔術】ではなく、自分の【魔法】による【結界陣地】を作成してその中に入っていれば、神域の存在でも、よほどの事が無ければ入れない。空間自体から作り出す陣地には、さすがに侵入さえ出来ないのだ。

 ちなみに私は習得する魔法のほぼ全てを召喚に手を回しているため、結界作成などは覚える気になるまでまるで使えない。だって、結界関係って設備投資するからお金掛かるし。

「ふーん、歴史と血脈を備えた魔女が対応できないなんて、敵方はどんな奴なのかな?」

「関係のあるその組織については幾らか調べがついている」

 少年は何を血迷ったのか、あほ師匠が入れたコーヒーに口を付けて、予想通り「甘っ」と横を向いて凄い勢いで吐き出すと、口を拭い、気を取り直してこちらを見据えた。



  「秘密結社『アイオーン』、『魔法使いを狩る』魔術師達の集まりだ……」



 魔術師。

 魔法に焦がれ、霊気装甲のない、魔法使いになれない出来損ないと呼ばれる者たち、魔法使いを最も憎む者達……


 しかし、

「霊気装甲もない彼らに魔女を倒すなんて出来るはずが、」


「いや、そんな事はない」

 今まで和やかにコーヒーに似た砂糖を飲んでいた、復活した生羅師父が突然言の葉を挟んだ。


「魔術師は魔法使いと違い、自らの内側に存在する内界の霊気装甲でなく、外界の、自然界に存在する、森の木や石に含まれた霊気装甲を理論と技術で使う。つまり、事実上、自らのバッテリー切れ、魔力切れを懸念しなければいけない魔法使いと違い、彼らには魔力と言うバッテリーの上限はない。むろん、我々も魔術を使おうとすれば使えるが、自身の結界作用の補助程度にしか使わない私達に比べ、それに完全に特化した魔術師には適う筈がない」

 ついでに言えば、先ほどからも何度か出ている言葉、【霊気装甲】は特別な、最近、あの幻想においての最高学府、神秘院が作り出した学術造語である。

 【霊気装甲】というのはあくまで今の物理で説明できない力を互換して説明する際に使われる霊気工学専門の学術用語であって、魔法とはたいして関係はない。

 霊気装甲を説明する際には二つの用語である【血管内の伝導率】【装甲濃度】に収束される。密度と言うのは、いわゆる潜在的なパワー。伝導率を運動能力とするならばこっちは基礎体力。これが高いほど、物理的な距離においても威力に置いても、高い展開が出来るのだ。

 伝導率とは運動能力、技術の限界値である。つまり、霊気装甲保持者の平均伝導率十四%と、霊気装甲を代重ねで増やしている平均的な魔女の六十%では魔法の憶えと発揮性能が四倍近く違うのだ。人間の最高値は魔女の統括者、待崎会長の 九十九,九九九九九九九九九%、イレブンナインと呼ばれる最高純度らしい。つまり、運動能力の優れた家系は大体優れた子が生まれるのだ……と言う理論で、まともに聞くと私でも眠くなってくる。

 ちなみに私は九十六,二%、上位五%に入る勢いだったりする、と言うのは蛇足。

 妖怪達の霊気装甲を使った威力から身を守るのには自分の霊気装甲が一番効果的と言うことだ。それゆえに『装甲』と呼ばれるのだそうだ。

 血管内の血潮の流動、いや魔力の『伝導』による焼け付くような独特の感覚。

 元々、妖魔跋扈に対抗するために生まれた能力だったモノは同じく、常軌とは異を為すモノ。故に人がその神秘に触れるたびに、血管の内側から焼き削られる。

 肉体を動かす『生命力』。魂の基礎となる『精神力』。そのどちらでもない、生きていくのには『必要のない』のに存在するもの、というのが定義で、霊気装甲は常時血管内を血液と共に流れているということは、エジプトのアノ天才神秘学者の手で判明している。(ただし科学的な定量観測方法では確認も検出も出来ないものをどう検出したのかは不明)そして、霊気装甲のある人間には妖怪や魔属の力に抵抗力がある。それ故に『装甲』と呼ばれるのだ。(以下、睡魔侵蝕前に基礎事項反芻終了)


「何だか、魔女は魔法を使っても魔術の内容如何によっては魔術師には適わないような言い方だね」

 選民思想では無いが、明らかに世界の外側の力を使う魔女の方が若干贔屓目にでも強大に見える。

「だが、事実そうだ。君の母上の友人、大師も六百年の存命の中で十二度、魔術師に魔術戦で殺されかけたそうだ」

「えっ! だ、大師が!?」

 私は驚きを隠せない。

 一代限りの魔法使いでありながら、遺産と歴史の蓄積された魔女と等しくあり、大禁呪『ワールド イズ マイン』を習得していたあの大に大のつく大天才。おちゃらけ者、加えて捻くれ者で、終生道楽者だったあの、御気楽な人がとてもじゃないが、死にかけるようには到底見えない。


「事実、大師は、それらの襲撃以降は地道に魔術の研究もしていた。大師、彼女が一般の魔女より優れていたのは魔法だけではなく、魔術も等しく研究していたと言うわけでもある」

「その通りだ。お分かりかな? 未熟者」

 先程の私の魔術師を舐め切っていた発言を見下すように、私に向かって「やれやれだぜ」と国定は目を細める。その眼の形を敢えて表現するなら『ー』な感じだ。

 ムッとしつつも、話を拗れさせるのも何なので我慢する。

「ははっ、いつもは怒るのに今日は大人しいなぁ? どうしたんだ、私のかわいいマイ・シへボラッ!!」

 制服の形なんか気にせずに放った、飛び膝蹴りが師父の鼻っ柱に入ったが気にしない。

 私は椅子に座りなおすとケーキの上に乗った砂糖菓子のごとく、自然にとろけるような笑顔を作った。さり気なく膝についた血を、机の下のテーブルクロスで拭う。

「続けてください」

 何か檻の中の猛獣の野性でも見たかのような眼で見ているが私は笑顔を続ける。

「……あぁ、アイオーンについてはどの程度知っているのかがまず訊きたい」

「全然、魔術師なんかに興味ないもの」

 フム、と軽く思案すると「最初から話そう」と国定は続けた。

「アイオーンは調べでは七人の、魔術師でも最高である匠級(アーティストクラス)で構成される秘密結社で、それぞれの【魔術】を『刑罰』に準えたモノを使う者達だ。把握しているメンバーの限りで、


 轢刑(レキケイ)と呼ばれ、機像兵(ゴーレム)を使う摩壁 六騎(マカベ ムツキ)

 斬刑(ザンケイ)と呼ばれる、秘密結社きっての白兵戦特化型魔術戦士、オギ。

 流刑(リュウケイ)と言う透過魔術を使うと言われるホズミ、

 重刑(ジュウケイ)と呼ばれる不可視の術を使う少女、シャラン。

 刑罰不明、片目、片腕の女性、セツカ。

 磔刑(タッケイ)と言う術を使い、鞍路 慈恵(クラミチ ジケイ)と名前まで判明しながら、まったく素性の知れない男。

 そして、それらをまとめる『魔女狩りに成功したと言われる元魔術師』の【魔法使い】、特捜室が【脱皮者(モルター)】と仮称した計七人で構成される。


 むろん魔術師の目的は魔法使いや魔女と同じだ。その身に【大禁呪】を刻みつけ、自身を神秘化することだ。しかし、先天的に神秘以前の問題で霊気装甲のない彼らは、神秘でなく技術で大禁呪を魂に刻もうとしている。そのもっとも簡単な方法が……」










      「魔女の心臓をもぎ取り、自らに移植することだろ? フッ、人体改造なぞ馬鹿げた手腕だ」


 両鼻にテッシュを詰めた師父は甘ったるいコーヒーっぽい飲み物を飲みながら、さも『魔術師の愚考』が面白いように笑う。……なんだか、気味が悪い。

「その通りだ。中世からの魔女狩りと同じ様に、今回の魔女狩りは彼女等の心臓目的だ。現に今までの五人の死体、全てに心臓が『無かった』」

「五人……!? 四人じゃなくて!?」

「昨日、俺の目の前で一人、奪われた。……俺の力が足りないばかりに、……残念だ」

 国定は顔を伏し、暫く沈黙を続かせる。

 そして、再び顔を戻した時には鋭い野獣の目つきが戻っていた。

「彼らは移植を求める伝導率の純度、九十五%以上を求めて、協会でも秘匿されている一定の伝導率以上の水準を見つけるまで狩り続けるはずだ。そして、結界魔法を習得していない魔女で九十五%以上に該当するのはただ一人」

 え、ちょっと待て。私の思考にある種の予感めいた言葉が見つかる。


「おそらく、次の狙いは九貫の最後の娘、つまり、偶然ながら……君だ」

 つまり…………、私の事だ。

「とにかく、魔術師だけなら俺単体でもどうにかなるはずだったが……、今回の事件が複雑で解決し辛いのは他にも理由がある。それは……」

「それは?」


 途端に国定と師父は立ち上がった。

 遅れて、私も外から湧き出るその禍禍しい気配に気付く。


「奴だ……」

 彼の見開かれ、戦闘状態に整った野獣の瞳は窓から外の一点を貫いている。

「奴の存在のお陰でもある」

 師父も、その迎撃準備のために淡々と詠唱と魔術結界の強化を始めている。


 闇夜にヒッソリと立つその存在。それは、つい先ほど私が体感したモノと同じだった。

「嘘、あんな強固な存在の幽体なんて見た事ない」

 闇夜に立つ、鎖帷子のさらに上に重厚な板金の鎧を着込んだ、背景に透けている西洋甲冑の騎士。それは紛れもなく幽霊だった。その朧な闇の中で強固でありながら、現実への存在観を歪ませるように、時折自身を陽炎の如く揺らがせる存在。それは単体でありながら、先ほど駅で見た幽霊達よりも身を凍らせた。兜のない顔、その瞳は鬼火の如く蒼く燃えている。それは幽霊ではなく……、

「西欧で著名な【亡霊騎士】 元テンプル騎士団 第三騎士長 ガーブリエル・オギュースト。昨日は電車から突き落としてやったのに生きて、いや死に切れてなかったようだな……」

 と国定は言うと、椅子から飛び降りて、飄々(ひょうひょう)と外へと向かう。

「ちょっ、何処にいくの!」

 思わず、手を掴む。

「何をする?」

 ブスッとした顔で文句を垂れるガキンチョ。

「【亡霊騎士】は生を失った亡者、加えて、半ば自然と同化した呪いだ。故に自然界の霊気装甲に属する結界魔術は大した効果がない。紙の檻を引き千切るように押し入られるぞ」

 と言って、再び外に出ようとする。それでも私は手を離さない。

「何してんのよ! 馬鹿ッ! アンタ、よく分からないけど、さっきまで怪我していたし、今はよくわからないけど子供の状態でしょ? 死ぬつもりなの?!」

「未熟者、このままではどの道侵入される。そのためにも事前に出て迎撃した方が得策だ。魔法使いなら防御陣に入って、大人しく攻撃用の呪でも編んでろ。そして、危なくなったら逃げろ。矢面に立つ馬鹿な魔女(砲台)は居ないだろ?」

 それでも、私は手を放すつもりはない。

「……時間が無い。手を放せ」

「国定。貴方、今の状況が分かっているの? 原因は分からない、けど今そんな小さな体でどうしようって言うの? いくらボランティアだろうが超人だろうがね、命をむやみやたらと賭ける必要は無いんだからね!」

 手首を掴んだ私の手首を掴む、反対の手。

「俺には……、任務とは別に、もう一つ託された使命がある」

 淡々とした口調で、終わりながらも強い意志の瞳で、それは告げられた。












                「君を命に代えても守る事だ」



 ………………ヘッ?


 驚きで弱まった瞬間に手を回転させて外す国定。

 私は、呆気に取られたまま、その言葉の意味が分からずにただ「え?」とか「ほぇ?」とか、変な声を出すくらいしかしていない。

「安心しろ……、俺は強い。だが、少しでも支援をしてくれると助かる」

 子供にも関わらず、圧倒的、かつ剛強な背中を見せ、中世の亡霊に少年は向かって行く。


 騎士の銀白の鎧が初夏の、やや欠けた月の光を返す。

 涼しげかつ、尊大、しかし、威厳に満ちた顔は目前の少年、の姿をした国定に向けられた。

 後方に撫で付けられた亡霊の銀髪は肩口で切り揃えられ、耳の前側の右片方が三つ編みとなって垂れ下がっている。古来の騎士風、ケルトの風を魅せる漢。撫で付けられている点では短髪の国定にも似ている。だが、不帳面で無骨に見える国定に対して、亡霊騎士には、鎧に施された薔薇の意匠も相余って貴族らしい、気品と言うモノが見え隠れしている。対比してみれば二人は見れば見るほど似ているようで違う。


 二回りも一回りも違う身長差に体重差。いや、体重差に限っては幽霊であっても鎧を含めて三倍以上の差があるだろう。

 体格は鎧越しからも分かるような鍛えられた体に、相対するように少年の皮の下に眠る野獣の天然の筋肉。

 鋭い目付き。だがその内に描かれるのが、ジクジクと鬼火の様に燃えるような騎士の瞳に対して、ただ何よりも異質な、終わりとしか表現できない国定の、虹彩が縦に裂けた瞳。

 素手の国定に対して、騎士の両手には二振りの剣、いや鉄塊があった。


 騎士は下から上まで、上から下まで腕を組んだ少年を値踏みするように眺める。

「Qui …… tu? いや、失礼。よく似た者と間違えたようだ。無関係な子供は去るがいい。この夜の事は忘れることだ。騎士は女子供に手を掛けるつもりはない。……魔女以外はな」

 深みと余裕のあるバスの声色がフランス語から日本語へと流暢な切り替えをした。その直後の冷徹な呟きと結界越しの視線に、私の心臓が鷲掴みにされた錯覚に陥る。

「気にするな。その本人だと嗅ぎ取ったのだから、貴様は俺を【魔人】と思ったのだろう?」

 目前の少年の、流れるような切り替えしに男は双眸を剥く。

「馬鹿な……ありえない! ……少年、いや貴公が?」

「その通り、俺が昨日の魔人、国定 錬仁だ。信じないのか? 古城に眠っていた呪い(貴公)が魔術師と共に魔女、しかも子供(ガキ)の心臓を追い回すとは、心象穏やかな自体ではないな」

 今、『こども』って聞こえたはずなのに、違う意味のように聞こえたのは空耳だろうか?

 ワイルドな少年と静謐な騎士は続けている。

「ふむ、憶測など下らぬ。我が願い故に瑣末。たった一人。小娘の心臓を抜き取れればいい。それだけで積年永劫の悔恨も晴れると言うもの。そこを退くがいい、少年」

「フン、下らない願いだ。大の大人が六人も集まって、小娘の身体を奪い合うなんて……」

 国定が背中越しにも関わらずニヤリと、獣が牙を見せるように笑ったような気がした。

「――変態だな」

「……騎士への無礼は大きな代償だぞ。少年」

「その代価は貴様の命で払おう。この見た目で侮ると、……後悔するぞッ!!」


 国定は無手のまま、騎士に向かって一直線に疾走。

 立ち止まったまま、騎士は大きな、大きな剣の片方を振り上げる。月を割るが如く、そこに竜を一撃で殺すような巨大さが厳然と存る。

 国定は進路を変えない。ただ、真っ直ぐと己の道であるかと言うように迷い無く進む。

 そして、満天より落つる彗星のごとく、それは飛来する。

 国定の体が真っ二つに割れた。


 そう、思った時には、既に国定自身によって防がれていた。


 斜めに、極太極厚の剣を、少年の身体には些かに似合わない長大な『アカイ』槍が防いでいた。

 何故だか、分からない。その瞬時の出来事にも関わらず、私は槍の刃先が無い事と妙に色が曖昧な事が気になった。


 反転。

 槍の刃よりも内側に騎士が居ながら、国定は爆発的な威力を柄で現し、敵を打ち払った。

 急激に槍の柄で弾かれた騎士は驚天動地と言った面持ちのまま、空中から、足場も無いのに、しかも鎧にも関わらず苦も無く一転して着地する。

「ヌッ?」

 亡霊が自らに眼を向ける。鎧の脇腹の部分は凹んでいた。霊の持ち物を壊すという事はあの槍も交霊武装なのだろうか?

 十二分に離れた間合いから轟風と共に旋転する大槍。仮に、国定が元の身長だとしても有り余るほどの槍。それでありながら、少年、国定の躯は槍を千変万化と苦も無く迸らせる。竜巻のような空裂の連なり。

「ぬっ……!! 神速の槍捌きッ!! あの魔人と同質!!」

 ピタリと、竜巻にも等しい剛戻(ごうれい)のような演舞から、騎士を脳天から割るように垂直に立てられたアカイ槍。

「やっと信じたか。俺もどうしてこんな風に縮んだのかは分からない。が、十分貴様とは(やり)えるのは保証しよう」

「なるほど、手心は加えずとも良いと言うことか……」


                    その瞬間、辺りの空気が凍った。


 息が吐けない。詰まったかのように呼吸が苦しい。そうだ、亡霊騎士の根本は自然に固着した呪い。呪いに蝕まれた自然の霊気装甲は彼の支配下にあると言っても過言ではない。彼の居る間は、彼に許されたもの以外は自然の霊気装甲を、結界を編む事すら出来ない。

 そして外界の、自然界からの霊気装甲の侵蝕で、常人なら本当に呼吸が途絶えていただろう。僅かに震えるように血流の中を流れる自らの魔力など、私が呼吸をするために紡げる貧弱な装甲に過ぎない。


 自然を操る専門家の【魔術師】と自然に溶け込んだ呪いの【亡霊騎士】。まさか最悪のタッグとは気付きもしなかった。


「く、くに、さだ……」


 絞り出す声。その声が届くかは分からない。頼りなく小さな、逞しい背中は私を守ると言った。だったら……


 国定の槍が奔る。騎士の剣が振り上がる。

 十六夜月(いざよいつき)、満月より僅かに過ぎ、欠けた月が薄墨色のおぼろ雲に紛れる。


 薄い雲の層から漏れる朧の光、その薄暗がりの中を火花が咲く。華散る間も無く打ち付けられる刃金達。

 奮い、振るわれるごとに唸る疾風。小さな、魔女の店の窓を揺らすほどの旋風。人外の戦場である。

 一撃はその両脇のビルを破壊するほど鮮烈で速いうえに早い。瞬く間に何度刃金が繰り出すのかなど見当もつかない。巻き込まれれば千殺される災害級の戦闘。


 頭、顔、転じて脚、翻って手首、突き込んで胸。しかし、防ぐ。詰め寄る間合いを長さで制する槍。

 斜めから切り返して、三連続の突き。小躯を利用して下から潜って突く。防がれる直前に刃とは反対の、石突きからの足薙ぎ。騎士が飛び上がって両刀を落とす。直前で国定は後退。

 国定は確実に防いでいる。だが、完全に攻めてはいない。十分な余裕がないのだろうか?


「違う」


 国定は私を守っている。守っているから無茶が出来ない。万が一、一歩踏み込んで、自らが傷つき、守りを突破されたらと、そう考えているに違いない。

 だったら……



 達人の所業としか言えない武闘。だが、騎士はそれをも知っている。小躯。その身が、身体に反していくら怪力とて、いつまでも続くモノではない。



 亡霊騎士の両腕が前触れ無く加速した。眼にも、いや、光さえも届かない早さ。

(アン)(ドゥ)(トロワッ)(キャトル)ッ!!」

 双方からの斬撃。いや爆撃が二に掛ける事の四つ。そして、その一つの爆撃は通常の剣撃の十倍の威力。

「うぅッ」

 国定の膝が、力が抜けて折れるように曲がる。


Finir(終わりだ)ッッ!!」

 騎士の剛剣が天から同時に二つ振り落される。国定は槍で受けた。

 かつて無い暴風。そしてスニーカーが悲鳴をあげながらゴムが擦れて削れ、鼻につく臭いを発しながら十メートル以上を衝撃で後退する。


 途端、国定が苦しげに膝をついた。手が震えている。あまりの衝撃に手がイカれたようだ。そんな! 手の甲からは皮膚を破って、折れた骨が見えてる!


 騎士がユラリと鬼火の気配を幻炎としながら国定に近づく。

 この闘いを止めることは普通の人間では不可能だ。


 だったら……


 だったら、守られたままでいいのか? 私は一般人ではない。 私は魔女だ! 何があろうと我が道を往き、是、立ち塞がるモノ打ち砕く意志!!

 私は、私はそんな、誰かに守られる弱い存在ではないッ!!

 国定、私は守られる人間じゃない。戦う人間なの!


 その気迫と咆哮に答えるように、血流がいつもどおりに流れる。私の中の、一つ一つの血管を不可視の力が奔流となり、侵蝕し掛けていた呪いを打ち砕いていく。

 霊気装甲起動。全血流正常。魔女心臓駆動。内界へと侵蝕された呪いを完全浄化、そして正常化。

 心臓(ハート)よ猛れ、もっと鼓動(ビート)も流れ、もっと力の灼熱(ヒート)を!


 魔女の店より出でる。八重歯で親指を噛み切り、その指先で流れるように血で古き契約、五芒星印(グレートサイン)の魔方陣を描く。

 騎士の、邪眼にも等しい眼が射抜く。耐える。装甲が軋む。でも、私の魔女の誇りが後退をさせない。

「I summon one from abyss universe in Cthulhu' name……(我はクトゥルフの名に於いて深界より素を呼ぶ)……」


「未熟者! 早く戻れッ!!」

 国定は軋んだ小さな身に体重を預け、槍を杖に立ち上がる。

 煩い! 今の私を止めることは誰も出来ないんだから!


「……Derive undine, Slime(出でよ、水霊素、スライム)!」

 エーテルの瞬着の爆発と共に、一トンはあるような巨大な緑色の塊が魔方陣からはみだし、溢れるように現れる。

「Go(行け)!」

 私の指が指し示すと同時に巨大な質量が予想もつかないほどのスピードで動き、広がりながら、津波のように瞬時に騎士を押し包んだ。

「ンヌッ!!」

 液体の中でもがく亡霊騎士。流石に既に呼吸はしてないせいか窒息はしないようだ。

 だが、いくら巨大な鉄塊とて、液体に近いを生物を切り刻む事は不可能なはずだ。


「国定ッ!」

 駆け寄る私。


      ――この時、何で駆け寄ってしまったのだろうと、後から例え様もないほど後悔した――


「馬鹿野郎ッ!」

「えっ」

 駆け寄る私よりも早く、私を抱きかかえる国定。乙女の恥じらいなど感じる間もなく、その身体を徹して人外の体当たりの衝撃と衝撃音。

 吹き飛ばされる。ビルの壁が迫ってくる。捻られる視界。再び、衝撃。視界が暗転と同時に朱に染まった。

 

 痛みがない。血が出過ぎて感覚が狂っているのだろうか?


 その狂った色彩の中で騎士がコチラに向かってくる。なんて事だ。液体に近い、スライムの細胞を剣の横っ腹で全部『叩き潰した』というのか? イカレている。超人どころの騒ぎではない。常識が、非常識に生きる者の常識すら通用しない。


 身体は血の量に反して思った以上に動く。逃げないと、逃げないと、


                                コロサレル。


 朱の混じった視界を払う。これほどの出血でありながら軽傷だったのだろうか? それでも、逃げられるのか分からない。

 そのまま立ち上がろうと同時に抱き上げようとした、やけに動かない国定の体が、異常なくらい、軽かった。

「ニゲロ」

 国定が口から ア カ イ モ ノ を、泡と共に零しながら囁く。

 でも、ごめん。駄目なんだ。脚に力が入らない。

「逃げロ」

 国定も連れないと、でも、でも……


     私の身体を濡らしていたのは、全て、国定の暖かい血だった。


 彼は亡霊騎士のデタラメさが分かっていた。だから、瞬時に私を庇えた。だから、私は無事だった。

 でも、彼は自分自身の事なんか考えてはいなかった。




 先ほどより酷く挫傷した頭部、ダラリと腹から垂れた腸、肝臓、膵臓、胃、遥か後方に、腸の一部と腰と脚。


 騎士の刃には拭いきれなかった血、ビルの壁には私のモノでない血。


               上半身だけになった国定は、やたら軽かった。



   「――――――!!」


 声にならない、その声はただ、自分の愚かさを呪った喉の、音の集まりだった。


 気付け、死ぬ、助け、無理、自業自得、犠牲、死線、怒号、悲鳴、鉄塊……

 飛躍した思考が生み出す脆い幻像。

 月光を背景に、黒い人影。


 大きく、鈍い銀光が大きく振りかぶらされた瞬間、私はそこで意識を失った。


 They are darkness, and they have nothing.

 They are 7 of them, and they have Sin.

 They are Magician, and they have Art.


 They have curse, and they are sufferer.

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