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33. 紅蓮地獄

 唯一朝鮮半島と相対し国防の要ともなる近隣の長門国(山口県の西半分)に比べれば、周防国(山口県の東南側)の国分寺付近は、萎びた、人気の無い場所と言えるだろう。


 日本列島の中間位置に当たる京からすれば、当時の流刑地である土佐国(高知県)や国内北方の大敵が潜めている出羽国(新潟県)と大差の無い場所である。


 むろん、そんな場所でも住む者は居り、営みを育んでいた。


 山間の小さな村、人口は三十から五十といったところだろうか。

 その近くの山際に籠を背負い、崖にも近い角度の斜面を軽快に一、二の、三と跳ねながら山菜を積む女人が一人居た。


 人の手が元々入らない場所のためか? 豊富な山菜が籠に入っている。アケビ、茸、ウド、芹などなど。

 女人は胸元の発育の悪さを除けば、大人の部類に入る年頃、年にして二十の後半だろうか?

 肌は山間に手馴れてる様子にも関わらず、舶来の陶磁器のように白い。眉目は整い、際立った波のように美しい。瞳は大和の民にしては珍しい琥珀色。黒い髪は鴉のように黒く、艶やか。しかし、髪だけはその時代の世捨て人である尼の如く、短く耳が覆える程度まで切られていた。

 この年齢でこの髪の長さとは、まるで、何かを決意して男人を絶っているかのようである。


「うむ、この蕨は美味そうだな」


 そんな事を呟きながら、せっせと素手で山菜採りに勤しむ女人の背後に、黒く、大きな影がぬぅと現れた。

 乱杭歯に崩れた顔と視線とは合わない黄色い瞳。厚ぼったい唇に隆々とした筋と肉は赤黒く塗られている。そして額には二対の角。


 鬼。

 足音を潜めるかのようにこっそりと忍び寄る。

 山菜採りに夢中な女人は気付かない。

 斜面を音も無く、滑り降り、足音をそろりそろりと殺して近寄る。


 舌なめずり。牛のように大きな舌が牙のような歯の間から岩肌から出るなめくじのように這い出る。

 その鬼は虎のように鋭く、大雑把にでか過ぎる指先で鷲掴みにした!



 ――籠の中の茸を。



「頼光さまぁ、オイラんこと置いてかないでくださいよぉ。それにぃ、そっちゃあ行ったら崖から落っこちて危ないですよぉ」

「ははっ、スマンスマン喜散太(きさんた)。つい、夢中になってしまってなぁ。って、またお前は我慢できずに勝手に食うておるのか!」

「背後が甘いですよぉ、光さまぁ。ガハ、ガハハハハハハハハハハ、あれ? ハハハハハハハハ、なんで、ハハハハハハハハ、笑いが」

「あ、スマン。お前が食うとるそれは私が間違えて採った笑い茸じゃないか?」

「ガハハハハハハハハハハ、そんな、ハハハハハハハハ、なんで、ハハハハ、籠、ハハハハ、入れっぱなし、ハハハハハハハハ」

「ふん、少し反省しとれい」


 彼らの居る斜面から除く風景。

 そこには鴉天狗、鬼、蟲魔、そして人達が分け隔てなく暮らしている楽園があった。


 京を西に下った光は僅かな手勢も連れずに一人出雲へと渡り、そこで大国主神の託宣を受けて各地を周った。そして、そこかしらで虐げられていた妖魔、人との混血である半魔の子達を集め、この西の外れの奥地でひっそりと住んでいた。


 山菜を背負って山を下り、村の近くまで光が辿り着くと角の折れた鬼の子や鱗が所々剥げた下半身が蛇である蛇神の子供、片翼の鴉天狗や身体の左半分が甲虫のように殻で覆われた子などがワッと集まって、取り合うようにして光の荷物を分けて持ち歩く。


「やれやれ、お前達は私を年寄り扱いするつもりか?」

「きししし、おら達は光様の事大好きじゃからの。このくらいは当然じゃあ」

「そかそか」

「どれくらい好きかってぇとこれくらいじゃあ」


 と角の折れた、文字通り悪餓鬼が光の尻を触り「こらーッ! 叩き斬るぞ! 小僧ッ!」と大人げなく光が追い掛け回す。


 村の中には先の戦や仲間同士での抗争、交霊武装を所持した、妖魔撲滅派の人間の討伐隊に執拗に追いかけられて、手足や目、翼などを失い、妖気を減じて生きるのもままならないような妖魔や霊格が低くなり過ぎて死期となった守り神が住んでいた。

 その中でも鍬が使えるものは畑を耕し、もう余命幾ばくもない守り神は小さな雨雲を呼んで畑に雨を降らし、人に狩られて目の見えぬようになった巨人は子供達に指図をされながらも岩を運んで土地を切り拓き、半分呆けて年老いた河童の老人が京や未だに有力な力を持つ妖に献上する薬を作り、あるものはまったく別の種族の子を育てて過ごしていた。


 京には人の住む村と言う事となっているが実際に住んでいる人間は光の他は戦争や飢餓で親を失った、十代に近い子供ばかりで、後は人のように見える半魔や妖どもが半分以上である。


 彼女が望んだ小さな楽園は出来ていた。


 最初は彼女を人間と言う事で信用せず、ましてや闇殺舎の元総大将だと惜しげもなく明かし、それによって罵倒され蔑まれ、時には恐れられて彼女を亡き者にしようと言う妖もいた。


 それでも彼女は決して刀を握る事はなかった。

 傷つく事を恐れていなかったと言えば嘘になるが、彼女は常に菩薩のごとく慈悲を持って彼らに接した。それは今までの闘神の如き戦いを経て、修羅道から人道を越えて天道に至った仏のようである。どちらも献身にして滅私の道程であり、そのために徹底するのが彼女の生き方なのだ。




 そして、誰かが意図したのか? 今宵は彼女を讃えての祭りが催される事になっていたのだ。図らずしも、それは錬仁の領地で定めた祭りの期日と同じ日。




 そしてまさか、彼女の村に近年獄死したとされた凶悪な山賊の頭、藤原保輔(ふじわら やすすけ)率いる五百の兵が迫っているとは知らなかった。

 『今昔物語集』などに見える盗賊の袴垂(はかまだれ)と同一視されており、袴垂保輔という伝説的人物となっている盗賊である。

 官位を右兵衛尉正五位下と持ちながら、『尊卑分脈』と言う文献によれば、「強盗の張本、本朝第一の武略、追討の宣旨を蒙ること十五度」とある犯罪者である。西暦九百八十五年に傷害事件を起こし、さらに九百八十八年には強盗などの罪を重ね、逮捕の際自害を図り、翌日獄中で没したという。だが、事実は違った。密かな恩赦により『ある人間』を通じて兵を与えられた保輔は悪鬼にも程近い下劣な魂を震わせて、二つの(めい)をこなそうとしていた。


 隻眼隻腕、鉤鼻に加えて口元には下卑た笑みを浮かべたその男。

 己の欲求を、殺しと人心蹂躙の満たすがために動く人の形をした悪鬼、否、それ以下の下種。


 その二つの命。

 一つ、妖の村の虐殺に取り掛かる事。

 もう一つは……、


「いいかぁ! 野郎共! 女子の光様を見つけたら、俺様の前に生きたまま連れて来い。生きていれば、手足の一二本は構うこたねぇ! 切り落として引き摺ってきな! なんなら犯してもいいぞ!」

 ゲラゲラと兵達と共に笑う狂人。人間の屑。


 その兵達の手中には、人の手に余る、何処から仕入れたのかすら分からない、太古からのおどろおどろしい大量の交霊武装がギラリを閃いていた。

 獣にも劣る性癖の人間達が平和に興じていた妖の村を完全に囲み、一斉に襲い掛かった。


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